第17話 パンケーキと彼の部屋
亮誠の部屋に入るなり、冴梨はフローリングに放り出されたままの小さなキーボードを見つけて飛びついた。
「何でキーボードがあんの!?」
「こないだ恵人がピアノ弾きたいっていうからさ、おもちゃ屋に買いに行ったんだ」
「へー・・・恵人くん弾けるの?」
「チューリップとキラキラ星は上手かったぞ」
「すごい!あたし全然弾けないからなーちっちゃい頃ピアノ習いたいってお母さんに言ったら、問答無用でお習字教室にいれられたし・・・」
「なんで習字?」
「ピアノはお金掛かるし、うちはマンションで部屋にピアノ置く場所が無くて。それに、あたしは飽きっぽいからどーせすぐに辞めたくなると想ったんだって」
「へー・・」
我が母ながら、よく娘の素質を見抜いていたと思う。
バイエルなんかすっ飛ばして当時流行ったアニメ主題歌を必死で弾こうとした冴梨なのだ。
習っても、すぐに成果が出なくて飽きてしまったに違いない。
おかげで冴梨のピアノのレパートリーは、3曲程度だけど。
電源を入れて、適当に音を鳴らす。
色んなボタンがあって、パイプオルガンやバイオリンなんかの音も出る。
でも、やっぱりピアノの音が好きだ。
ドレミを繰り返していたら、亮誠の手が伸びてきた。
慣れた手つきで鍵盤を叩く。
エリーゼのために・・・?
聞き慣れた曲が、CDで流したように正確に演奏される。
「ピアノ弾けるの!?」
「姉貴と一緒に一時期通ってたからなー5年くらい通ってたんじゃないか?姉貴は10年以上やってたからもっと上手いよ。今度リクエストしてみな」
「すごい!!見直した!!」
ピアノと亮誠は絶対に結びつかない。
剣道をしていたことは聞いていたけれど、まさかピアノまで習ってたなんて・・
冴梨のセリフに亮誠が意地悪な笑みを浮かべる。
「見直されたくない」
「・・・じゃあ見直さない」
そう言い返して鍵盤に向かう。
キラキラ星なら弾けるはず・・・
遠い記憶を手繰り寄せて、ドドソソララ・・と音を重ねる。
「猫ふんじゃったも弾けないんだよねー・・・いつかピアノ弾けるようになりたいなって思ってた」
何となく憧れたものだ。
合唱コンクールの伴奏や、ピアノの発表会。
いつもその他大勢にまぎれていた冴梨には、縁の無い話だったけれど。
今でも時々お昼休みに桜に強請って音楽室でピアノを弾いて貰ったりもする。
そうしたら、絢花と桜から歌えとせがまれるのだが。
「教えてやろっか?」
途中で止まったキラキラ星を引き継いで弾きながら、亮誠が言った。
「教えて欲しい!・・・けど怒られそうだからやめとく・・・」
恋人同士としての相性は悪くは無い筈だけれど、先生と生徒としての相性は、微妙な気がしてならない。
「優秀な生徒には怒んねーよ」
どう考えても冴梨が優秀じゃないことは明白だ。
癇癪を起こして投げ出す自信がある。
「じゃあ・・・贅沢言わないから、あたしでも弾けそうな曲教えて?」
「・・・初歩のバイエルかなー」
「えー!もうちょっとちゃんとしたヤツ!」
「贅沢言うなよ。左手使えないくせに」
「・・・・そうだけど」
お遊び程度に、今流行のCMソングをなぞる亮誠の横で冴梨は、彼の指の動きを目で追う。
やっぱり基礎のある人の弾き方だ。
滑らかな指は止まることなく鍵盤を叩く。
節ばった大きな手が、白い鍵盤の上では繊細に映るから不思議だ。
心地よいBGMを聴きながら冴梨はリビングをぐるりと見渡した。
亮誠の父親が現在一人で住む洋館に引っ越すまで、家族で住んでいたらしいその家は、3LDKの綺麗なマンションだった。
会社にも、大学にも近いからという理由でこっちに1人で住んでいるらしい。
明るいリビングから続くバルコニーも広くて、キッチンもカウンター付きの対面式で収納スペースも申し分無し。
和室一間は空っぽで、美穂たち家族が来た時はここで寝起きしているそうだ。
玄関の隣にある洋室は右が亮誠の部屋。
その奥は荷物置き場になっていた。
美穂が残したままの荷物も結構あるらしい。
「こーんな広い家に1人で住んでるなんてすごい贅沢!」
冴梨は自分の家を思い浮かべてしまう。
6畳の自分だけのお城ももちろん好きだけど!
鍵盤を叩いていた亮誠の右手が冴梨の項を撫でた。
「部屋空いてるし、越してきてもいーよ。聖琳女子からも通学便利だろここ」
「な・・・」
言いかけた唇を塞がれる。
深く口付けられて、冴梨は亮誠の腕を掴んでしまう。
彼にキスされた時の癖だ。
息苦しさを覚える前に絡めていた舌を解かれる。
冴梨を離して亮誠が目を細めた。
「卒業してからでもいいから」
「・・・考えとく・・」
「前向きな答えだな」
そう言って頬にキスされた。
そのまま亮誠にくっついていると流されてしまいそうなので、
「なんか飲みたい」
と理由をつけてキッチンに入る。
ヤカンの横に置かれた古いフライパン。
美穂がたまに恵人を連れて来ているので、調味料や、食料品もそこそこ揃っていた。
ガス台の下の戸棚を開けて見る。
「あ・・・」
そこでいいもの見つけた。
冴梨はそれを掴んで冷蔵庫を開ける。
うん、これなら出来る!!
「亮誠!パンケーキ食べたくない!?」
「材料あるかー?」
テレビのリモコン片手に、キッチンを覗いてきた亮誠にホットケーキミックスと牛乳、玉子を指差す。
「ね、バッチリ。これならすぐ出来るし!」
「ちょっと前、恵人に焼いてたなー姉貴が」
「簡単だし、一緒に作ろう!」
「えー、面倒くせーよ」
「何で!混ぜて焼くだけでしょ、はい、ボールに玉子割って!!」
有無を言わさず押し付ける。
折角遊びに来たのだから、二人で何かしたかった。
渋々亮誠が玉子を割る。
冴梨は粉を勢い良くボウルに入れた。
「軽量カップとか無いぞ?」
「こーゆーのは、目分量。大丈夫、これで失敗する事ってまず無いからね!」
自信たっぷりの冴梨に、亮誠は怪訝な顔をしつつ頷く。
「俺は目分量は無理だな」
「料理したらいいのに」
「興味ない。1人だし買ったほうが楽」
まあ、価値観は人それぞれだ。
冴梨は何でもやってみるタイプなので失敗も沢山するけれど、その分上手くできた時の喜びは倍になる。
「夕飯作りに来るってんなら大歓迎だけどなー」
腰に回された腕に身動きが取れなくなる。
自然と早くなる鼓動はもうどうしようもない。
「・・・や・・やっぱり1人で作るから向こう行ってて!」
真っ赤になった冴梨の髪を触りながら一向に動かない亮誠が意地悪い笑みを浮かべる。
「一緒に作ろう!つったの誰だよ」
「後焼くだけだから!」
「バター引いてやろっか?」
「うるさーい!もーいいからあっち行って!!」
「はいはい」
逆切れした冴梨の頭を撫でて亮誠が笑いながらリビングへ戻る。
ふいにこうして距離を詰めるのはいつもの事なのだが、二人きりという状況がさらに冴梨の心臓に追い打ち掛けて来る。
冴梨は深呼吸をひとつして自分を落ち着かせると、フライパンにタネを流し込んだ。
「どう?」
出来上がったふわふわのパンケーキを一口食べた亮誠の顔を覗きこんで冴梨は訊く。
「んー、うまい」
「よかった。ね、目分量でもちゃんと美味しく出来るでしょ?」
「それを証明したかったの?」
「そーよ。滅茶苦茶不安げな顔してたから」
「それは失礼しました」
キツネ色に焼けたパンケーキを頬張る亮誠を見て冴梨も食べてみる。
うん、久しぶりのパンケーキは文句なしに美味しい。
「料理の手伝いならしてもいーよ」
亮誠がコーヒーを飲みながら言った。
冴梨は笑顔になる。
「お夕飯作りに来るね」
「ついでに泊まってく?」
笑顔で訊かれて冴梨は即座に切り返す。
「馬鹿」
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