第20話 ふかふかスポンジに願いを
他意は無いと分かっていても、彼女の一挙一動に振り回されるのは、片思いをする者の務めである。
「佐代子さんこれ、どう思う?」
夕飯の後片付けをする見慣れた後姿に声を掛ける。
幸が本家に来るたびにこの、古びた小さな台所で過ごすようになってから一鷹にとってこの場所は、通り過ぎる場所からくつろげる場所へと変わっていた。
食事はダイニング、食後は応接か和室。
そう決まっていたのに、今ではこっちに戻ると3度の食事は台所で佐代子と話をしながら摂るようになった。
嬉しそうにその日の出来事を話す佐代子の顔を見ていると幸がちょくちょく本家に顔を見せる理由が分かるような気がした。
良い人生を歩いてきた人のみが持ち得る、絶対的な安心感が彼女にはあった。
それは普段の会話の中にほんの少しずつ混ざって一鷹や彼女の記憶の中で優しく輝く。
彼女の人生の半分も生きていない自分なんかじゃ到底適わない佐代子の安心感を求めて幸はここに足を運ぶのだ。
いま、幸に、一鷹と佐代子を天秤にかけられたら、間違いなく佐代子の比重が重い。
いつかは、それを覆せる日が来ると信じて疑わないけれど、やっぱり彼女の悩みや不安を取り除くのは自分でありたいと焦る自分もいて、特に毎年この時期はいつも以上にナーバスになってしまうのだ。
タオルで手を拭きながら振り返った佐代子は一鷹がテーブルに載せた写真をまじまじと見つめた。
「まあ、おいしそうなケーキ」
嬉しそうに言って一鷹の向かいに腰を下ろした佐代子は、並べられた写真を手に取った。
「幸お嬢さんに・・・ですか?」
「お嬢さんて言ったら怒られるよ」
戸籍上は志堂の姓から抜けている彼女は確かにお嬢さんでは無い。
けれど、今は亡き幸の母親をずっと見てきた佐代子から見れば彼女はまぎれもなくお嬢さんであるらしかった。
「お嬢さんはやめてください!」
最初の頃の幸の必死な説得を思い出して笑ってしまう。
生まれてこのかたお嬢さんなんて言われた事無いのに!!!
真っ赤になって怒鳴ってたっけ・・・
思い出し笑いを零す一鷹の顔を見て佐代が目を細めた。
「毎年大変ですね」
「・・・・趣味ですよ」
「まあ、そんなことおっしゃって」
嗜めるように言われて苦笑する。
間違った事言ったつもり無いんだけどな。
彼女を喜ばせるのが好きなんだから。
義務や責任じゃなく、ただ自分の勝手な意思でしていることだ。
「亮誠が、今年は特製ケーキを作るらしいんで、乗っかってみることにしたんですよ」
佐代子が食器棚から湯飲みを取り出す。
台所の隅で石油ストーブに乗せられたやかんのフタがカタカタと鳴った。
「亮誠さんが?」
ヤカンの湯を急須に注ぎながら佐代子がきょとんとした。
そりゃそうだろう。
これまでも亮誠を知っている人間なら誰もが耳を疑うはずだ。
学生時代からしょっちゅう本家に遊びに来ていた亮誠は、当然ながら佐代子とも顔見知りである。
大人しい一鷹とやんちゃな亮誠の組み合わせに最初の頃は戸惑っていた佐代子も、二人の境遇を理解してからは、母親代わりのように彼らを見守るようになった。
クリスマスは仲間内で派手にパーティーもしくは、会社、店舗に入り浸り。
どちらかの選択肢しかなかった男が今年はひと月前からクリスマスプレゼントの手配に奔走している。
「可愛い彼女の為に、世界で1個のケーキを作るって」
「亮誠さんを射止めたのはどんなお嬢さんなんですか?」
「普通の良識ある一般家庭で育った女子高生だったよ。ただ、ちょっと向こう見ずなところがある子かなぁ・・・」
初対面の威勢のいい啖呵を思い出す。
ああいう場合、彼女ならどうするだろう。
友達を背中に庇っても、絡んできた相手にケンカを売るようなマネはしない気がする。
むしろ退路を見つけて何とか切り抜けようとするかな?
どっちにしても無茶はしない。
あ・・・そうか・・だから俺は頼ってもらえないのか・・・
一鷹と二人でいたって、まず彼女は自分が前面に立とうとするから。
可能不可能関係なく。
ただ大切な従姉弟である一鷹を守ろうとするのだ。
「じゃあ目が離せませんね」
的を得たセリフに思わず頷く。
片時も離れたくない。
亮誠の言葉の端々に見え隠れする感情は純粋な保護欲だった。
「俺もそんなこと言える日がいつか来るのかな・・・」
ひとりごちると、佐代子が優しい顔で湯飲みを差し出してきた。
「今も十分目が離せないでいるじゃありませんか。忙しいのに無理して週末のたびに本家に戻っていらして」
「佐代子さんの顔見るためだよ」
これは嘘じゃない。
忙しい両親に替わってずっと世話をしてくれたこの人は、一鷹にとってもう家族同然の人なのだ。
「半分は幸さんに会うためでしょう?」
「・・・半分ね・・・・佐代子さんに嘘つけませんよ・・・」
「当たり前ですよ」
使い込まれた古い湯のみを口に運んで佐代子は目を閉じる。
「今年もケーキは私が用意したことにしていいんですか?」
「お願いします」
「・・・分かりました」
苦笑交じりの笑みを浮かべて一鷹の目をまっすぐ見つめる。
「幸さんが喜ぶケーキを選ばないといけませんね」
「それで、俺がいないときの幸さんの感想とか聞きたくてこの写真持って来たんですよ」
亮誠が試作品として作成指示を出したケーキは4点。
それぞれ形も、大きさも異なるケーキ。
共通していることは、幸の好きなフルーツが使われていること。
「クリスマスだし、ホワイトチョコがいいのかな?」
「でも、幸さんのお好みは普通のミルクチョコですからねぇ」
「じゃあ、スポンジをココア生地にするとか?」
「そうですねぇ・・・」
二人で小1時間相談をして、結局今回は、チョコレートケーキにしようという話になった。
ベリー系のフルーツとココア生地。
デコレーションは控えめにしてココアパウダーと生クリームで仕上げるシンプルなケーキ。
亮誠宛てのメールを打っていると携帯が鳴った。
液晶の表示を見て一鷹は慌てて携帯を開く。
直前にひとつ息を吸った。
「もしもし?」
「イチ君?」
この呼び名で呼ぶ人はこの世でたった1人だけだ。
代わりのいない大事な人。
「いま忙しい?」
「大丈夫ですよ」
「良かった・・・あのね・・・来月お父さんの誕生日なのよ。それで、タイピンをプレゼントしたいんだけど、お店一人じゃ行きにくくって。海外だから早めに送らないと間に合わなくて・・・もしよかったら、視察を兼ねてデートしない?」
「そーゆーことなら喜んで付き合いますよ」
視察なんてそっちのけでいくらでも付き合うのに。
口を突いて出そうになった言葉を慌てて飲み込む。
幸の嬉しそうな声が携帯越しに綺麗に届いた。
向かい合ってこの笑顔を受け取れる日が来る事を祈りつつ、
待ち合わせの日取りを決める。
今年のクリスマスは穏やかにすごせそうだと思った。
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