第32話 シナモンシュガーとフルーツマカロン

「あーっ・・・無い!!」


台所でひとり騒ぐあたしの声を聞きつけて、お母さんが怪訝な顔で居間から声をかけてくる。


「なにがないのよー?」


「シナモンー!!シナモンシュガーがない!!」


「そんなもん家にあるわけないでしょ。そもそもシナモンなんて何に使うのよ?」


「カフェオレに入れたり、ドーナツにまぶしたり・・・」


「・・・へーえ。篠宮さんのとこでそんなおっしゃれーな食べ物ばっかり頂いてるわけね」


「ちょ・・・亮誠の家は関係ないよ!いまどき、どこに家にだってシナモンぐらい置いてあります!」


「なによームキになっちゃって・・・母さんは使わないもの」


諦めなさい。と言いきられてあたしはぶすっと不貞腐れる。


「すっごい美味しいんだからね!シナモン!!」


「あーそう。じゃあ、今度買ってきてよ、お母さんも飲みたいわそのなんとかっての」


「・・・・はいはい」


「で、篠宮さんお元気?」


「んー・・・忙しいみたいよ」


「でしょうねェ・・・なんか新店舗を東京の百貨店に出すらしいじゃない。西日本だけじゃなくて、東日本でも事業拡大を検討中って載ってたわよ」


「へー・・・」


「へーってねェ・・・冴梨」


「な・・なによ」


真顔で詰め寄られて思わず後ずさる。


お母さんは真剣な顔であたしを見つめてお説教を始めた。


「テレビ欄ばっかりじゃなくて、社会面や経済面も読みなさい」


ずいっと新聞を差し出される。


・・・すいませんね・・・3面記事すらろくに見ませんよ・・


「会社の話とか、しないの?」


「するわけないでしょうが・・・そもそも、されても分んないし」


「そんなので大丈夫なの?」


「なにが?」


「だって・・・・あなたたち・・一応その・・将来のこと考えてるんでしょ」


「そりゃあ・・まぁ・・・」


「愛情だけで乗り越えられないことなんて、山のようにあるんですからね」


ぐさりと釘を刺されてあたしは新聞片手に項垂れてしまう。


・・・考えないようにしてたのに・・・お付き合いは・・・順風満帆・・とまではいかずとも円満・・だと思う。


亮誠は卒業と同時にやっぱり忙しくなったけれどそれは、あたしも同じだったので。


(大学入学してからも、バイトは続けさせてもらっているのだ)


高校の頃からそんなに生活は変わっていない。


変わったことは・・・たまーに、彼の家に泊まるようになったことくらいだ。


当然、お母さんたちには言えないので桜の家に泊まりに言っていると嘘を吐いている。


たぶん・・・バレてるけど・・・


でも、大学に入ってからいろいろ気付いたことがある。


あたしは・・・結構スゴイ人とお付き合いしているらしいのだ。


それを言えば、もっとすごいのは桜や桜の従姉幸さんだけれど・・・


志堂のように元を辿れば華族というような、旧家ではないけれど篠宮は彼のおじい様が一代で築き上げた、洋菓子メーカーだ。


彼がゆくゆくはそこのトップになる。


考えただけでクラクラする。


・・・だから、考えないようにしていたのだ。


不安になったって仕方ないし、あたしには難しいことは分らない。


亮誠みたいに、経営学や帝王学を学んだこともない。


だからって、それを卑下して卑屈になれるほど落ちぶれてもいないのだ。


あたしに出来ることは、この大学生活をめいっぱい楽しむこと。


亮誠のそばで、いつも笑っていること。


「難しい顔してんなぁ。リクエストのマカロンだぞ?」


運転席の亮誠があたしのことを横目で見ながら問いかけてくる。


久しぶりにゆっくりと会えることになって、バイトが終わる時間にお店まで迎えに来てもらったのだ。


店長たちも、ゆっくりしていけばいいと言ってくれたけれど丁重にお断りして早々に引き揚げてきた。


だって、二人きりで会うのなんて、2週間ぶりだし。


ピンク、グリーン、イエロー。


鮮やかな色のおもちゃみたいなマカロンが詰められた透明の袋を片手にしても、あたしは眉根を寄せたまま。


「・・・会社って大変?」


「は・・?」


「仕事ってストレス溜まる?」


「どーしたんだよ、急に」


意味がわからないといった表情で問い返す亮誠。


そりゃそーだよね。


「・・・・あまりにも、居る場所が違うんだなぁって」


あたしは学校帰りのラフな服装。


けど、亮誠はかっちりしたスーツのままだ。


出会ったばかりの頃は、あたしが制服だったっけ・・・


「それは何、歳の差?それとも?」


「・・・なんか・・いろいろ全部」


「大学で何か言われたか?」


気遣わしげな視線で問われて首を振る。


「ううん・・・なーんにも、いつも通り、怖い位・・・至って平凡な毎日よ」


誰もあたしを特異な目で見たりしない。


昔と何も変わらない日常。


だからこそ余計に、亮誠があたしを、あたしの日常を、守るために色んな手だてを使っているっていうこと。


あたしの知らない場所で。


今なら、幸さんが最後まで浅海さんと桜のことを心配していた気持ちが手に取るように分かる。


”志堂”とう一族に入るということの重み、責任、しがらみ。


“知らなかった”では済まされない厳しい現実が待ってることも。


「・・・怖くなったか?」


あたしの心を見透かしたみたいに、亮誠の手が伸びてきた。


髪を優しく撫でられる。


「・・・不安・・・かな」


「どうせ、また頭でっかちなこと考えてんだろ?」


「・・・どうせってなによ」


こっちは結構本気でいろいろ・・いろいろ・・


「一鷹や浅海さんとこの話聞いて、あれこれ悩んでんだろ?」


「・・・そうだけど・・」


「心配すんな。あそこは特別だ。ウチなんかより歴史も古いし、やってることも手広すぎる。だから、その分ガードも堅くて閉鎖的。一族で会社を守っていくことを第一目的としてるからな。桜ちゃんにしたって不安は尽きないだろうけど・・・お前は違うよ」


「・・・でも・・」


「ウチの親父見てみろよ。社長になったってあんな古い家に独りで暮らしてんだぞ?姉貴にしたって町の小さなケーキ屋に嫁いだ。みんな自由に好きなことしてるだろ?」


「・・・その・・・自由を守るために・・頑張るの?」


あたしは、亮誠のしていることを支えたいのに。


知識不足で、頼りに無くて、いやになる。


「そうだなぁ。会社を背負うことになっても、最低限家族の自由位は叶えてやりたいよ。俺としては、篠宮に入ったことで冴梨に窮屈な思いはさせないつもりだけど?」


親父も、姉貴もみんなそうだよ。と告げられる。


「・・亮誠は?」


「え?」


「亮誠の自由はどこにあんの?」


あたしや、家族のことじゃなく、亮誠が自分の意思で選べる場所。


たぶん、普通の人なら、誰にも構わずいつだって選べること。


「・・・ここにあるよ」


一緒にいる時間のこと?あたしと付き合ってること?


意味がわからずに小首をかしげるあたしの膝の上に置いてあった


指先を彼の左手がそっと撫でた。


「一鷹ほどじゃないけど、かなり無茶して手に入れたしな」


「・・・あたし・・・ですか」


「ウチは、結婚相手くらい自分で探して来いって考え方だったから自由恋愛推進されてたけど・・・それでも、自由に動ける間になんとかお前のこと捕まえようとして必死だったなぁ。あれくらい好き勝手したのは初めてだったから、さすがに姉貴もびっくりしてたけど。まぁ、結果オーライだよな。冴梨はここにいるわけだし」


「・・・・すっごい希少価値あるみたいに聞こえるんですけど・・?」


あたしの質問に、亮誠が笑って頷く。


「あるよ。俺にとっては、一番」


「・・・あたしにどーして欲しいの?」


何を返せばいいのか、分んないよ・・・


「そうだなぁ・・・難しいこと考えなくていいから・・・俺のそばにいてくれよ」


伸びてきた左手があたしの右手の指を絡め取る。


「そんなんでいいの?」


小さく問い返したら爪の先にキスをして亮誠が呟いた。


「それでもう十分だ」

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