第12話 さくさくラスクと謝恩会でぎゅ

「聞いたわよ。私の義妹になってくれるんだって?」


近所に住む主婦が、定番の紅茶とバニラのシフォンケーキを買って店を出た後で、美穂がにやっと笑って言った。


「・・・っそ、そこまでは・・・まだ」


亮誠の秘密を打ち明けられたのは昨日の夜の事。


どんな事情であれ、肝心な事を黙ったままにされていた事には腹が立ったし、騙された気もしたけれど、彼の抱える責任や、重圧を思うと、詰ることは出来なかった。


そして、そんな状態の彼を放り出せるわけもなく。


他の誰かに獲られたくないという気持ちも入り混じって、冴梨は彼の申し出に頷いた。


とはいえ、女子高生の冴梨に将来の約束なんて出来るわけもないし、卒業後の進路についてはその時になってから考えるとお断りを入れてある。


その頃には、亮誠の病気も治っているかもしれないからだ。


勿論、冴梨の気持ちが今以上に育っている可能性だってあるのだけど。


「でも、嬉しかったわ。あの子も喜んでた。私もホッとしたのよ。ありがとうね。これからは今まで以上に冴梨ちゃんの味方になるから、何かあったら遠慮なく言って頂戴ね。ケンカした時もよ。私がとっちめてやるからね」


フラフラと適当な恋愛ばかり繰り返していた弟が、漸く本腰据えて恋愛する気になった事がよほど嬉しいらしく、美穂は終始ご機嫌だった。


彼の秘密を漏らすわけにはいかないので、一先ず亮誠の好意に素直に頷いた形になるわけだけれど、やっぱりほんのちょっと胸が痛い。


が、亮誠との約束を破るわけにも行かない。


今や二人は一時的な運命共同体なのだから。


「ありがとうございます・・・あ、それに甘える訳じゃないんですけど、実はちょっとご相談があって・・・」


冴梨は本日のHRで議題に上がった懸案事項を美穂に伝えた。


「ラスクー?」


美穂の言葉に冴梨がそうなんです、とひとつ頷く。


「謝恩会でクラスの保護者に配るんです。それで、30個用意しなくちゃいけなくって」


予算も限られているので、出来れば安く抑えたくて、知り合いのお店を紹介して貰えないだろうかと思っていたのだ。


「なるほどねー、じゃあ、知り合いに頼んであげる。」


冴梨の言葉に美穂が任せなさい、と胸を叩いた。


「本当ですか!?」


「うん、商品にならない欠けたのとかも出るけど、構わないでしょ?」


「全然問題ありません!」


「じゃあ決定ね、来週だっけ?」


「金曜の午後なんです。袋詰めあたしも手伝いますから!!」


美穂の承諾が取れて冴梨は胸を撫で下ろした。


学期ごとに保護者を招いて行われる定期謝恩会。


各クラスの発表を見るために、生徒の父兄たちが一同に敷地内にあるホールに集まるのだ。


この日、生徒は日ごろの父兄への感謝を込めて毎回何か手土産を用意する。


同じように父兄たちからも生徒へ労いの意味で沢山の差し入れが届けられるのが常になっていた。


こういう時に大盤振る舞いをするのは勿論中等部からの内部生の保護者である。


クラス委員の冴梨はその準備係に当たっていた。


低予算の中で、30個ものプレゼントを用意するのは至難の業だ。


そこで案に上がったのが、軽くて型崩れの心配も無いラスクだった。


当日、学校までプレゼントを運んでくれると言う店長にお礼を言って、折角なので、美穂達には保護者用の招待券をお礼に渡しておくことにした。




★★★★★★





講義の後、仲の良い助教授の研究室で一鷹とコーヒーを飲んでいたら、携帯が鳴った。


液晶画面を見れば、美穂の名前が表示されている。


冴梨を迎えに行くので、しょっちゅう顔を合わせているのに、電話をしてくるなんて珍しい。


もしや、恵人や冴梨になにかあったのだろうかと不安になる。


「もしもし?」


「交換条件よ、冴梨ちゃんの学校の謝恩会行きたくない?」


開口一番そう言われて俺は答えに詰まる。


は・・・?


耳慣れない単語にそれが何かもよく分からない。


「謝恩会なんだそれ?しかも交換条件てなんだよ」


「父兄参観みたいなものよ。クラス発表の合唱指揮者するんですって。ちなみに、保護者も招待券無しでは入れません」


話が見えた。


「んで、俺ゃなにすりゃいーわけ?」


「1日恵人預かってー」


「・・・・」


NOの答えが出せない事は承知でこういう事をしてくるところが我が姉である。


「わかったよ・・・」


「よし。あー、そだ、ちなみに謝恩会にはあんたが行く事言って無いからくれぐれもばれないように!いーわね」


「はいはい・・・」


電話を終えた俺の顔を見て一鷹が笑う。


「複雑そうな顔だな」


「なあ、聖琳女子の謝恩会って男も入れるのか?」


一鷹の”幸さん”は聖琳の卒業生だ。


話くらい聞いたことがあるだろう。


「たしか、受付で招待状と本人との関係を確認されるんじゃなかったかな・・・招待状も、生徒の名前が入ってないと入校できなかった気がする」


「詳しいな」


「一度調べたことがあってね」


なんのために?とは余りに恐ろしすぎて聞けない。




★★★★★★




女子高ってこんななんだな・・・


気安く中を覗かせない高い塀と、頑丈な鉄扉の門構えを前に、思わずしり込みしそうになった。


こりゃ敷居が高いって評判も納得だ。


いつもは閉じられている、正門が開放されており、一鷹の話どおり入ってすぐのテントに受付が用意されていた。


姉貴から託された紙袋片手にふたりで受付に向かう。


「親戚ってことにしとくからね」


「わかった」


打ち合わせ通り、招待状を出して冴梨の親戚のものですと伝える。


「ご来校ありがとうございます。中央ホールがメイン会場となっております」


マニュアルどおりの丁寧な対応で見送られ秘密の花園に入る。



展示や発表をするクラスもあるようで掲示板には案内図とプログラムが書かれていた。



「ちょうど時間通りねー。後20分で冴梨ちゃんのクラスが始まる」


「アイツって何組なの?」


「2年3組よー、何、そんなことも知らなかったに?ちなみに得意科目は歴史で苦手な科目は化学だって。クラブは名前だけコーラス部に入ってるって言ってたわ」


姉貴の口から飛び出てくる冴梨情報に俺は唖然としてしまう。


そんな話聞いたことなかったな・・・


というか。


俺の中で、冴梨が女子高生として生活している部分ていうのは見えていなかった。


バイト先で大人に囲まれている冴梨しか見たことがなかった。


制服着ている以上、高校生であることに変わりは無いけれど・・・・


いつもと違う彼女の一面が見れることが楽しみでもあった。


半分以上責任感でこっちの告白に頷かせた自覚がある。


あの子の性格では、この状態の俺を放り出せるわけがないと踏んでの告白だったが、案の定冴梨は真剣な表情で、自分で良ければ、と頷いてくれた。


だから、後は俺次第だ。






中央ホールは、半円形の形で大きな舞台が設置されていた。


席の7割が埋まっているところを見ると改めてここが有名私立女子高であることを実感させられる。


「冴梨ちゃんはソロパートを歌うらしいわよ!冴梨ちゃんのお友達一人が伴奏で、もう一人が指揮者なんですって」


「なんでそんな何でも知ってんだよ」


ここまで自分の姉貴に先をこされるとだんだん腹が立ってくる。


「恵人に最初に童謡教えたのあの子だもん、CD流してるのかと思ったら冴梨ちゃんが歌ってたのよ。あまりの上手さにびっくりよ。独学だっていうから何の冗談かと思ったわ」


「へえ・・・」


「イベントのたびにそのお友達とセットで聖歌隊から声掛けられてるみたいよ。ほら、ここミッション系だからねー」


姉貴の冴梨自慢を聞いているうちにアナウンスが入った。


「始まるわ・・・」


ゆっくりと紺色の幕が上がる。


ピアノの伴奏者が歩いてくる。


あ・・・・大学に冴梨と来てた子だ。


彼女がピアノの前に立つ。


続いてコーラス担当の生徒達が入ってきた。


最後に、中央寄りに2本立ったマイクの前にソロパートを担当する冴梨と、もうひとりの生徒が入ってきた。


指揮棒を手にした冴梨の友人がやや硬い表情でステージに現れる。


曲目は、アヴェ・マリア。


静まり返ったホールに柔らかな歌声が綺麗に響き渡っていく。


冴梨の表情はこの上なく誇らしげで、凛と伸びた背中がしなやかで美しい。


繊細な指揮に導かれて、透明で、柔らかく、けれど力強い歌声が客席までまっすぐ届いて、聴衆の心を攫っていった。


曲が終ると同時に、大きな歓声と拍手が沸き起こった。


「すっごいわねー・・なんて綺麗な声・・・見て、冴梨ちゃんの嬉しそうな顔」


姉貴の声に返事もせず。


俺は客席に沈み込む。


「なに・・・惚れ直しちゃった?」


呆れた顔で言う姉貴に言い返す気さえ起きないほどに・・・参っていた。




★★★★★★




「お迎えあるし、店空けれないから私は先に帰るわよ!冴梨ちゃんによろしくね!」


時間を気にしていた姉貴と別れて冴梨に荷物を渡す為に校舎に向かって歩き出す。


少し校内を見て回ってから、冴梨の携帯を鳴らそうかどうしようか、そんなことを考えつつ歩いていると、こちらに近づいてくる生徒の中に本人の姿を見つけた。


「さえ・・・」


呼びかける途中で、前から歩いて来るこちらに気づいた冴梨が真顔になる。


「な・・・なんでいるの!」


友達の輪を抜けて俺の方へ大急ぎで走ってくる。


背中には、好奇心一杯の視線が注がれているけれど、まあ明らかに父兄としては若すぎる男が校内をうろついているのだから当然だろう。


「きゃーだれー?」


「冴梨ちゃんのお兄様?」


「冴梨一人っ子じゃん」


「えー・・・でも」


さーてどうしようか・・・・


一瞬迷って、ああこの場には親族しか入れないんだったと思い出した。


社内会議で見せる穏やかな笑顔を浮かべて、こちらを必死に見つめる女子高生たちに向き直る。


「こんにちは。いつも冴梨がお世話になってます」


「きゃー!!こちらこそ!」


「こんにちは!」


弾ける様な声が返ってきた。


動物園のパンダの気分だな。


「挨拶なんかしなくていい!」


小声で言って、冴梨が大急ぎで俺の腕を引っ張る。


「あたし、ちょっとお兄さんを案内してくるから、桜たちには言っといてね」


早口で言って、歩き出す。


この場を抜けていいのだろうかと一瞬迷ったが、しっかり絡め取られた腕が嬉しくて迷いを捨てた。


「いつから居たの?」


これからは年齢も立場も関係なく、対等でいようと提案したので、冴梨は素直に敬語を止めてくれた。


おかげでこの前よりずっと彼女を身近に感じる。


「クラス発表から」


「うそ!見てたの!?」


「ど真ん中で見てたよ。気付かなかったのか?」


「緊張してたんだもん!」


「ソロパート様になってたよ。あんな歌えるだな、知らなかったよ」


「普段は歌ってませんから!・・・もう・・・情報元美穂さんね?」


「もう帰ったけどな」


「もうー・・・受付で何て言ったの?」


「一応、親戚つーことに・・」


「そっか・・・じゃあ、今日は亮誠さんは親戚で」


一つ目の校舎を抜けて、二つ目の校舎に入ると、人が少なくなった。


「冴梨、ほんとに高校生だったんだなー」


「そうですけど!!」


腕を掴んだままの手を離して、そのまま手を繋ぎ直す。


冴梨は一瞬ぎょっとした顔になったが、繋がれた手を見下ろして何か言いかけてやめた。


離してと言われても離す気が無かったのでそれはそれで良かった。


ピアスホールを隠す為か、いつも結んでいる髪を降ろしているのが新鮮だった。


つい、その頬に手を伸ばしてしまう。


校内で、いつどこで、誰に会うか。


分からないことは、理解していたけれど。


「・・・りょ・・」


どうしていいのか分からない、少し不安げな顔で冴梨がこちらを見上げてくる。


廊下だしな・・・


そんなことも頭を掠めたが、止めなかった。


冴梨が繋いだままの手をぎゅっと握り返してくる。


それが困惑からなのか、それとも甘ったるい恋情からなのか測りあぐねていると。


「・・・誰かくる!」


冴梨が階段を降りてくる足音に気付いた。


大急ぎで目の前の被服室のドアを開ける。


「入って!」


手を繋いだままだったので、必然的に俺も引っ張られるように中に入る。


そしてすぐドアを閉めた。


「び・・・・びっくりした・・・」


近づいていく足音から隠れるように、小声で言う冴梨。


「隠れることなかっただろ?」


何食わぬ顔で離れてしまえばただの父兄と生徒に戻るのに。



廊下を歩く足音がすぐそこまで近づいてくる。


数人の話し声も聞こえる。



と、冴梨の消え入りそうな囁き声が真横から聞こえた。



「・・・だって・・・手・・・離したくなかったの・・・」





その言葉に一瞬、眩暈がした。


まだ、繋いだままの手を妙に意識して、一瞬握った力を緩めた。


途端、擦り抜けていく冴梨の手。


させるか。


逃げようとするその手を、掴んでしゃがみこんだ体ごと引き寄せる。


「りょうせ・・・」


非難の声を上げようとした冴梨は間近から聞こえる、話し声に言葉を飲み込む。


それを承知で、もっと強く抱きしめた。


こんな風に冴梨が自分の気持ちを言葉にすることは滅多になくて。


少しは好きになってくれたんだろうか?


そんな期待が胸を過る。




この場所は彼女の学校で制服のままの彼女に触れること自体、ものすごくタブーな気がした。


見つかったらどうしようとか。


そんなこと考える余裕も無いくらい。


冴梨が愛しかった。


ただ、大切だった。





一瞬腕の中の冴梨が緊張したのが分かったがそのまま腕は離さなかった。


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