第9話 たこ焼きスペシャル

篠宮亮誠という男は、思えば最初から強引な男だった。


気を許した途端一気に距離を詰めて来て、そして冴梨が怯えない場所で上手く手綱を握る。


真横まで近づいたと思ったら、するりと離れて、あれ?と思って振り向けば、また真横までやって来る。


冴梨の気持ちの距離を測るように、巧みに、狡猾に、その心を捕まえにやって来る。



その時もそうだった。


いつもより少し早めに迎えに来てくれた亮誠が二階で恵人と遊んでいたとき、たまたまテレビで見ていた”たこ焼き”が無性に食べたくなったらしい。


閉店準備を始めて暫くした頃、二階から降りて来た亮誠が突然言った。


「冴梨ちゃん、たこ焼き食べたくない?」


「はい?・・・おなかは空いてますけど・・」


「よっしゃ、決定。恵人ー行くぞー!」


冴梨の返事に満足げに頷いて、2階にいる恵人に声を掛ける。


「がってんしょうちーい!」


元気な声とともに階段を駆け下りて来た恵人が、裏口に揃えてあるスニーカーに飛び込むように足を突っ込む。


「ちょ、危ないから。恵人くん、まず、座ってちゃんと靴履こうね」


「はあーい」


行儀良く返事した恵人に偉いね、と声を掛けて、解けた靴紐の片方を結び直してやる。


「よし、できた!あ、でも亮誠さん、美穂さんに・・・」


側にいる筈の彼を振り向けば、いつの間に外に出たのか車に乗り込もうとしている亮誠を見つけた。


余りの早業に唖然としてしまう。


「おいしーの、買ってくるねー」


「あー、うん、気をつけてね、恵人くん」


店長は商店街の集まりに顔を出していて、美穂は隣のパン屋に買い物に行ったまま戻ってきていない。


今日の夕飯の予定をまずは美穂に確認した方がと思ったものの、後の祭りだ。


突拍子もないというかなんというか。


走って車に向かう恵人を見送って、一先ず閉店作業をしてしまおうと決めた冴梨が店の掃除を終わらせる頃、前の通りでエンジン音がして、亮誠と恵人がたこ焼きの袋を手に帰って来た。




★★★★★★




「それで、たこ焼き・・・」


「そう、あれは美味そうだった。よな?恵人」


「んーさいこうだねー」


まるで食べたかのような口調で言いながら、冴梨が半分に切ってやったたこ焼きを美味しそうに頬張る。


亮誠が買っていたのは、駅前の人気店のたこ焼きだった。


タレの種類が豊富で、しょっちゅう行列が出来ているお店である。


2階の和室で、3人で向かい合って4種類のたこ焼きをつつく。


甘口ソースに、ゆずポン、変わり種の塩だれに、明太子マヨネーズ。


冴梨と亮誠が居てくれるならと、明日の朝の山食を置きに戻った美穂はそのまま商店街の集まりに向かってしまった。


必然的にお留守番を任されることになった冴梨は、摩訶不思議な家族?団らんを過ごすことになった。


「冴梨ちゃんおいしー?」


「うん!すごい美味しいー!」


「よかったねー」


まるで自分の手柄のように嬉しそうに喜ぶ無邪気な恵人の頬に残ったソースを拭って、いっぱい食べてね、と微笑む。


うっかりこのほんわかした空気に流されてしまいそうになるけれど。


「ねー・・・って、あたしまで一緒させて貰って良かったんですか?」


恵人のお守りなら亮誠一人で十分だろうし、今日は電車で帰るつもりにしていたのだ。


けれど、亮誠の


「恵人が寂しがるだろ?」


という理由で冴梨もお相伴に預かることになった。


たしかに口の周りべとべとにして嬉しそうにたこ焼きを頬張る恵人を見ていると、こんなに楽しそうなら一緒に居られて良かったなと思う。


「恵人くん、もうおなかいっぱい?」


子供用のフォークが動きを止めたところで冴梨が声を掛けた。


「ごちそーさまでした」


「はい、えらいね。じゃあ、こっち向いて?」


「んー・・・」


大人しく向き直った恵人の口についたソースを綺麗に拭き取る。


「はーい。いいよー」


「冴梨ちゃんありがとー」


「恵人、冴梨ちゃんに懐いてるなー」


恵人の食べ残したたこ焼きを片付けながら亮誠が言った。


「仲良しなんだよねー?」


「ねー?」


冴梨の質問に笑顔で答える恵人の満面の笑みは、他の何にも代えられない位純粋で真っ直ぐだ。


恵人が絵本を持ってきて、冴梨の膝にちょこんと座る。


「恵人ー、冴梨ちゃん飯食えないだろー」


「大丈夫ですよー。ここでお夕飯食べさせて貰う時とかいっつもこんなのだし」


「甘えたー」


亮誠が言って、恵人の小さな丸いおでこを軽く弾いた。


「おまえ、全然ママっ子じゃ無いくせになんで冴梨ちゃん子なんだよ・・・あ、今日のお土産はクレームブリュレ。硬めの食べ応えあるやつな。また感想聞かせて」


「りょうくんうるさいー!ぼく冴梨ちゃんと遊ぶのー」


「うん、うん、遊ぼうねー。クレームブリュレも好きです!嬉しい」


「冴梨ちゃんすきー」


恵人がそう言って、冴梨に全力で抱きついてきた。


保育園から戻った時と同じようにぎゅうっと抱きしめられる。


「本当ー?嬉しいなー。あたしも恵人くん大好きだよー!可愛い!!」


そう言って同じく全力で抱きしめ返す。


腕の中できゃっきゃとはしゃぐ恵人の笑い声が和室に響いた。


そんな冴梨を横目に、亮誠が面白くなさそうに頬杖を突いた。


「子供って得だよなぁ」


その言葉に冴梨は笑ってしまう。


「なんか・・・子供みたいですよ?」


亮誠は畳の上にゴロンと横になった。


「男はみんないつまで経っても子供みたいなもんですよ?」


まるで大人みたいな台詞だ。


いや、この人は間違いなく冴梨よりずっと大人だけれど、彼の行動は冴梨の知る大人とはちょっとズレていたので、彼を大人の男の人だと意識した事はあまりなかった。


だから、急にそんな事を言われると不覚にもドキドキしてまう。


「・・・じゃあ、ちゃんと大人になって下さい」


苦し紛れにそう言ったら。


「大人になっていいの?」


聞こえて来た予想外の言葉に俯いてしまう。


それは勿論額面通りに受け取って、立派な大人になってくださいと笑って見せればよいのか。


だけど、彼がこの言葉に含めた意味は、それではない気がする。


何も言えずに恵人のつむじばかり見ていたら、さっきから妙に膝の上が静かな事に気づいた。


顔を覗きこむと案の定目を瞑って寝入っている恵人を見つける。


しっかり握った絵本は開かれたままだ。


きっと夢の中で続きを読んでいるんだろう。


微笑ましい気持ちいっぱいでそっと恵人の手から絵本を取り上げる。


何度も繰り返し読んでいたお気に入りの絵本を音をたてないように畳に置く。


と、その手の上に亮誠の左手が重なった。


え・・・・


思わず声が出そうになったけれど、膝の上の恵人を思い出して息を飲む。


彼の手を凝視すること数秒、体を起こした亮誠の右手が、冴梨の頬にそっと触れた。


「あ・・・」


「よく寝てるな」


恵人の寝顔を見て彼が小さく言った。


冴梨の頬に触れた指についての言及は何もなかった。


黙り込む冴梨を他所に、亮誠の手は冴梨の輪郭を優しく撫でる。


「・・・」


必死に何か言葉を探すけれど、何も言えなかった。


万一恵人が目を覚ましたら困るからだ。


少しずつ近くなる顔に冴梨は動けない。


このままこうしていたらどうなるか分かる。


それでも動けない。


自然に目を閉じる自分がいた。


無意識に。


そうしていた。


冴梨の唇を乾いた指がそろりとなぞる。


肩を竦めそうになる。


震える唇を宥めるように撫でた指が離れた瞬間。


「ママぁ?」


「!?」


恵人の声に慌てて冴梨は身を引いた。


そして目を開ける。


冴梨の腕の中で眠い目を擦る恵人が、辺りをきょろきょろと見回している。


び、びっくりしたぁ・・・・


亮誠が、冴梨の頬から指を離してそのまま恵人の頭を撫でた。


「ママは、まだだよ。恵人、布団で寝るか?」


「ん・・・」


どうやらきちんと目が覚めているわけでは無いらしい。


ぼんやりしている恵人の顔を覗き込んで、亮誠がその目を右手で覆う。


「う?」


冴梨もその行動の意味が分からない。


恵人の顔にばかり集中していた冴梨の頬に唇が触れた。


「タイミング良く目ぇ覚ますもんだ」


呆れた口調で言って、呆然とする冴梨の腕から恵人を抱き上げる。


頬を掠めていった熱は確かに彼の唇だった。


あわあわと頬を押さえる冴梨を見て、にこりと笑って亮誠は隣の部屋に消えた。




★★★★★★



「ただいまー!!」


「ごめんねー!遅くなっちゃって」


裏口が開く音がして、間もなく美穂たちが2階に上がってきた。


「あれ、恵人は?」


「あああ、ね・・寝ちゃって・・・いま亮誠さんが隣にっ・・・寝かして・・・」


「ああそうなんだ。助かったよ。冴梨ちゃんも遅くまでごめんね」


店長が上着を脱ぎながら言う。


「いっいえ!!そんな、全然!」


冴梨は必死に何もありませんでしたよと笑顔を浮かべる。


「・・どしたの?何かあった?」


不思議そうな顔をする美穂に冴梨は必死で首を振り続けた。


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