第25話 次の春と綿あめキス

冴梨に言った同棲発言は、軽い気持ちなんかじゃなかった。


これまでの恋愛遍歴を振り返ってみても、一度だって付き合った女性と一緒に暮らそうと

思ったことのない亮誠にとっては、驚くべき事態だ。


口をついて出たあの一言は、実は前々から考えていたことだった。


冴梨との交際を一時しのぎの通過点で終わらせるつもりはさらさらない。


こちらの意思も基盤も整っている。


美穂は勿論父親も、亮誠が冴梨以外の相手を伴侶に選ぶとは考えていない。


篠宮の家では、もう冴梨は身内同然の扱いなのだ。


大学卒業と同時に経営陣の仲間入りをする亮誠の身辺が騒がしくなるのは必須。


そうなった時、一番に白羽の矢が立つのは間違いなく亮誠の結婚相手だ。


選ばれたのは一般の女子高生。


これだけで十分話題になる。


幸い厳格な私立のお嬢様学校ということもあって公立高校のように、報道陣が取り囲むといった事態にはならないはずだ。


それでも、最後の高校生活は今まで通りのんびりと送らせてやりたいと思っていた。


そのために、必要な采配は振ってきたつもり。


それでも・・・


「着物ほんとに着替えなくていいのか?親父の言葉は気にしなくていいんだぞ?」


初詣を終えて、再び助手席に納まっている冴梨をちらりと見る。


”振袖で来てくれると嬉しいなあ”


親父が年末言った一言を気にしているのではないかと思ったのだ。


母親が生きていた頃、新年を迎えるときはいつだって着物で過ごしていた。


・・・だからって冴梨にまでそれを求めることないだろ・・・ただでさえ着なれない振袖で歩くのも危なっかしいのに・・・


「だって、年に一回だよ?お母さんがせっかく綺麗に着せてくれたんだもん。いろんな人に見てもらわないと」


色んな人ね・・・


とりあえず人ごみに連れ出すつもりは皆無なのだが突っ込まれそうなので言葉にするのをやめておく。


他の男の目に留まるなんて冗談じゃない。


来年はあれだ。


親父のお屠蘇に付き合うときだけ着せてやって出かける時には着替えさせよう。


「親父のことだから色々食べるもの用意してるだろうけど・・」


「わーかってますって。着物だもん、ばくばく食べたりしないわよ?それどころかお茶飲むのも大変なのに・・・お母さん着崩れしないように帯ぎゅうぎゅうに結ぶんだもん・・・」


胸元を押さえて深呼吸する冴梨。


「いつもみたいに凭れられないしな」


「帯崩れちゃうもん」


助手席の座席を一番後ろまで下げて、乗り降りしやすいようにしては見たものの、やはり着物は見た目以上に窮屈らしい。


亮誠には理解不能な複雑な形に結ばれた帯。


これ、どーやって脱ぐんだろ・・・・


ちらりとそんなことを考えて、慌ててその考えを打ち消す。


「洋服に着替えたら思いっきりケーキ食べたいなー」


うっとりと眼を細める冴梨。


さっそく甘いものに話題が移るところが彼女らしい。


「家に行ったら新作から、売れ筋の焼き菓子まで山ほど用意してあるよ。いくらでも持って帰れよ」


「ほんと!?」


「ただし、車に乗るだけな」


「!そんなに食べないでしょー!」


「どーだか」


笑った亮誠の腕を冴梨が叩く。


振袖の袖の蝶と桜の模様がひらひら揺れた。


「おじさまの前ではちゃーんとおとなしくしてますよ」


「あ、そうだ。お前勧められても、甘酒も、日本酒も口付けるなよ」


ウィンカーを出して右にハンドルを切る。


お昼の時間帯のせいか道は空いていた。


すぐに閑静な住宅街に入る。


亮誠が生まれてこのかたこの辺りが騒がしかったためしがない。


高い塀に囲まれた、セキュリティ万全の家ばかりが続く。


鏡を取り出して、前髪を直していた冴梨が声だけで尋ね返してきた。


「なんで?甘酒くらいいーじゃない」


そういう問題じゃない。


「親父は一度飲んだら見境なく飲まそうとするんだよ。新年早々ふらふらのお前を送って帰れるか」


冴梨の両親に申し訳が立たない。


それに、彼女は今年やっと18になる。


当然のことながら、酒も、煙草も知らない。


そういう楽しみをなんで俺の親父が俺より先に教えるんだよ?


「卒業したら、嫌ってほど飲ませてやる」


「そんなの一年以上先じゃない」


家の前に辿り付いて、リモコンでガレージを開ける。


その隙に、頬を膨らませている冴梨の手首を引いた。


何か言いかけようと開いた唇を塞ぐ。


さっき買ってやった綿あめの甘ったるい味が広がった。


「卒業してからの楽しみができるだろ?めちゃくちゃ美味いの、飲ませてやるよ」


これは本当だ。


「あっまいやつね?」


「綿あめくらいな」


俺の言葉に顔を赤くした冴梨が、あ。と声を上げて亮誠の唇を冷たい親指でぬぐった。


「グロス付いちゃった。塗りなおしたところだったの、ごめんね?」


ほのかに甘い香りがしたのはこれだったのか・・・


でも、冴梨がこういうことをするのは珍しい。


何気に亮誠の口元を確認していた冴梨が、思い出したようにまた赤くなった。


慌てて引っ込めようとした右手に自分の右手を絡めると、白と赤で彩られた爪の先にキスをひとつ。


「心配しなくても、ちゃんとワインの種類も日本酒の美味さも教えてやるよ」


「・・・そういうのってズルくない?」


伏し目がちに言い返してきた冴梨の手を強く握って言い返す。


「どこが?お前より早く生まれてるんだから普通だよ」


「ちょっと年上だからって・・・」


「まあ、この先一生冴梨に年を追い越される事は無いな。何かしたいことがあるなら、年長者にちゃんと相談するように」


生真面目に言ってみせれば、冴梨が珍しくはーい、と素直に返事をした。


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