第6話 レモンパイでお迎え

「冴梨ちゃん、本当にごめんね!!うちの愚弟が」


バイト終わりの冴梨に美穂は神妙な面持ちで頭を下げた。


冴梨は抱きついてきた恵人を抱き上げて首を振る。


「いえ・・てゆーか、テンパっちゃって・・・もうなんか。いっぱいいっぱいってゆーか・・・美穂さぁん~!!!!」


「冴梨ちゃんどしたのぉ?」


「冴梨ちゃんー!?」


恵人を抱きしめたまま床に崩れ落ちた冴梨を、引っ張り起こして美穂は言う。


「だ、だ大丈夫!?」


「あたし、もうほんっとに限界で!いっぱいいっぱいなんです!なんなんですかあの人!?」


「うん、本当にごめん。責任持って話聞くから!」


そう言うなり冴梨は、美穂たちの家に連れて行かれた。


あの一件以来、混乱を極めるばかりの脳は思考を完全停止させていた。


篠宮亮誠という名前を思い浮かべるだけでも、頭が沸騰しそうな位熱くなる始末。


オーバーヒート気味のふらふらの頭で、冴梨は倒れそうになっていたのだ。


「こら、恵人、お姉ちゃんは大事なお話あってここにいるんだから、お膝に座るのやめなさい」


「やーだー」


「あー、いいですよ、全然」


逆に恵人を抱っこしているほうが落ち着く。


ほうっと息を吐いて何から話そうかと、動かない頭で考えていると、美穂がしみじみ頷いた。


「そう?・・・で?悩んでるの?わかる!わかるわよ!恋ってね、どっちか片方にとっては唐突なものなのよ。そりゃあ、少しずつお互いの気持ちを確かめていく?みたいな恋もあるけど、大抵は片思いから始まるじゃない?それが、いつ、どんな形であれ、当人にとってはパニックよね。だって良く知りもしない相手から好きですって言われるんだもの。映画かドラマの世界でしか起こらないと思ってたことが、自分の身に起こったらそりゃ驚くわよ!しかも、冴梨ちゃんみたいな純粋無垢な子は、あんな強引なやり方で好きだって言われたら当然のごとくパニックになっちゃうわよね。恋愛未経験超初心者の冴梨ちゃんだもんね」


・・・・なにも言ってないのに・・・


一人で喋って、一人で納得する美穂は、完全に冴梨をおいてけぼりだ。


「あたしが、誰とも付き合ったこと無いのなんでわかったんですか?」


冴梨の質問に美穂は目を丸くして、さも当然のように頷いた。


「そんなの顔見たら分かるわよ」


「えー!?」


大人って怖い。


なにもかもお見通しですか・・・


冴梨は恵人の頭を撫でながら、目を閉じる。


「・・・あたし、誰かから好きって言われたの初めてなんですよね。付き合うとか、好きとか、あんまり実感湧かなくて・・・お姉さんを前に言うのもアレなんですけど、なんかイマイチ真実味がないというか・・・だってよく知らない人だし」


「そうよね、そうよね冴梨ちゃん!」


美穂が潤んだ瞳で冴梨の手を握った。


「不安がらせてごめんなさいね!やっぱり、私があの馬鹿を始末するわ!」


「美穂さんっ目が・・・・その・・・」


「ママ怖いー」


恵人の意見に大賛成である。


と、恵人が冴梨の膝から急に立ち上がった。


どうしたんだろうと目で追う冴梨に。


「あーいいわ、どーせパパのトコでしょ」


そう言って美穂は真剣な顔で冴梨を見つめ返した。


「はあー・・・困ったわ」


重たい溜息を吐くなり、今度は恵人の後姿をじっと見つめる。


それから再び冴梨の方を見つめて、はあーっともう一度溜息。


なんだか物凄く冴梨が彼女を悩ませているという事だけは、よくわかった。


「こんないい子が、アイツのものにされてしまうかと思うと泣けてくるわ・・・もうすんごい邪魔したいけど、恵人たちを思うとなー・・・もうやだ、私」



ええ?話跳びすぎ・・・そんなのまだわかんないし。


YESともNOとも言っていないんだから。


「あの、あたし、亮誠さんのことよく知らないしだから、好きになれるかも分からないって言ったんです」


「はっきり好きじゃないって言ってよかったのに」


「でも、分かるまで待つからって」


「は・・・?」


「時間かかかってもいいからって。亮誠さんそう言ってました」


「あの馬鹿・・・そんなこと・・・・言ったの・・・」


「はい」


「面倒な駆け引きの多い恋愛に割く時間なんて無いってこないだまで適当に遊んでた男がねえ・・・」


前髪をかきあげて美穂が溜息を吐く。


複雑そうな顔は、迷っている時の彼女が見せる表情だ。


「・・・あの亮誠が”待つ”ねえ・・・」


「あの・・・確かに、あたしもあの日はめちゃくちゃ腹も立ったけど、びっくりしたし。でも、貰ったケーキは美味しかったし・・・なんか、ちょっとだけ、面白い人だなって」


「ちょ・・・ちょっと、冴梨ちゃん。ケーキくれたからって、ウチの父親にまで紹介させられたこと忘れちゃっていいわけ!?」


「あー。でも、もしかしたら好きになれないかもしれないでしょう?そのときは、ちゃんとお話しますから」


「あのね・・・」


ぐったりした顔で美穂が頬杖をつく。


だって相手はちゃんとした大人だし。


そんな強引なやり方はしないだろうと思ったのだ。


まして会社の社長が私情で女子高生をどうこうしようなんて考えてもいないだろう。


息子の気まぐれに付き合わされたのだと思うに違いない。


「冴梨ちゃーん!」


「わ、恵人!」


戻ってきた恵人が冴梨に抱きつく。


「恵人どこいって・・・・げ」


階段を振り返って美穂が思いっきり


嫌そうな顔をした。


「お嬢様のお迎えに上がりました」


しれっとそんなことを言って入ってきたのは亮誠だ。


「恵人、車の音聞こえて玄関開けに行ったのね?」


「ねー」


美穂の問いに可愛く返事をする恵人。


「ところで姉貴」


亮誠の言葉に美穂が固まった。


「こないだ電話で言ったこと覚えてるよな」


「な・・・なんのことかしら?」


「・・・俺を始末するって?」


「あー!恵人!!」


密告人の恵人を叱りつける美穂。


「だーってママこわーいお顔でしまつするって」


子供がそんなこと言っちゃいけません。


「恵人、保育園のお友達に今の言葉は言ったら駄目だからねー」


美穂がやんわり念を押すと、元気のよい返事が返ってきた。


「さて、話もついたようだし、帰ろうか」


亮誠は、恵人を冴梨の膝から降ろすと、冴梨の腕を軽く引いた。


「え・・でも・・・」


さっきのは冗談だと思ってたから。


「いいから」


「あの・・・」


美穂を振り返ると、諦めた顔で手を振っている。


「安全運転で送りなさいよ!」


「わかってるから」


「りょうくん、冴梨ちゃんばいばーい」


「ばいばーい」


いいのかなぁ・・・


階段を降りながら冴梨はニコニコ見送ってくれる恵人に手を振った。


「あの、美穂さんに用事があったんじゃないんですか?」


「冴梨ちゃんを迎えにきたって言っただろ」


「・・・はあ・・・」


こういうときどーゆう反応すればいいのか恋愛未経験の冴梨は分からない。


だって、別に付き合ってるわけでもないし。


すみませんっていうのも違うしな・・・


「困ってんの?」


「はい・・・」


冴梨の返事に亮誠は大爆笑した。


なんで!?


「なんで、笑うんですか?!もう!」


「思ったままのリアクションでいいんだって」


「でも・・・」


「俺が、勝手に会いたくて来たんだから。俺に気を使って言葉を選ぶ必要無いだろ?むしろ、この前みたいに、パニックになって思ったことポンポン言ってくれたほうが嬉しいけど」


あの時は状況が状況だけに冷静じゃない自分が居たのだ。


だって拉致同然に連れ出されたのだから。


あんなに取り乱して怒鳴ったのも初めてだったし。


「あれは・・・ビックリして・・・亮誠さんも悪いんですよ!!」


「うん、あれは俺のやり方が悪かったからごめんな」


すんなり謝られて、冴梨は何も言えなくなる。


無意識にまた複雑な顔をしていたのだろうか。


「そやって、思ったこと言ってくれたらいいから」


亮誠が、冴梨を見て笑った。


悪い人じゃ・・・ない。


とは、思う。


「じゃあ・・・ありがとう」


せっかくここまで来てくれた人に言うべきはこの言葉だろう。


「・・・いーえ」


亮誠はそう言って、左手で後部座席を指差した。


「会いに来るんだからお土産が要るだろうと思ってさ・・・」


「なんですか?」


「ウチの人気商品のレモンパイ」


「えー!嬉しい!!」


白い箱の中身を想像して思わず声を上げてしまう。


サクサクの生地に、甘酸っぱいレモン。


この季節にはピッタリのスイーツだ。


「・・・気を使わせてます?」


「なんで?」


「だって、あたしは駅まで歩く分楽して帰れて、しかもケーキまで貰って嬉しい事ばっかりだけど、亮誠さんにしたらひとつもいい事無くないですか?」


「・・・・俺が、喜ばせたくてしてるんだからいいんじゃねーの?喜んでくれてるみたいだし。あと、次に会ったらケーキの感想聞かせてくれると嬉しい。今回はレモンジュレにかなり拘って作ったやつだから」


「はい・・・・嬉しいです・・」


大好きなケーキもらえて嬉しいのは本当。


悪意がない人からの厚意は素直に嬉しい。


そこに好意が含まれるなら、もっと。


イマイチ自分のどこに彼が惚れたのかは分からないけれど、誰かから好きだと言われるのは、くすぐったい。


欠点だらけの自分を、少しだけ好きになれる。


よく、少女漫画で主人公が告白したら”ごめん、キミの気持ちは嬉しいけど・・応えられない。でも、好きになってくれて嬉しいよ、ありがとう”みたいなシーンがあるけど。


実際、そういう気持ちになるのだから不思議だ。


嫌いと言われるより、ずっといい。


お気楽すぎと言われても、いまの冴梨にはその程度にしか恋愛は理解できない。


「なら、それで俺は満足だから。これでプラマイゼロだろ?」


穏やかな亮誠の笑み。


初対面で、如何なものかと思った彼の印象は綺麗に塗り替えられていた。


「・・・・はい・・・」


あたしも、この人をいつか喜ばせたいと思うようになるんだろうか。


初めて、そんな風に思った。


「ちょっとは、恋愛する気になれそう?」


冴梨の少し赤くなった顔を見て嬉しそうに亮誠が訊いた。


冴梨は頬を両手で押さえて叫び返す。


「・・・そんなすぐになりませんよ!」



人の気持ちって本当に難しい。


でも、やっぱり。


悪い人じゃないんだよ。


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