第29話 ストロベリー・タイム
都心を離れ、高速を走ること2時間半。
冴梨が部屋に6つも付けた照る照る坊主のおかげか否か。
空は綺麗に晴れている。
朝早く出発したおかげで、渋滞につかまることも無く、予定よりも30分程早くホテルに到着しそうだ。
チェックインの前に、少し寄り道をしてホテルのそばの海岸沿いを走ることにする。
潮風は少し冷たくて、窓を開けた冴梨が首を竦めた。
「わ・・けっこう風きつい!」
流される髪を押さえて、窓を締める。
「荷物置いたら歩いて行ってみような」
海に来るのは久しぶりだ。
亮誠たち住む街には海は無い。
海水浴に行くためには電車を乗り継ぐか、車で移動する他ないのだ。
大型市民プールでは感じられない潮の香りに嬉しそうに眼を輝かせる冴梨を見て、やっぱり連れてきて良かったと改めて思った。
たまにはこうやって遠出するのも悪くない。
パーキングエリアで買ったストロベリーシェイクのストローを噛んで、冴梨が上目遣いにこちらを見てくる。
「疲れてない?」
「運転?」
「そう。ずーっと運転しっぱなしでしょ?」
「心配するな。疲れてないよ」
車を運転するのは好きなのでこれくらいの距離でくたびれたりするわけない。
亮誠の返事に冴梨はほっとしたように笑う。
「よかった。あたしが代わってあげるわけにいかないし・・疲れてたら言ってね?」
ホワイトデーで連れて来たんだから冴梨を楽しませることが第一目的なのに。
「肩でも揉んでくれんの?」
半分茶化して言った亮誠に真顔で冴梨が頷く。
「もちろん!あ、あたしも18歳になったら免許取るからね!」
冴梨の言葉に亮誠は、思わず訊き返す。
「は?免許?」
「うん。運転免許。だっているでしょ?雨の日の買い物とか便利だし・・・亮誠運転するの見てたらあたしもやってみたいなって・・・なんでそんな微妙な顔するの?」
運転手の難しい顔に気づいて冴梨が眉根を寄せた。
「取ってもいいけど・・・絶対ぶつけるぞ」
「軽に乗るから平気だもん」
「ばーか。車の大きさ関係ねえの。姉貴も最初の車廃車にしてるしなー・・・」
「うそ!美穂さんが!?」
「一人でドライブ行くってさんざんゴネて、親父が自分も乗って行くっていい張って。間に入った俺が助手席に乗って一緒に行くってことで話がまとまって・・・」
そこまで言って言葉に詰まってしまう。
★★★★★★
思い出すのもおぞましい。
まだ14歳だった亮誠が初めて”死ぬほどの恐怖”を味わった瞬間。
ギラギラと危険な色に輝かせた目は前だけ見据えて隣に乗る弟のことなんてお構いなし。
掴めない距離感を勢いだけで走るため、アクセルとブレーキの波が車をがんがん揺らす。
頭痛と吐き気に襲われながら必死に両足を踏ん張って
「止めろー!!」
と叫ぶ亮誠に
「男なら黙ってついてこい!!」
と美穂は鬼の形相で言い返した。
ハンドルを切りすぎてガードレールに擦ること3回。
とどめはバックで電柱に激突したことだ。
大きく揺れた視界と今までで一番鈍い音に、さすがの美穂も渋い顔になった。
恐る恐る振り返ったその先には大きな電柱が一本。
「チッ・・・なーんでこんなとこに電柱あんのよ!?」
開口一番言うことそれかよ!?
涙目の亮誠の顔を見た美穂はふんぞり返って言った。
「ど?ちょっとは度胸ついたでしょ?」
・・・・
もう返す言葉も無く重たい溜息を吐いた。
★★★★★★
急に黙り込んだ亮誠の腕を引いて冴梨が言った。
「美穂さんも最初は運転下手だったの?」
「あー・・・まぁ、もう芸術的に・・・・偏見かな・・俺のなかであれ以来女の子は運転ヘタってイメージあるんだよなぁ・・」
真剣な顔でハンドルを握る冴梨を思い浮かべる。
・・・変な感じだ・・・
「免許なんて取らなくていいよ。どっか行きたいとこあるなら俺が連れてってやるし」
「あたしの運転で一緒に出かけたりしたいんだもん」
「・・・俺の運転で行っても同じだろ?」
その方が安全だし、安心だ。
冴梨がどこかに行く時、一緒に行くのは自分でありたいといつも思っているし。
「・・・・今日みたいに遠出したときとか、帰りしなあたしが運転するね!みたいなのとかよくない?」
嬉しそうに言う冴梨。
名案とばかりに自信たっぷりの笑顔。
・・・そりゃそうだけど・・・
実際、冴梨が運転するとなったら俺は確実に気が休まらない。
それこそ昔みたく、手に汗かきながらハラハラして助手席に納まっているに決まっている。
それでも、こんなに嬉しそうに話す冴梨の気持ちを考えると絶対反対とは言えない。
亮誠は左手を伸ばしていつものように冴梨の髪を撫でた。
「まずは俺の家の周りで練習だな」
無駄に広い土地を活用しない手はない。
車庫入れの練習もできるし・・・
「・・・塀とかぶつけるかもよ・・・?」
「姉貴がさんざんブロック塀壊してるから平気だよ。今更お前が擦ろうが、ぶつけようが誰もなんも言わねーよ。ちょうど練習用のオンボロ車もあるしな」
「オンボロ車なんかあったっけ?」
「奥の車庫に入れてある姉貴のお古な。この家に居る頃、姉貴用にって親父が用意したんだよ。小回り利いて、頑丈な姉貴使用の車。アレならどんだけぶつけても平気だろ」
「え・・・でも、美穂さん運転しないの?」
「旦那に半泣きで頼まれたから、もうしないらしーよ」
新婚のころ、亮誠と同じ目にあって以来絶対に美穂に運転だけはさせないと義兄は心に決めているらしい。
亮誠も父親もその方針には大賛成だ。
恵人のためにも、世の中のためにもその方がいい。
「ふーん・・・」
曖昧な返事をする冴梨の髪から手を離してホテルに続く坂道を登る。
小高い丘の上に立っているホテルは部屋から見える景色も観光名物になっているらしい。
駐車場に車を入れて、チェックインを済ませるとちょうどお昼過ぎだった。
女性向けの、有機野菜中心のランチビュッフェでお腹を膨らませた冴梨と亮誠は、部屋で少し休んだ後、今日のメインイベントに出かけた。
冴梨が昔から一度やりたいと思っていた・・・
「あ、コレ!いい感じ!甘そうー」
真っ赤に熟れた可愛いイチゴをつまんで冴梨は満面の笑みを浮かべる。
ビニールハウスいっぱいに広がる甘酸っぱい香り。
一面に広がる苺畑。
季節は春真っ盛りだ。
「デコレーションのど真ん中に飾りたい感じだな」
亮誠の言葉に頷いて亮誠がそんなことを言う。
さすがケーキ屋の息子。
即座にケーキに変換するところが面白い。
「イチゴタルトでしょーミルフィーユでしょー、ジャムでしょー。練乳かけて食べて、シャーベットにして・・・アイスクリームにも出来るかなぁ?」
「持って帰ったら、うちのパティシエに頼んでみるかぁ」
綺麗に染まった赤い実をカゴに入れて亮誠が言った。
「あたしでも作れる簡単レシピを教えて下さいって言っといてー!あ、店長にも何か教えてもらおうかなあ・・」
最近じゃ近所のママさん相手に、簡単ケーキ教室なんかも開いている店長なら庶民向けのレシピを考えてくれるかもしれない。
「ケーキ食いたくなっただろ?」
ふわふらの幸せそうな冴梨の顔を見て亮誠が笑う。
・・・なんでばれるかな・・・
「顔に書いてあるよ・・・ほんっとにお前は嘘つけないなー・・」
「駆け引きとかできなくってすいませんねェ」
「俺相手に駆け引きしてどーすんだよ?」
亮誠が面白そうに訊き返す。
「え・・・それは・・・」
「れ・・恋愛の醍醐味ってやつでしょ?メールの返事をわざと遅くしたり・・・」
「なんかあるたびしょっちゅうメールしてくるのに?」
そ・・・そうだけれど・・・
思わず言葉に詰まった冴梨は、目の前の小ぶりのイチゴを勢いよく摘み取る。
アクセサリーにして首から下げたいくらいキュートな可愛い真っ赤なイチゴ。
「冴梨に駆け引きは無理だろ」
小さく笑って亮誠が冴梨の手を取った。
イチゴを持ったままのその手を口元へ運ぶ。
「・・・・あ・・」
パクリとイチゴを口に入れて、ぽかんと口を開けたままの冴梨のことを見下ろして。
「このまま食べても十分甘いよ」
そう言って、まだ目の前にある冴梨の指先にキスをした。
唇の感触に、指先から心臓に電気が走る。
こんなこと亮誠にしかできない。
甘い感覚に浸りそうになった冴梨は、慌てて我に返った。
いま昼間!!ここには他の人もいるのに!!
「ちょっと、亮誠!!」
こっちの気も知らないで、彼は冴梨の指先をそのまま強く握ってくる。
意識しないようにしても、そんなのは、無理だ。
どんどん上がる心拍数。
冴梨の中の恋する乙女回路が起動していく。
抗えない勢いで体中を支配する。
指先を離して、しっかりと手を繋いだ後で亮誠が前かがみになって冴梨の耳元に囁く。
「回りもカップルばっかで、俺らのことなんて視界に入ってねーって」
言われてちらりと周囲に視線を巡らせる。
少し離れた距離に2組のカップル。
ほんとだ・・・
どちらも手をつないだり、じゃれあったり。
みんな自分たちの世界に入ってしまっている。
この甘い香りがそうさせるのだろうか?
そんなことを考えていると、亮誠が更紗柄の髪をふわふわと梳いてきた。
「安心した?」
「・・・ちょっとは・・・じゃなくって!あ、さっきの話よ!!あたしだってね、駆け引きしようと思えば出来るんだからね!」
微妙に近いこの距離がなんとなく恥ずかしくて視線を合わさないように横を向く。
「ふーん」
全く興味無さげな返事が返ってきて、冴梨はムキなってイチゴに視線をやる亮誠の腕を引っ張る。
「子供だとおも・・」
くるりとこちらを振り向いた亮誠が冴梨の背中に腕を回して引き寄せてきた。
あ・・・・
そう思った時には唇が触れていた。
ほんの一瞬、1秒か2秒。
それなのに冴梨の世界はぐるりと回る。
してやったりといった顔で、亮誠が冴梨のことをそっと離した。
「な・・・・っ」
こんっな公衆の面前で何考えてんのよー!!
叫びだしそうになったのを押し止めたのは足もとの苺畑が目に入ったから。
冴梨がイチゴのカゴを取り落とす前に受け取った亮誠が笑う。
「こーゆーのを、駆け引きっていうんだよ」
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