第22話 ホワイトチョコの誘惑
「冴梨ちゃーん、クリスマスってどーすんの?」
冬の最大イベントを間近に控えた木曜日。
予約用のケーキの製作準備で大忙しのバックルームで美穂が砂糖菓子の個数をメモしながら訊いてきた。
冴梨はコーティング用のブロックチョコの計数をしながら答える。
「16、17・・・17っと。土曜日クリスマスデートなんですよー」
恋人と過ごす初めてのクリスマスに浮かれない訳がない。
バイト代で買った、プレゼントのブレスレットは、悩んだ挙句ペアのものを選んだ。
恋人同士ならではお揃いに渡す前から心臓が破けそうになった。
「付き合って最初のクリスマスかー懐かしいなあ・・・私と旦那の最初のクリスマスは徹夜でケーキ仕上げて、ふらふらで売れ残り食べただけだったなあ・・・朝帰りして、お父さんに怒られて・・ふふ・・・今じゃすっかり家族でクリスマスだもんねー」
クリスマスはホールのシフォンケーキを特別デコレーションで予約販売しているらしい。
休憩中の店長と、恵人がはしゃぐ声が聞こえてくる。
すっかりお父さんとお母さんのふたりしか知らない冴梨には想像できない。
恋人同士のころの二人はどんな風だったんだろうか。
「初めてのクリスマスは、絶対忘れられないからねー。楽しい思いでいっぱい作ってくるのよ。あ、でも、日付変わるまでには帰ること」
念を押されて冴梨は勿論ですと頷く。
お泊まりなんてとんでもない!!
亮誠と付き合い始めてすぐに、律儀に彼は冴梨の母親に挨拶にやって来た。
責任を持ってお付き合いしますと誠実な態度を貫いた亮誠の印象は百点満点で、母親は篠宮の名前を抜いて亮誠自身を大いに気に入っている。
なので、バイト帰りに彼が送ってくれることも、休日遊びに連れて行って貰うことにも大賛成だが、お泊りだけは認めていない。
高校生の間はきちんと節度あるお付き合いをしなさい、という冴梨の母親の意見に、誰よりも冴梨自身が大賛成である。
ただ、母親からクリスマスだけは、日付が変わっても良いわよと許可が下りていた。
期待したいようなしたくないような、恋心は何とも複雑だ。
悶々とする冴梨を呼ぶ声が聞こえて来た。
「冴梨ー」
亮誠がいつものように入ってくる。
「もーちょっと待って!!」
「恵人は2階よ」
美穂の言葉に頷いて、上で待ってるよと言って亮誠が階段を上がっていく。
すれ違いざまに、冴梨は彼に染みついた煙草の匂いに顔をしかめた。
亮誠が気分転換に時々煙草を吸っている事は知っていた。
車で煙草を見つけたからだ。
冴梨の前では禁煙を続けている彼だけれど、最近煙草の匂いがきつくなっている事が気掛かりだった。
時計を見ると20時半すぎ。
うちのような個人経営のケーキ屋でこの忙しさだから、亮誠の会社はきっともっと忙しいに違いない。
それでも、1人で帰ると言ったら怒られることは確実なので、結局甘えてしまっている。
会えるのは嬉しいし、ちょっとでも一緒にいられるように努力してくれてる亮誠には、本当に感謝しているけれど。
無理させちゃってるんだろうな・・・
片づけを終えて着替えた後で2階を覗くと、すっかりお眠状態の恵人を膝の上に乗せた店長が振り向いて、人差し指をたてた。
頷く冴梨に、亮誠が立ち上がる。
静かに階段を下りて、美穂に手を振って店を出る。
「車冷えてるなー」
ドアを開けた亮誠が言った。
「ひざ掛けあるもーん。あ、煙草の本数増えたでしょ」
車内もどこか煙草臭い。
指摘されることが分かっているはずなので、これでも窓を開けて空気を入れ換えている筈である。
何本吸ったの?と問いかけて、止めた。
言い合いになるのは目に見えている。
「ごめん、ごめん」
「仕事忙しいんでしょ?」
「まー、一年で一番忙しい時期だからな。つーか今忙しくない会社はマズイよ」
冴梨の不安そうな顔をチラリと見た亮誠が安心させるように笑って髪を撫でて来る。
後ろ頭を包み込んだ掌が、肩口で揺れる髪を攫って背中へ流した。
いつも通りの優しい手つきに安堵する。
「大丈夫だって、土曜は絶対休みだし。ちゃんと冴梨の言ってた観覧車も乗りに行こうな」
「無理させてる?」
「・・・無理は承知でやってんだから。クリスマスは頑張った人間へのご褒美だろ?それまでめいっぱい働けってことだよ」
「だって亮誠忙しくなると、絶対煙草の本数増えるでしょ?」
「会議とか打ち合わせが続いてたからつい吸いすぎたのは認める。年末になったらちゃんと本数減らすから」
「・・・見張っとこうかな・・・」
「泊まりに来りゃいーよ」
「何冗談言ってんのよ!」
腕を叩いて冴梨は声を張り上げる。
亮誠が真顔で言った。
「冗談じゃなくて」
「・・・・」
思わず言葉に詰まってしまった。
母親からの帰宅遅延許可が頭を過る。
いや、でもだからってどうにかなるってわけではない、はずだ。
そんな冴梨の表情を見て亮誠が苦笑いをした。
「冗談だよ」
「・・・そ、そのうち泊りに行く」
冴梨の中の勇気総動員で言った。
顔真っ赤。頭真っ白。
でも、これが精一杯だもん!!!
亮誠の手が伸びてきて、冴梨の熱くなった頬を引っ張る。
「気長に待っとく」
「・・・そんなに待たせないわよ!!」
「ふーん・・・」
いっ言ってしまった・・・
冷や汗をかいてももう遅い。
亮誠が意味深な笑みを浮かべた。
★★★★★★
「あーらおめかしさん」
姿見の前で難しい顔をする冴梨の後ろから母親がひょいと顔を覗かせる。
遠慮なしに圧し掛かられて、必死に両足で踏ん張った。
最近横に膨らみがちな母である。
「ちょ・・・ちょっと遊びに行ってきます」
「どちらへデート?」
「いっ色々っ!!」
「今日帰ってくるの?」
「当たり前でしょ!!!」
「あらそ。だ、そうですけど、篠宮さん」
母親が冴梨から離れて廊下に向かって言った。
はい!?
慌てて廊下に飛び出す。
玄関には苦笑交じりの亮誠が立っていた。
「今日中に送り届けるように極力努力します」
「なっなな・・・」
言葉にならない冴梨の背中を押してまあそうですかと母親が言う。
「上着とカバン、玄関に置いておいたから。お母さんも、今日はお父さんとデートだからね。はい、じゃあ行ってらっしゃい」
「お預かりしていきます」
「お願いいたします」
軽く頭を下げた亮誠に、にこにこと手を振る母親が頑張ってね!と微笑む。
ええええー!!!
亮誠がすでにカバンと上着を持っていてくれたので、冴梨はべロア生地のお気に入りの靴を履くだけだった。
玄関を出てすぐに、亮誠が振り返る。
「おめかしさん?」
「きっ聞いてたの!ってかいつからいたの!?」
「混むと思って早めに出たら、裏道ガラガラでさ。ちょっと早く着いたんだよ。そしたらちょうどお母さんが出てきて、挨拶したらどうぞって言われてな」
お気に入りの真っ白のワンピース。
何でも雑誌によると、女の子は恋をするとワンピースを着たくなるらしい。
そう言われてみれば、最近やたらとふわふわしたワンピースばかり買っている気がする。
「・・・可愛い?」
意を決して尋ねてみる。
クリスマスだもん、これくらい許されるだろう!!!・・・たぶん・・・
「うん。可愛い」
笑顔と共に右手が冴梨の髪に伸びてきて、寸前で止まる。
「触ったら怒るよな?」
コテを使って巻いてハーフアップにしたまとめ髪。
不器用な冴梨の頑張りは、数本のピンで押さえられて何とかその形を保っている。
「うん」
即答した冴梨に、亮誠が笑う。
車に乗り込むと、同時に亮誠が冴梨の肩を引き寄せた。
「じゃあこっちにしとく」
「え」
右頬に降ってきたキスに冴梨が反応するより早く、上機嫌の亮誠は車を走らせる。
「住宅街なのよー!うちの家!!!」
必死の叫びも虚しく、亮誠はあっけらかんと答える。
「だーいじょうぶだって」
「だいじょばないー!!!」
「噂になったら責任とるから」
「どーやって責任とんのよー!!」
「・・・・まあ、色々」
意味深発言に冴梨は顔をしかめる。
聞きたいような聞きたくないような・・・
「いろいろって?」
「言ったら叫ぶから、まだ秘密」
「・・・・意地悪」
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