第16話 甘えたイチゴとやきもちミルフィーユ

「冴梨ちゃんは、フルーツの中で何が一番好き?」


店長に聞かれて冴梨は迷わず答える。


「イチゴです!」


「あー王道のイチゴね」


「春の甘酸っぱいのも好きだし、温室イチゴも大好きですよ。イチゴならもう何でもいいです」


「ショートケーキのイチゴは最後に置いておくタイプだ」


「あ!そうですよー。大事に取っときます」


「なるほど」


そうかそうかとやたらと嬉しそうに頷く店長に、冴梨は首を傾げる。


「イチゴがどうかしたんですか?」


「あー、いや、なんでもないよ」


今の時期はモンブランとか抹茶系が人気なのに。


慌てて製造室に戻っていく店長の後ろ姿を眺めていたら、恵人がバタバタと階段を駆け下りてきた。


この間、踏み外して転んだばかりだというのに、大泣きした事はすっかり忘れてしまっているようだ。


「恵人くん!危ないから走っちゃ駄目!」


「だーいじょうぶだもん!」


「またタンコブできるよ?酷かったら血が出てお医者さん行かないといけないこともあるんだからね」


美穂をまねして腰に手を当てて言う。


けれど恵人はへっちゃらな顔をして店の入り口へと一目散に走っていく。


亮誠の車が止まったのだ。


時計を見ると20時過ぎていた。


「冴梨ちゃーん、お疲れ様ーもう上がってね」


「はーい、すぐ戸締りします」


美穂の声が2階から聞こえてくる。


店長のお夕飯準備の真っ最中のようだ。


「お疲れ」


「来てくれてありがと、ちょっと待ってね」


レジ金とレシートを美穂に届けて大急ぎで着替えに戻る。


亮誠はじゃれついてきた恵人を抱き上げて構っている。


最近また大きくなった恵人は、そろそろ冴梨では抱っこが厳しい重さなのに、さすが男の人は違うなとちょっと羨ましくなる。


そのうち自分より亮誠に抱っこをせがむようになるのだろうか。


「恵人、たんこぶ治んないなー」


「もう痛くないよ?」


「気をつけなきゃ駄目だろ?」


二人の会話に思わずロッカールームから叫んでしまう。


「さっきも階段走って降りてきたの!よく言って聞かせてあげて!!」


打ち所が悪かったら大怪我にだってなるかもしれない。


小さい子はすぐに無茶をするから一時だって目が離せないのだ。


もう走らないと指切りげんまんする二人の声が聞こえて来てホッとして着替えを再開させる。


「おまたせ!」


いつものように制服のリボンを結びながら店先に戻ると、冴梨に気づいた亮誠が、抱き上げていた恵人を下ろした。


「んじゃな、恵人」


「うん、ばいばーい」


二人で恵人に手を振って店を出る。


2階の窓から美穂がフライ返し片手に見送ってくれた。


本当にお嬢様だったことが信じられないくらい、気さくな人だ。


亮誠と付き合うようになって、冴梨は、やっとこのお迎えにも慣れてきた。


今ではひとりで帰るほうが心細いくらいだ。


まだ二人きりには慣れないけど。一緒にいることが早く自然になればいいな、なんて思うようにもなった。


気持ちは成長するものなんだと改めて思う。


いつものように亮誠の車の助手席に乗り込むと、ふわっと甘い香りがした。


冴梨の顔を見て、エンジンをかけた亮誠が嬉しそうに言う。


「あ、気付いた?」


「・・・果物のにおい・・?」


「後ろにあるよ。見てみろ」


バックミラー越しに後部座席を示されて、見慣れた白い箱に手を伸ばす。


蓋を開けると中にはホールのイチゴミルフィーユが入っていた。


「イチゴ!!!」


「気に入った?」


「かなり!さっき店長にイチゴ好きって話をしたとこだったの!」


「へー・・・」


亮誠がケーキを持ってくるのは久しぶりだったので冴梨は嬉しくて仕方がなかった。


あー早く帰って食べたい!!


「これどうしたの?」


「ちょっと頼まれて、作ってもらったんだよ。これは、2個作ったうちの1個。俺もクリームは味見した。美味かったよ」


「苺の味分かった?」


「ご心配なく」


「良かったぁ」


わざわざ亮誠にケーキを頼むなんてよっぽど仲の良い人なんだろうか?


イチゴのタルトなんて間違いなく女の人の好物だし・・・


自分の中に浮かんだ疑問を振り払うように首を振る。


つまらないヤキモチだ。


会社の人かもしれないし、亮誠の交友関係にまでイチイチ目を配ってたらきりが無い。


「腹減ったなー、何か食って帰る?」


暗くなりかけた冴梨の髪を撫でて亮誠が訊いてきた。


「うん、食べたい」


「よし、あ、冴梨。家に電話しとけよ?」


「はーい」


こんな些細なことで、信じられないくらい冴梨は元気になっていた。


恋心と胃袋は物凄く現金だ。


最近出来たお好み焼き屋さんの名前を冴梨が上げたら、亮誠は目を丸くした。


「お前、その制服でお好み食うの?」


「え、いけない?」


「いいけど、聖琳の制服だとカフェかイタリアンが似合う感じだな」


保護者同伴でない限り飲食店への制服での出入りは禁止の聖琳女子である。


この場合成人済みの亮誠は立派な保護者なので、何も問題は無いのだが。


「えー、だってお腹空いてるのにそんなんじゃお腹一杯になんないでしょ」


「服汚すなよ?」


「カーディガン着てるから平気」


グレーのワンピースは、目立つのでばれないようにいつも上に羽織っているのだ。


バイト禁止の校則を破っているのでどこで学校関係者に会っても誤魔化せるように。


カーディガンの裾から見えるプリーツスカートだけだと、公立高校の制服とそう変わりない。


前のボタンを全部止めて、店に向かって歩きだす亮誠を呼び止める。


くるりとターンしてみせた。


「ね、分かんないでしょ?」


「ほんとだな」


これで心置きなくお好み焼きを食べられる。




★★★★★★




キャベツたっぷりのふわふわの生地とトロトロのチーズ。


大好きな組み合わせだ。


塩焼きそばを食べる亮誠から少し分けてもらって冴梨はすっかりお腹いっぱいになった。


冷たいウーロン茶を飲んでいると亮誠の携帯が鳴った。


「出ていーよ?」


仕事の電話かもしれない。


冴梨はドリンクのお替りを入れるために席を立った。


平日の20時過ぎの店内は休日程の賑わいはない。


ドリンクバーには誰もおらず、貸し切り状態だった。


これなら制服姿を気にする事も無いな、とホッとしながら席に戻る。


「・・・え?分かってるよ。幸さんの為に作ったんだから・・・イチゴも探しまくって・・・」


冴梨の耳に聞こえてきた亮誠の嬉しそうな声に思わず立ち止まってしまった。


幸さん?誰よそれ・・・


明らかに会社の人間じゃない、打ち解けた話し方。


こんな楽しそうな顔の彼は見たことが無い。


電話の相手はきっとあのケーキの人だ。


亮誠は、幸さんの為にイチゴを探してタルトを作ってもらったんだ。


胸に湧いてくる言いようの無い不安。


わざわざお礼の電話を掛けてくるなんて、とても仲がいいんだろう。


アンジュで会う亮誠は、社会人でも大学生でもない、家族仕様の亮誠で、美穂に顔を顰めて小言を零される彼を見ていると、つい同世代のような感覚に陥ってしまうけれど、彼はれっきとした大学生で、すでに会社に籍を置く社会人でもあるのだ。


冴梨の何倍も彼の世界は広い。


そんな当たり前の事を、いま初めて実感してしまった。


すぐ前に居ると思っていた彼が、ずっと先を歩いている事を、今更のように思い知る。



電話を終えた亮誠と店を出る。


終始無言の冴梨を不思議に思ったのか、亮誠が駐車場に向かいながら冴梨の腕を引いた。


「どーした?」


口を開いたら泣いてしまうと思った。


でも、黙っているなんてもっと出来なかった。


「・・・み・・幸さんの為に・・イチゴのミルフィーユ・・・作ってもらったの?」


思わず亮誠の腕を振り払う。


声が震えた。


「ああ、聞いてたのか。そうだよ、甘いもの大好きな幸さんの」


ああ、やっぱりそうだったのだ。


悪びれる素振りもなく口にした亮誠を睨みつける。


「お礼の電話架けてくるくらい、仲良い人なのね!」


冴梨の言葉に亮誠が慌てて言った。


「は?何か勘違いしてないか?」


「勘違いってなに!?あたしには亮誠の会社のこととか、大学のこととか会社のこととか全然分かんないよ?でも、さっきの電話の人が、亮誠にとってどれ位大事な人かは分かる!」


大事な相手じゃなきゃ、あんな優しい顔するわけがない。


亮誠がどれ位冴梨を思ってくれてるいるか分からない。


だから余計不安になる。


振り払った右手を亮誠が掴む。


距離を取ろうとしたが無駄だった。


簡単に引き寄せられてしまう。


しかも。


「あ・・・あたしが怒ってんのに何で笑ってんのよ!!」


「・・・可愛いから」


「・・・何言ってんの・・」


零れた冴梨の涙を拭って亮誠が心底幸せそうに微笑む。


「さっきの電話は、俺の親友。そいつの想い人が幸さん」


え・・・


打ち明け話でもするように密やかに零された真実に、冴梨はぴしりと固まった。


そんな冴梨をそっと抱き寄せて亮誠は続けた。


「幸さんが甘いもの好きだから、彼女の為にケーキ用意してくれって頼まれてさ、冴梨にも食べさせたくなって二つ用意してもらったんだ」


耳元に聞こえてくる声が優しくて勘違いした自分が余計恥ずかしくなる。


「・・・ご・・・ごめ・・・」


ひとりで勘違いして、怒って、自分がめちゃくちゃ情けない。


「ヤキモチ妬かれるのって悪くないなぁ・・・」


冴梨が大人しくしているのを良い事に亮誠が耳元にキスをしてきた。


でも駄目!


「ひ、人が見てる!」


「じゃあ車に乗ったらいいんだな」


揚げ足を取られて冴梨は黙り込むしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る