第21話 ジューシーいちごの魔法
街を彩るイルミネーション、クリスマス一色のショーウィンドーから視線を戻し、手元の資料に目を通す。
クリスマスのすぐ後に控えていている新年の福袋の準備も7割方終って、やっと一息つくことができた午後17時。
会議を終えてオフィスに戻った一鷹の携帯が鳴った。
斜め向かいで煙草に火を付けた浅海がチラリと携帯に目をやった。
「一鷹」
いつもは役職で呼ぶ彼が、ふたりのときは常に昔と同じように自分を呼んでくれる事を一鷹は心から嬉しく思っていた。
手に持っていた資料を下ろして一鷹は携帯に手を伸ばす。
そして目を見張った。
「もしもし?」
慌てて携帯を耳に当てた一鷹を見て目元を綻ばせた浅海は、殆ど吸っていない煙草を灰皿に押し付けて立ち上がる。
気を利かせたつもりらしい。
「イチ君?」
少し間延びした、柔らかいけれど凛とした声が届く。
この世で一番聞きたい声。
「俺以外はこの携帯出ませんよ」
疑問系で呼ばれたのでそう返すと小さな笑い声が聞こえた。
「クセねー。つい確認しちゃうのよ。いま、忙しいかしら?」
「大丈夫ですよ。幸さんこそ、年末年始の準備で大変でしょう?」
アパレルに勤める彼女の多忙さは同じような業種なのでいやというほど分かっていた。
毎年この時期は納期と出荷指示に追われて休みなんて殆どないはずだ。
「とりあえず、福袋300個の準備はなんとか目途がたって、今一息入れたトコなの」
「ご苦労様」
「そっちこそ忙しいでしょう?」
「おかげさまで」
「無理しないでねー。佐代子さん心配してたわよ?殆ど仕事部屋で寝泊りしててろくに本家に戻ってこないって」
「どうしても仕事場に近いほうが動きやすくって・・・」
この2週間は一度も本家に戻っていない。
母親からはマメにメールや電話が入るが、佐代子は一鷹の忙しさを良く理解していたので連絡をしてくることはほとんどなかった。
「その気持ちも分かるけど・・・佐代子さんから、めずらしく電話が架かってきてイチ君の様子を確認して欲しいって・・」
幸の言葉に一鷹は思わず返答に詰まる。
佐代子さん・・・俺が一番して欲しい事をドンズバで突いてくるのがすごい・・・・
両手を挙げて完全に降参ポーズをしてしまいそうだ。
疲れも一気に吹っ飛ぶ最強の特効薬。
これは、本家に戻る日には好物の和菓子でも持って帰らなければなるまい。
「そう・・」
曖昧な返事を返す一鷹に幸は続ける。
「遠慮せず直接電話したらって言ったのに佐代子さんたら、絶対あたしに架けろって・・何でなのかしらね・・・」
「さ・さあ・・それより、佐代子さんの方は元気そうでした?寒くなると腰が痛いっていつも言ってるから」
咄嗟に話題を変えた一鷹の動揺は幸いにも幸には伝わらなかった。
「風邪もひいてないし元気そうだったわよ」
いつもは、有り得ない位鈍感なくせに妙なところで勘が鋭い彼女に内心ヒヤヒヤしながら一鷹は口を開く。
「よかった」
「あ、それでね。佐代子さんにクリスマスのお誘いを受けちゃって、イブの日に遊びに行くと思うから。あー・・・イチ君イブって忙しいよね?」
「帰りますよ!」
思わず大声で言ってしまう。
会議があっても夜には戻れる。
とゆうか、他の予定があっても絶対に時間を作る。
いま、そう決めた。
「そ・・そう?」
「あ、ええっと・・・元々戻る予定にしてたんですよ。仕事が入っても夜には戻ります」
「うん。なんか、今年はとびきり美味しい特製ケーキを用意してくれてるんだって。今からすごく楽しみなの!イチ君接待とか入ってもケーキ分くらいはお腹開けて返ってきてね。折角なら3人一緒に食べたいでしょう?」
「・・・善処します」
自分からだと伝えられなくても、こうして間近で喜んでいる声を聞いて表情を見ることが出来る。
それだけで十分だ。
「うん。多少遅くなっても待ってるから」
他意はないことは分かっている。
それでも”待ってる”の言葉は一鷹の胸にまっすぐに響いた。
湧き上がる幸福感。
どんどん欲深くなりそうだ。
「幸さんがケーキを前にしてお腹すかせてるのは申し訳ないから、急いで帰りますよ」
「だ、大丈夫よ!ちゃんと待ってるわよ!!」
慌てて言い返してきたその必死な口調に笑ってしまう。
「20時には戻りますから」
「あ、じゃあチキン買ってきてくれる?サラダとシャンパン用意しておくから!」
嬉しそうに言う彼女。
これじゃあまるで。
「ホームパーティーみたいですね」
「そーよー。本家でするクリスマスパーティー。分家の人たちが聞いたらこぞって参加したがるでしょうねー。時期当主との繋がりを持ちたい人は山ほどいるもの。でも、今回は3人だけよ」
「じゃあこっそりしましょう」
「こっそり?いいわねぇ」
弾ける様な笑い声が返ってきた。
「インフルエンザ流行ってるみたいだからくれぐれも体調管理には気をつけてね。イチ君人の心配はするくせに、自分のことになると無頓着なんだから」
「幸さんも、すぐ喉枯れちゃうんですから薄着しないであったかくしてくださいね」
いつだったか、真冬の雪の降る日に厚手のコートの下に半袖のモヘアのセーター一枚で本家に現れたときには佐代子さんの大目玉を食らっていた。
「そんな薄着じゃ風邪をひきます!!」
古い家は隙間風が吹き込むし、ムダに広いので暖房もあまり効かない。
佐代子が仰天したのに対して幸はあっけらかんと笑った。
「室内だから大丈夫」
そんな彼女がくしゃみをしたのはそのすぐ後で、一鷹が慌てて羽織るものを取りに部屋に戻る羽目になった。
「また薄着してきたら佐代子さんに怒られますよ」
「あー・・もうあんな前のことまーだ覚えてるのね?だって本家があんなに冷えると思わなかったんだもの。うちってマンションだし、廊下で吐く息が白いなんて信じられなかったわ」
「カイロ用意しておきましょうか?」
「だーいじょうぶよ。完全防備で行くわ」
気合たっぷりで言う幸に頷きながら一鷹はやっぱり上着を用意しておこうと思った。
それほど酒に強くない彼女のことだ、シャンパンと社長秘蔵のワインでぐっすり眠ってしまう事も十分に考えられる。
クリスマスの朝、目が覚めたら幸が台所で佐代子と朝ごはんを食べているなんてことも有り得るかもしれない。
ほのかな期待を寄せつつ窓の外を見下ろす。
「美味しいチキン買って帰りますね」
「クラッカーなんて鳴らしてみる?」
「佐代子さんがビックリしますよ」
「それもそうね。じゃあ、イブの夜本家で待ってるからね」
イブの夜あの人ごみをチキンの入った箱を片手に急ぐ自分を思い浮かべて一鷹は頬を緩めた。
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