第26話 ビタートリュフで恋してる

至極真面目な顔で、台所に立つ冴梨を黙って斜め後ろから見守ること30秒。


振り向くことなく、手を止めることも無く。


冴梨は非難の声を投げてきた。


「気が散って集中できないんですけど」


そうは言われても、ここは亮誠の部屋だ。


したがってこの部屋で自由にする権利を当然所有しているわけで。


「そーは言われてもなあー・・・家中こうも甘ったるい匂いすると気になって・・」


「しょーがないでしょ!!チョコレート溶かしてるんだから」


言い返しながらも冴梨は真剣な表情で銀のボールに放り込まれたビターチョコをかき混ぜながら慎重に温度を見ている。


湯せんは温度管理が大事。


店のパティシエたちが口をそろえて言っていた言葉を思い出す。


まあ、理屈は分かるけど・・・


時は2月。


今月最大のイベント、バレンタイン。


は、分かる・・・・がしかし。


こーゆーのは隠して作って驚かすってのがベタなんじゃねーの?


こんな風に目の前で作られると、無視するわけにもいかないし、どうしたって気になる。


冴梨が台所に消えてから1時間。


作ったことは無いにしても、仕事柄その行程や作業を毎日のように見ている亮誠としては、さして珍しいことも無く。


強いて言うなれば頑張ってるなと。


ふーん・・・レシピは姉貴ん家から調達ね。


いつも甘いもので冴梨を喜ばす側だった人間としてはいささか変な感じだ。


「プロに食べさせると思うと、気抜けないの!片思いの相手に渡すよりずっと緊張するし。だから、出来上がるまでキッチン出入り禁止ね!」


ぴしゃりと言われたときは勢いのままに頷いてみたけれど。


やっぱり気になる。


いつの間に揃えられたのか、製菓グッズがシンクに所狭しと並べられているし。


あー・・・そういやこないだ、昼間に姉貴から


『ちょっと荷物置きに行くから』


とメールがあったな。


冴梨がここの常連になるまでは、週に一回はやって来て亮誠の不規則な食生活を何とかしようと躍起になっていた。


『冴梨ちゃんがいてくれるから、もうお役ごめんね。逃げられないように、大事にだーいじになさいよ?』


鼻先に指を突き付けて、腰に手を当てる美穂お決まりのポーズでぴしゃりと言われて。


あーはいはい。なんて流していたけれど。


家の中に自分以外の人間の気配があるのは、落ち着かなかったはずなのに・・・・


冴梨が選んだお気に入りのマグカップや、ミルクシェーカーやキャラクターのスプーン。


亮誠の知らないうちに少しずつ、この部屋に冴梨の空間が広がっていく。


それをすんなり受け入れている自分がいる。


そして、ここにきて再確認する。


やっぱり少しでも早く一緒に暮らそう。


食器でも、シャンプーでも、なんでも好きにすればいいよ。


毎日甘ったるいチョコレートの香りが充満する部屋でも問題なし。


とりあえず、自分が帰ったときこの部屋に冴梨の姿が欲しかった。


眠っていても、起きていても。


「・・・・そんな気張んなくても・・」


ポツリと言ったら勢いよく振り向かれた。


珍しくキッとこっちを睨んでくる。


「あたしはね!甘いものに興味のないふっつーの男の人にチョコレート渡すわけじゃないの!!テストと一緒よ!合格するか不合格か!結果は二つにひとつなの!」


テストって・・・・俺は試験官かよ・・・


意気込みは十分伝わった。


その認識が正しいかどうかはともかくとして。


「んな意気込まなくても、お前が一生懸命作りましたってのが肝心なんじゃないの?こーゆーイベントは気持ちでしょ。冴梨が作るものならなんでも良し」


亮誠としては最大の褒め言葉だ。


なのに相手は浮かない顔でじーっとこっちを見てくる。


「それは何?辛すぎるカレーも、甘すぎる卵焼きも不格好なチョコレートもなんでもいいってこと?」


「俺のために作るんだろ?」


「だから困るんでしょー!!!ケーキ屋にケーキ持っていく心境よ!?絶対亮誠にはわかんないけどっ」


いや、仕事柄ヨソにウチの商品持っていくのは日常茶飯事でそれこそ、味はもちろんラッピングの微妙な違いまでいろいろ気を配ってはいますけどね。


とは思ったが口にはしないでおく。


たぶんいまはこれが正解。


ヒートアップした冴梨には何を言っても馬耳東風。


亮誠は眉間に皺を寄せたままの冴梨の腕を引いて一瞬だけ抱きしめた後あっさりと離れた。


冴梨自身がチョコレートになったのかと思うほど、纏う香りが甘い。


「はいはい、邪魔者は退散するから」


宥めるように背中を叩くとこちらを見上げて


「ぜったい美味しいの作るからね!」


なんでけんか腰なのかは謎だが、キッチンの入口で拳を握る冴梨に頷いてリビングを出る。


ちょっかい掛けたくなる前に、自室へ避難することにした。


廊下のドアを開けるといっそすがすがしいと思えるほどの冷たい空気が流れ込んでくる。


暖房×チョコレートの攻撃は結構な威力だった。


起きっぱなしでカーテンすらも空けていない真っ暗な部屋はひんやりとしていて気持ちいい。


カーテンを空けて、大通りに面した窓を少し開く。


「さっぶ・・・雪降るんじゃねーの?」


入り込んできた痛いほど澄んだ冬の風に首を竦めてパソコンの電源を入れる。


デスクに雑多に並べられた書類の山。


大学の課題ととりあえず2つに積み分けはしているが雪崩が起きたら悲惨だな。


荷物置きにしていた部屋を、春を見越して片付けたので自室が少し手狭になった。


冴梨がいつ一緒に暮らしても良いように、一部屋明け渡す事に決めたのだ。


・・・まーどーせ仕事して寝るだけだしいいか・・・


起動画面を開いてメールをクリック。


昨日の夜から放置しっぱなしだったメールにざっと目を通す。


仕事関係の連絡事項や変更事項を確認していると携帯が鳴った。


液晶画面を見て亮誠は笑いを堪える。


きたきた・・・


極力平静を装って通話ボタンを押した。



「よぉ。どーした?こないだのレポートのことか?」


「やってくれたな」


開口一番物騒な言葉を発した一鷹に、亮誠はすっとぼけて返した。


「なんのことだよ?」


「お前な・・」


「わーかったって。けどな、ありがたがられこそすれ怒られる理由がとんと思い付かねーけど?」


「いつからお前はおせっかいババアになったんだ」


いつも冷静沈着で、物腰穏やかな彼からババアなんて言葉が出ると思わなかった亮誠は、我慢をし切れず思わず噴き出してしまう。


こいつをここまで降り回せるのだから、やっぱり安曇幸という女性はすごい。


「俺はバレンタインというイベントに参加するべくわが社の商品をご購入いただいたお客様に、いつも通りの接客をしたまでだ」


「・・・・・直接会わせたこと無かったのに・・・あの女性ひとのこと知ってたのか」


「以前に遠目からちらっと見ただけだったんだけどな。店に来た時すぐにピンと来たよ。あー、ちなみに言っとくけど、お前にやれなんて一言も進言してないからな?彼女が店に来て、甘いものが得意じゃない男の子でも食べやすいチョコってありますか?って訊かれたからさ。アレは最初からお前用に彼女が用意してたんだよ。ちゃーんとビターの製菓用チョコ薦めてやった俺に感謝しろよ?」


「・・・・お前に感謝とか・・・・・・受け取ったままで、まだ開けられてないんだ」


「感動して?」


「五月蠅いよ」


「お返しが大変だな。嬉しさのあまり勢いあまって指輪とかやめとけよ?」


一鷹が電話の向こうで小さく笑った。


「めちゃくちゃ嬉しいけど、そこまで馬鹿じゃないよ。ここでしくじるわけにいかないから」


亮誠が冴梨を捕まえようとしたの時とは全く違う愛情がそこにはあった。


時間をかけてゆっくりと、慎重に、慎重に。


彼女を包み込むように、一鷹は自分の領域を広げていく。


確実に。


「・・・・幸せになれよ」


それは祈りにも似ている。


こうして共に過ごしてきた自分だからこそ言える言葉。


一鷹を幸せに出来る、そのカギを持っている唯一の人間が、”幸さん”なのだ。


「十分幸せだよ」


心底ほっとするような落ち着いた声が返ってきて、亮誠はハイバックチェアーの背もたれに体を預けた。


「それはそうと、そっちも可愛い冴梨ちゃんが奮闘中なんじゃないの?」


「奮闘どころか、沸騰して追い出されたよ」


「相手が洋菓子メーカーの息子だから、彼女も大変だね」


「好きで生まれたわけじゃないんだけどなあ」


「それは俺も同じだよ。・・・あ、そうだ亮誠、やっと、決めたよ」


一瞬言葉を切った一鷹の声のトーンが静かにって亮誠は黙ったまま次の言葉を待つ。


「父さんに話した。志堂を正式に・・・継ぐことを」


「彼女には?」


「落ち着いたら話すつもりだよ」


あっさりとした口調で言われて、それ以上何も言えない。


「・・・・帝王学は大変だぞ」


「いろいろと頼りにしてるよ、先輩」


「ばぁか。俺よりもっとお前のが背負うもんデカイだろーが」


「欲しいものがあるんだから、仕方ないよ。さっそく、来週から父さんの出張についてフランスに行って来る」


「帰ってきたら連絡しろよ。土産のワインで飲もうぜ」


催促かよ。と笑う一鷹。


廊下のドアが開く音がした。


「亮誠ー?仕事ー?」


弾んだ冴梨の声がする。


孤軍奮闘の成果が出来上がったらしい。


「冴梨の自信作が出来たらしいから切るよ。お前も、もったいぶってないでさっさと食べてお礼にかこつけてお茶くらい誘えよ」


了解。と一鷹の柔らかい声が返ってきた。



★★★★★★




テーブルに置かれたラッピング済みの箱。


ご丁寧にリボンまで巻かれている。


すぐ開けるのに、なんて無粋なことは言わずに包装を解く。


真横に座った冴梨は、両手を膝に乗せたままで、真剣な表情でこちらを見ている。


まるで面接に来た就活中の大学生のようだ。


「どう?どう?」


「そう急かすなって」


赤い箱を開けると、ココアパウダーとココナッツでコーティングされたトリュフが出てきた。


「おー、上手く出来てるよ」


これは本当。


多少形が悪いのはご愛敬。


プロのショコラティエだって完全なまん丸に作れる人間はそう多くはない。


「ほんと!?あ、でも、肝心なのは味だからね」


「お前食べたの?」


「もちろん、何回も味見したわよ!もう気持ち悪くなるくらい・・・」


もう当分チョコは見たくないという冴梨の髪を撫でてココナッツの方を口に入れた。


外側のチョコが溶けると同時に、しっとりとしたビターチョコが口に広がる。


亮誠仕様ということでかなり甘さを押さえたビターチョコは、あっさりとしていて2個目もすんなりいける感じだ。


「うん、美味いよ」


頷いた亮誠の右腕をがっしり掴んで冴梨が、何度も訊いてくる。


「ほんとに!?トリュフになってる!?」


「ああ、なってる、なってる。俺好みの甘さ控えめだし。上出来」


必死になってこちらを見上げてくる冴梨の首の後ろに腕を回して引き寄せる。


唇を合わせると、冴梨が亮誠の右ひざに両手を付いた。


一つに結っていた髪を解くと、彼女の肩に流れてきたそれが指しこむ日差しをいい具合に遮光してくれる。


唇を離した冴梨が端にのこったチョコレートをペろりと舐めて言った。


「あたしはもうちょっと甘いのが好きかも」


「じゃあ次はお前の好きな甘さで作れば?」


「・・・こーゆーのって、食べてくれる相手がいないとなかなか作る気になんないのよ?」


「ブラックコーヒーと食べるから心配するなよ」


したり顔で頷いてやると、ほっとしたように笑った。


「今までで一番緊張したぁ・・・来年はいっそのこと二人で作る!?」


名案とばかりに目を輝かせて身を乗り出してきた冴梨の額を弾いて亮誠は呆れ顔になる。


「はあ?俺に薄力粉やベーキングパウダーの分量測れって?」


「あたしより詳しいんだからいーじゃない。そうしたら、あたしも気兼ねなく食べてもらえるし。一緒にするのも絶対楽しいよ?」


勘弁してくれよと思いながらも、期待度大の瞳で見つめられて、仕方ないかなんて思ってしまう。


「・・・考えとく」


「前向きにね?今時のカップルは、家事も半分づつ負担とかいうじゃない!?あたしアレ大賛成」


そう言って自分専用のマグカップに口をつける冴梨は殊のほか嬉しそうで。


そりゃあ、お望みとあらばゴミ捨てや、風呂掃除も手伝いましょう。買い出しには付き合うし、たまには豪華な外食にでかけるのもいい。


・・・・・いや、待て、それ以前に。


「それはお前がこっちに住んだらっていう話?」


肝心なのはそっちだよな。


ソファの背もたれに肘を付いて冴梨の横顔に問いかける。


「・・・・・春から分別ごみの回収方法変わるって知ってる?」


いや、それは初耳だけど・・・・


「分別用のゴミ箱欲しいし、ランドリーのカゴも欲しい」


ちらりとこっちを見て呟いた冴梨。


っていうことは・・・


「冴梨の好きな色のカーテン買いに行こうな」


亮誠の言葉に冴梨が迷うことなく答えた。


「モスグリーンとオレンジのやつ!」

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