第10話  ドライブ・トラブル

恵人くんを起こせばよかったのに出来なかった。


動けなかった。


キスしてほしいと思った自分がいた・・・?


だって嫌じゃなかった。



心臓が止まるんじゃないかと思った。


あたし、このままだと早死にするかもしれない。



帰り道、亮誠は悪びれた素振りもなく笑って見せた。


「ごめん、びっくりした?」


心底悪いと思っていない態度だったけれど、不思議と嫌悪感を感じなかったのはもう絆されているせいなのかもしれない。


「び・・・びっくりした・・」


「あんまり恵人ばっかり構うから」


「・・・だ・・・」


だって、恵人くんは子供だし!!


自分より小さい子が居たが世話を焼くのは至極当たり前の事だ。


そう言い返そうとした冴梨の額に唇が触れた。


「りょ・・・亮誠さん!!」


あまりにも唐突過ぎるキスに頭の中が真っ白になる。


ここは、店の前で誰がいつ通るか分からないわけで。


美穂さんだって出てくるかも知れないのに!!


必死にしぼりだした冴梨の声に。


「ごめん、調子乗った」


何度か髪を撫でた後、亮誠はごめんねと微笑んで冴梨の側を離れて運転席に回った。


速すぎる展開について行けない自分が悪いのか、それともやっぱり強引な隣の男が悪いのか。


車に乗っている間、ひたすら考え続けたけれど答えなんて出ない。


一度目の未遂で拒まなかった事は認める。


流されそうになった事も認める。


だけど、このキスの先にある気持ちがさっぱり見えてこないのだ。


家の前で車を停めた亮誠が悶々としたまま車を降りようとする冴梨の腕を掴む。


「冴梨ちゃん、俺、好きでもない子にキスしねーし・・・冗談とかじゃないから」


「・・・・はい・・」


これが万が一ちょっとそんな気になったから、とか言われたら間違いなく殴っていた。


「ちゃんと・・・あの・・・考えてます・・・」


考えるより先に彼が行動を起こすので、いつも思考は後回しになってしまうのだけれど。


彼と過ごす時間は心地よい、けれど、それは気易さであって恋ではないような気がするのだ。


「こういう言い方ズルイよな。ごめん。でも、好きだから・・・・キスしようとして避けなかったってのは少しは期待してもいい?」


「・・その言い方は・・ずるいです・・」


ほらやっぱり。


「いまの亮誠さんは嫌いです!」


捨てセリフを残して家の中にダッシュする。


答えの出せない気持ちを全部見透かされていて、その隙間を縫うように彼が強引な事をするから、意地になってしまう。


この関係の着地点が、やっぱり見えない。





★★★★★★




「ごめん、この間のことは謝るから」


車に乗るなり、山盛りのケーキと共に言われて冴梨は怒る気力を初っ端に削がれた。


決してケーキの誘惑に負けたワケじゃない。


美穂の言いつけ通り、ひとりで帰るわけにいかないし、これで万一何かあったら、それこそ美穂も亮誠も気に病むだろう。


むしゃくしゃした気持ちのまま、さっそく箱から取り出したシュークリームを頬張る。


前も食べたけれど、バニラビーンズがたっぷり入ったシュークリームは絶品だ。


ほっぺが落ちるとはまさにこのことである。


「機嫌直ったか?」


「ちょっと・・・・」


「正直だな」


人差し指と親指で2センチのスキマを作ってちょっと具合をアピールしてやる。


これで自分の軽率な行動を反省して欲しいものだ。


冴梨の気持ちをよそに、亮誠は話を始めた。


「今週末、恵人の子守りを頼まれたんだろ?」


「あー・・はい、そうなんですよ」


「店で留守番するつもり?」


「近場だったら出かけてもいいんですけど・・・公園とか・・・恵人くんと相談します」


女子高生が保育園児を連れて行ける場所なんて限られている。


移動手段は電車とバスと徒歩なので、恵人が疲れない範囲内で行動することが鉄則だ。


さすがに育ち盛りのチビッ子をおんぶして長時間は歩けない。


「ふーん・・・なんか困った事あったら、呼んでくれていいから」


「はい、ありがとうございます」


店長の友人の結婚式にご夫婦で呼ばれたらしく、恵人に懐かれている冴梨が子守りに抜擢されたのだ。


バイト代上乗せする!と言われれば否はない。


いつもお世話になっているし、知らない子供でもないので心配はしていなかった。






★★★★★★





「ごめんね、朝早くから」


「いえいえ、気をつけて行って来てくださいね」


「携帯は繋がるから、いつでも連絡してね?」


「恵人、冴梨ちゃんの言うことちゃんと聞いていい子にしてるんだよ」


土曜日の朝9時。


冴梨は自宅の前でタクシーから手を振る店長夫妻を見送った。


本当はお店で待つ予定にしていたのだが、式場までの通り道にある冴梨の家で待つほうがいいだろうという話になったのだ。


家の近くなら大きな公園が2つもあるので、早速恵人を連れて行って遊具で遊ぶことにする。


夕方までには迎えに行くという店長夫妻に、いい子にしてるよ!と胸を張った恵人は、初めて行く大きなの公園に目を輝かせた。


タイヤで作られたブランコに飛び乗って、きゃっきゃとはしゃぐ恵人の背中をそっと押してやる。


ぐんと近づく空に、嬉しそうに声を上げる恵人は、冴梨とのデートに夢中だ。


今日は連休の中日なので、人も多い。


昼前に公園は人でいっぱいになった。


お昼を食べに一旦家に戻ろうとしたところで、冴梨のカバンの中で携帯が震えた。


「恵人くん、ちょっと待ってねー電話だ」


滑り台に向かう恵人の手を離して携帯を取り出す。


「・・・もしもし?」


「おはよ、恵人は機嫌いい?」


「おはようございます。大丈夫ですよ?心配して掛けてきたんですか?」


「それもあるけど・・・今何処?」


その質問に、冴梨は地元の公園の名前を告げる。


「恵人も飽きてきた頃じゃないの?」


「・・・まあ・・・ちょっと・・・」


人が増えたので、遊具にもなかなか乗れなくなってしまった。


たしかにこのままだと退屈してしまうかもしれない。


「恵人に代わって?」


「あーはい・・・恵人くん、亮誠さんだよ」


そう言って携帯を渡す。


「もしもーし?りょうくん?」


両手で携帯を握って嬉しそうに話しかける。


「うん、うん、いーこだよー。うん、行きたいー!行くー!」


何度も頷いた後、冴梨に携帯を渡してくる。


一体どこに行くのだろう。


「もしもし?」


「ドライブする事にしたから。今から迎えに行くな」


「え・・・急にそんなこと言われても・・・まだ恵人くんにお昼食べさせてないですし」


「そこ居てくれたらいいから。拾った後でどっかで昼飯食べよう」


そう言って一方的に電話が切れた。


「ほんっと・・強引・・・なんなのよ・・・・」


冴梨の不機嫌顔に気付いた恵人が心配そうに訊いてくる。


「冴梨ちゃんどこか痛いー?」


「ううん、違うよ?大丈夫」


「冴梨ちゃん、りょうくん嫌いー?」


「へ!?」


「りょうくんとお話してから怒ってる」


子供の洞察力は恐ろしい。


「ううん、そんなことないよー?亮誠さん好きだよー?だから大丈夫、ねー」


「本当?」


「うん!本当だよー」


「うん!」


ようやく納得したのか、恵人はジャングルジムに向かって駆けて行く。


あんなに小さい子から心配されてしまうなんて、保護者代わり失格だ。



あたしが子守りできないと思ってるのかな?


少なくとも、亮誠さんよりは面倒見れるつもりなんだけどなぁ・・・・


そんなことを思いながら冴梨は恵人が手を振るジャングルジムへと歩いていった。




★★★★★★




亮誠と合流したあと途中のハンバーグ専門店でお昼を食べて、冴梨たちはドライブに出発した。


車に乗ること1時間。


疲れて眠ってしまった恵人に上着を掛けながら、冴梨は尋ねる。



「目的地って聞いてなかったんですけど・・・」


「あー、恵人のじいちゃん家」


「へえ・・・そうなんですかー」


「うん」


恵人くんのおじいちゃんの家。


教えられた目的地を頭の中でもう一度読み上げて、え、あれ、ちょっと待ってよと思考が停止する。


「それって・・・亮誠さんの実家?」


「そうそう」


「・・・え・・・」


大声を出しそうになって、膝の上の恵人に気付いて、慌てて口を押さえる。


少し前に顔を合わせた篠宮兄弟の父親の事を思い出して、胃の奥が冷たくなった。


「古い家だけど、庭だけはやたらと広くてさ恵人も来るたび走り回ってるよ」


「あ・・・あの、そうじゃなくて」


「気使わないでいーから、どーせ誰もいないし」


嫌ですと言ったところで車に乗ってしまっている以上どうしようもないし、この状態で恵人を放り出すわけにも行かない。


「・・・そう・・です・・か」


こうなったら仕方ないと諦めの溜息を吐いて、無人ならまあ、まだと自分を励ます。


冴梨は迂闊にも油断してしまった。





★★★★★★





広い家・・・・


住宅街から少し離れたところにある高台の広い庭を持つ一軒家。


数年前に建て替えたばかりというその家は瀟洒な洋館だった。


綺麗に手入れされた広い芝生の上でラジコンカーを走らせる恵人は、すっかり真っ赤なミニカーに夢中だ。


たしかにこれだけだだっ広いお庭なら気兼ねなくはしゃげるよね・・・


遊具の順番待ちで時間を費やすよりここに来た方がずっと有意義な時間を過ごせる。


「亮誠さんもここでよく遊んでたんですか?」


「そーだなー・・・姉貴と鬼ごっこしたり、中学生位からは一鷹と、あー幼馴染な。よく、剣道の練習したな」


「剣道してたんですか?」


「高校までだけどな」


「へえー・・・あ・・だから姿勢いいんですね」


「そうかー?」


「なんか、ピシってしてる印象が・・・」


亮誠さんが冴梨の言葉に笑い出す。


「ピシっとはしてないけど・・・」


「印象ですよ!印象」


不用意な発言だっただろうかと慌てて取り繕った冴梨の耳に車のエンジン音が聞こえてきた。


「あー、おじいちゃ!」


恵人がそう言ってリモコンを握ったまま門の方へ走り出す。


おじいちゃん!!??


聞いてないし!


「誰もいないって・・・」


「接待ゴルフって聞いてたんだよ」


「ええー!ちょっと、あたしがここにいるのマズくないですか!?」


顔を合わせれば間違いなく挨拶が必要になる。


二人の曖昧な関係性は変わっていないのに、冴梨としては合わせる顔が無い。


慌てて立ち上がる冴梨を、無理やりベンチに座らせて亮誠が立ち上がる。


「俺達、付き合ってることになってるのに隠れたりしたら逆に怪しまれるって」


「えっ!でも!あたしまだ」


何の返事もしてないのに・・・


「とにかくいきなり帰るのはまずいから。とりあえず、その場しのぎで、彼女のフリして」


そんなこと言われたって・・・


口をパクパクさせる冴梨を置いて、亮誠は帰宅した父親の方へ歩いて行ってしまう。


まさか一緒にお出迎えする勇気は無いので、大人しくベンチに座って待っていると、ほどなくして、恵人を抱いた父親と亮誠が話しながらこちらに歩いてきた。


冴梨は急いで立ち上がる。



「冴梨」


亮誠が実に親しげに冴梨を呼んだ。


「はい!」


反射的に返事をして、3人の下へ歩いて行く。


改めて父親と対峙すると、この間よりもずっと柔らかい雰囲気で迎えられた。


恵人を抱いているせいかもしれない。


企業経営者も可愛い孫を前にすると、ただのおじいちゃんになるらしい。


冴梨は丁寧に頭を下げた。


「お邪魔してます」


「ああ、このあいだのお嬢さん。いらっしゃいよく来たね」


「冴梨ちゃんだっこー」


恵人の声に冴梨は腕を広げて抱き上げる。


「恵人ともすっかり仲良しなのか」


「あ・・・はい・・・仲良くしてもらってます」


これは嘘じゃないし、点数稼ぎでもない。


「ははっ。面白いお嬢さんだ」


「今日も、姉貴たちに頼まれて二人で恵人の面倒見てたんだよ。な?」


促されて、微妙に違うけどと思いながら相槌を打つ。


「そうか。すっかり馴染んでるようだなぁ。これが、交際している女性を家に連れて来るのは初めてでね・・・」


「そう・・・なんですか・・・」


それは恵人くんを遊ばせるためであって・・・


見る間に押し寄せて来る罪悪感をどうやり過ごそうか悩み始めると。


「これは、近いうちに冴梨ちゃんのご両親にご挨拶に伺わんいかんなぁ」


不意打ちで落とされた爆弾に、冴梨はぽかんと開いた口が塞がらない。


恵人は冴梨の緩んだ腕をすり抜けて今度は亮誠の足に纏わりつく。


「え・・・あ・・」


慌てて否定しようとした冴梨の腕を引いて、亮誠が肩を抱き寄せた。


「親父、将来のことはちゃんと二人で考えてるから。先走るのやめてくれよ。冴梨もこの通りびっくりしてるだろ?」


いや、もうびっくりどころか・・・頭の中が真っ白です。


「しかしなぁ・・・娘を持つ親としてもやはりこういうことは男側がキチンとしとかんと・・・」


「冴梨ちゃん言ってたよー?」


恵人が一生懸命上を向いて、言った。


「りょうくんのことすきーって!!」


それは、さっきの会話の流れで言った台詞であって、好意ではない。


思わず仰け反りかけるが、背中に腕を回したままの亮誠が支えてくれてなんとか立ち直った。


なんてコトを・・・


っていうか!!


その期待度100%の顔であたしを見ないで!


亮誠が冴梨を横目に超ご機嫌な口調で言った。


「この通り、俺達はうまくやってるから。そのうち、ちゃんと自分で冴梨のご両親にご挨拶に行くよ」


「まあ、そう言うなら・・・・ところで折角だし夕飯でも一緒にどうだ?」


父親からの提案に、冴梨は渾身の力で亮誠の手を握る。


不可!!却下!!全力で事態である。


「とんでもないです!!」


「冴梨も緊張してるし、またの機会にするよ」


「そうか?残念だなぁ・・・近いうちに必ず遊びに来るんだよ」


「じいちゃ、ぼくもー」


「おお、もちろん、恵人も一緒になぁ」


好々爺の笑みで孫の頭を撫でる亮誠の父親に引き攣った笑みを浮かべながら、冴梨は生きた心地がしなかった。

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