第30話 桜ケーキと三年生になったら

窓を開けると、飛び込んできた桜の花びらに気づいて冴梨は声を弾ませる。


いつもならローテンションでぼんやりしている寝起きがけの彼女からは想像もつかない。


布団にひらりと零れてきた薄いピンクの花びらを摘んでみる。


「春だー・・・」


欠伸をしながら、鏡を見るとやっぱりいつもの寝癖。


でも、それもよし。


「冴梨ー!」


階段で声を掛けてきた母親に


「起きてるよー」


と返事をする。


いつもなら、部屋までやってきて無理やり起こされるのに。


クリーニングから返ってきた制服。


コレを着るのも今年で最後。


次の春が来たら、制服を着ることはないんだな。


なんだか改まった気持ちになってしまう。


「あと1年・・・よろしく」


綺麗に整えられたお馴染みのワンピースを撫でて、冴梨は部屋を出た。




★★★★★★




「珍しく目覚ましの前に起きたのね」


目玉焼きの載ったプレートをテーブルに載せながら母親が意地の悪い笑みを浮かべる。


父親は読んでいた新聞から視線を上げて向いに座る娘を見やった。


「冴梨ももう3年生かー」


「最上級生です」


「先輩、リボン曲がってるわよ」


腰に手を当てて言うなり、襟元を直される。


「立派な先輩だこと」


「うるさいなー・・いただきます」


アツアツのトーストに齧りつくと、テーブルに乗せていた携帯が鳴った。


このメール着信音は・・・一人だけ。


”起きてるか?会社行く前に、迎えに行くよ”


起きてるか?・・・


起きてないこと前提なのが悔しいけれど。


・・・寝坊すると思って、送ってくれるつもりだったのね・・・


「篠宮くんか?」


父親からの問いかけにそうですと頷く。


「あーうん。あたしが寝坊すると思って心配してメールくれたみたい」


「学校まで送ってもらうのか?」


「・・・んー・・途中までね」


返事を打ちながら、曖昧に言い返すとコーヒーを口に運びながら、小さな呟き。


「父さんが送ってやってもいいんだぞ」


「・・・おと」


「お父さん」


ぴしゃりと母親から呼ばれて、慌てて新聞に視線を戻す。


冴梨は、パンを飲み込んで急いで立ち上がる。


「明日は駅まで一緒に乗って行ってもいい?」


振り向くと父親が一瞬にして顔を輝かせた。


「もちろん」


その様子を見て、母親が呆れ顔で溜息つく。


「・・・お父さんも、今年中には子離れしてくださね」


厳しい一言に咳払いをひとつ。


「わ、分かってるよ・・・母さん、コーヒーおかわり」


「・・・なみなみ入ってますよ」


人差し指でカップを指されて、父親はバツが悪そうに首をすくめた。





★★★★★★




今時珍しい位校則の厳しい女子高は、髪留め、ゴムの色までもすべて紺か黒と指定がある。


校内で先生に見つからないように、こっそり可愛いアイテムを持つのが生徒の唯一の楽しみだ。


春休み、桜たちと出かけた時に、お揃いにした携帯ストラップ。


りんご、いちご、さくらんぼ。


ピンクのストロベリーが朝日を受けてキラキラしている。


そして、もうひとつ。


亮誠に貰ってから、平日はいつも首から下げているリング。


学校に居る間は、アクセサリー厳禁なので袋に入れて持ち歩いている。


昨日から付けたままだったのを思い出して外そうとした瞬間、インターホンが鳴った。


あれ??


いつもなら、携帯が”着いたよ”の意味でワンコール鳴るだけなのに。


慌ててカバンを掴んで部屋を出る。


玄関先で母親の弾んだ声が聞こえた。


「まあ、嬉しい!!!今日のおやつに頂くわー」


「良かったら感想も聞かせて下さい。まだ試作段階なんで。パッケージとか、見た目とか・・・」


「ええ、もちろん!!篠宮君が、冴梨と結婚してくれたら、いつでもケーキ食べ放題なのよねー」


うっとりとゆめ心地で話す母親の横をすり抜ける。


「なんで?ってこれ、なに?」


手に持ったお馴染みの箱を見て怪訝な顔をする冴梨。


亮誠はいつもどおり、甘ったるい笑みを浮かべて冴梨を見下ろす。


「おはよ。新作の桜ケーキ。せっかくだから食べてもらおうと思ってさ。こんなものでよければ毎日でも届けますよ」


人当たりの良い笑顔で話す亮誠の腕につかまってローファーを履きながら、母親の手にある箱に視線を送る。


桜ケーキ・・・・新作・・・見たいなぁ。


そんな冴梨に気づいて、亮誠が笑った。


「車にもう一個積んであるから、後で見な。そろそろ出ないと遅れるぞ」


「あーほんとだ・・・じゃあ行ってきます」


「はいはい、気を付けてね。篠宮くん、お願いねー」


「はい、お預かりします」


そのまままっすぐ玄関を出ようとした冴梨の腕を母親が引っ張った。


忘れ物でもしただろうか?と眉根を寄せて振り返る冴梨に苦笑しながらリビングを指さす。


「お、と、う、さ、ん」


ああ、そっか。


「おとうさーん!!いってきまーす!!」


声を張り上げると、リビングから父親が新聞片手に顔だけ見せた。


「うん。気を付けてな。」


「お預かりしていきます」


「ああ、よろしく」


両親いつもより丁重に見送られて家を出る。




★★★★★★




桜の花びらが、石畳をピンクに染めている。


カバンを抱えて、空いた手で運転席の亮誠のスーツの袖を引っ張った。


「お花見、行きたいなー」


「お弁当持って?」


「・・・がんばって作るから・・桜が散っちゃう前に行こうよー。お天気良い日にさ」


「うん・・・そうだな、週末出かけるかー。スケジュール調整するよ」


この春から本格的に家業に専念する亮誠の仕事量は、増えることはあっても減ることはまず無い。


忙しい時間を縫って、こうやって来てくれていることを知っている。


冴梨はハンドルを握る亮誠の横顔を眺めて呟く。


「・・・ベランダでお花見でもいいの」


その言葉にちらりと亮誠が冴梨の顔を見た。


そして安心させるように、いつものみたいに頭を撫でる。


「俺の部屋からじゃ桜は見えないぞ?」


「・・・・・」


「だーいじょうぶだよ。花見行く位の時間作れるから、心配そうな顔すんな」


「・・・・うん」


「それより、お前はお弁当作りの心配しろよ」


「卵焼きとタコサンウインナくらい作れますー」


「俺の部屋、卵焼き用のフライパン無い」


それは・・・作りに来いってこと?


横目で亮誠を見たら、にこりと頷いた。


どうやらそういうことらしい。


「・・・じゃあ買い物行かなきゃ。お弁当箱も買わなきゃね」


「冴梨の好きなケーキも持っていこうな」


「ショートケーキと、タルトに、チーズケーキ・・」




★★★★★★




うきうきと指を折る冴梨の顔を見ながら、もう慣れた道をゆっくりと進む。


仕事が忙しいのはどうしようもないけれど、こうやって


冴梨の顔が見られるのだから、早起きも悪くない。


週末はふたりで過ごせそうだし・・・



校門手前の赤信号で止まった拍子に、冴梨の首元に光る指輪に気づいた。


「冴梨、指輪外さないとマズイだろ」


ハンドルから手を離し、冴梨に向き直る。


「あ・・・忘れてた」


慌ててクラスップに手を伸ばすその手を押さえて背中を向けるように促す。


肩から背中に流れる髪を押さえて、銀色の鎖をそっと外した。


「先生に取り上げられるところだった」


ホっと安堵の溜息を吐く冴梨。


「いつもどこにしまってんの?」


「いつもはカバンの中。あ、ちゃんと学校以外の場所では付けてるよ?御守りみたいな・・・」


冴梨が差し出した左手にネックレスを乗せると、その掌を引き寄せて亮誠が指輪に唇を寄せた。


思わず言葉に詰まる冴梨の表情を見て亮誠がケロリと言い放つ。


「お守りだろ?」


「・・・そ・・・そうだけど」


耳まで真っ赤になった冴梨が慌てて視線を逸らした。


跳ねる心臓を押さえるように、胸元に指輪を引き寄せる。


付き合ってそれなりに経つのに、こういう初心な反応は相変わらずだ。


「冴梨が寂しがらないように」


「さっ・・寂しいのは亮誠でしょ!」


唇を尖らせる冴梨に、亮誠がしたり顔で頷いた。


「確かに、そうかもしれないなー」


肩透かしを食らったような顔で冴梨がきゅうと眉根を寄せた。


「何言ってんの・・・あ、そこの角で降りるね」


ちらほらと登校中の生徒が歩道を横切って行く。


校門付近は目立つので、少し手前の目立たない場所で降りるのが賢明だ。


シートベルトを外した冴梨の肩を亮誠が掴んだ。


「なに?」


振り返った冴梨の唇を軽く啄む。


「俺が寂しくないように。ほら、これは友達と食べな。行ってらっしゃい」


紙袋に入った個包装の桜ケーキを手渡して、冴梨の背中を押してやる。


「・・・・・行ってきます」


冴梨は一度だけ亮誠の方を振り向いて、通い慣れた学校に向かってゆっくりと歩き出した。





★★★★★★




「おはよー!冴梨!」


「おはよ」


絢花と、桜が駆け寄ってくる。


「クラス替えも無いことだし、最後の一年もよろしく」


冴梨の言葉に、二人が笑顔で頷いた。

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