第4話 説明、ほろ苦ティラミス
会場を出た後で、一度亮誠が立ち止まる。
夢見心地の冴梨を振り返って首を傾げた。
「荷物どこ置いた?」
「あ・・・隣のロッカーに」
「取ってきて?正面玄関に車着けるから」
「あ・・はい・・・あの・・・ほんとにもう帰っていいんでしょうか・・・?美穂さんもいらっしゃらないようですけど・・・」
「バイトなら大丈夫、元もとカウントされてないし。姉貴のことも心配要らないから。連絡も入れとく」
有無を言わせないその口調に圧倒されてしまった冴梨は小さく頷いて、言われるまま荷物を取りに戻った。
突然すぎる出来事の連発に全く頭が回らない。
カウントしてないってなに?
それまつまりバイト代出ないってコト?
いや、でもそれよりも、さっきのあれは現社長直々に内定を貰えたようなものだ。
短い大学生活を就活で思い悩むことなく過ごせることは、すべての大学生の憧れだ。
これはもう是が非でも、このまま奨学金枠で短大に進んで、ガーネットに就職しなくてはならない。
★★★★★★★★
荷物を取ってエントランスに戻ると、宣言通りの正面玄関に車を寄せて彼は待っていた。
どこに向かうのかも説明されないまま、すぐに車は走り出す。
ロータリーを抜けながら、ほんの少しだけさっきのケーキたちが頭から離れなくて、後ろ髪を引かれる思いで振り返る。
「そんな不安そうにしなくても大丈夫だって。姉貴いないとそんなに心配?それとも、俺の事まだ怪しんでる?」
「あ、いえ・・・ケーキ・・・」
ポツンと呟く。
せめて味見位させて貰えば良かった。
ガーネットのケーキは抜群に美味しいけれど、その分お値段も張るので、一介の女子高生にとってはかなりのご褒美スイーツだった。
素直に欲求を口にしたら、亮誠が小さく噴き出した。
この状況でケーキとか、さすがだなと笑う。
ケーキ屋の息子にはわかんないのよ、あれだけ沢山のケーキを一気に楽しめる機会なんて、一般市民にはそうそうないんだから。
ケーキバイキングなんて目じゃない豊富なバリエーション。
丹精込めて作られた宝石のようなケーキの数々。
もう二度とこんなことないかもしれない。
「さっきのヤツなら、後ろに積んであるから」
「うそ!」
その返事に冴梨は後部座席を振り返る。
たしかに白い箱が2つ見えた。
「・・・・」
「関係者には後で配られる予定だったんだ。良かったら食べていいよ」
「え、ほんとですか!?」
「もちろん」
「あの・・・さっきのアレ、内定貰えたって考えていいんですよね?あたし本気にしましたから!絶対ガーネットに就職させてくださいね」
「ああ、うん。就職は・・・出来るよ。冴梨ちゃんがその気になれば」
「大学生が就職したい地元企業ランキングでいつも上位の会社ですよ?就職したくないわけないです」
「高評価ありがとう。あと、さっきは助かった。ほんとに」
「よく分かりませんけど、あたしは別になにも・・・むしろ凄く貴重な機会を頂いたのはあたしだと思います。あ、でも・・・あの・・バイトの事は・・・」
「うん。言わないよ」
「良かった。助かります」
冴梨は、手前にある白い箱を手繰り寄せて、膝の上にそっと載せるとゆっくりと開いた。
そこには、さっきまで会場を彩っていた様々なケーキがぎっしりと並べられていた。
フォークで二口ほどで食べきれるサイズのものばかりだが、さすがによく知らない人の前でがっつり食べるのは気が引ける。
仮にも聖琳女子高生なわけだし。
「・・・すごく美味しそう・・・今日のご褒美に頂きます!」
「姉貴の言ってたとおりだな。ケーキ好き?」
「はい、好きです。だからアンジュでのバイトが決まった時凄く嬉しかった・・・」
「甘いものに目が無いって話聞いてたから、多めに詰めて貰って正解だったな」
「・・確かに・・まあ、その通りなんですけど・・あ、えっと、今更ですけど、この間は気付かなくてごめんなさい」
「ああ、いいよ、別に」
「本当にありがとうございました。大学構内で喧嘩なんて始めたら、学校で何言われか・・・」
聖琳女子始まって以来の不祥事と騒がれたに違いない。
淑女たるものどんなときも礼節を重んじ常に美しくあれ。
生徒会室に飾られている聖琳女子の在りかた。
桜にも指摘された通り、冴梨は少しばかり喧嘩っ早い。
かっとなると口より先に手が出るタイプだ。
あの大学生たちが桜に触ろうもんなら、掴みかかって一発殴る位のことしていたかもしれない。
「いえいえ。お礼言われる前に、こっちが謝罪しないといけないからそこは。同じ大学に通う学生として情けないよ。ってことで、その話はもう終わりにしよう。きみもお友達も怪我が無くて良かったってことで。じゃあ、そろそろ俺のほうの説明してもいいか?」
そう、まずは今日の一連の出来事を説明して貰わなくては。
「あー・・すみません、はい」
ケーキ箱の蓋をもう一度丁寧に閉めて、冴梨は居住まいを正す。
「姉貴が、あの会場に来たのはきみと親父の接触を避るため」
「なんでですか・・?」
「俺が、きみを親父に紹介しようとするから」
美穂と父親の間に何かしらの確執がある事は分かったが、ガーネットへの就職は冴梨にとっては利益意外の何物でもない。
「さっきの就職斡旋の事なら・・・むしろ有り難い・・・」
「そうじゃなくて、今日あの会場に俺の彼女を連れてくるって親父には言ってたから」
亮誠の言葉に、就職斡旋の単語が頭から消し飛んだ。
「えええええっと・・・一体・・・・誰のことですか?」
さっきまでの高揚感が一変、冷や汗が背中を伝い落ちる。
物凄くとんでもない場所に自分は居合わせたのではないだろうか。
「いや、普通この場合自分以外有り得ないでしょ」
呆れたような声が運転席から降ってきた。
なにいってんの。
この人何言ってんの!?
今更、物凄く今更だけど、ケーキに感動したり、内定獲得とか言って盛り上がってる場合じゃなかったと激しく後悔する。
冴梨は自分の愚かさを呪いたくなった。
「あああたし、今日まともに初めて口きいたんですよ!付き合うとか有り得ないでしょ!」
「まさかうちに入りたいって言うとは思わなくて焦ったけど・・・まあ、あの態度はかなり好印象だったと思うよ」
「だから就職を・・・」
「あれは、親父的には、前向きに結婚を考えてますって取られてると思うけどなぁ」
「そそそそんな勝手な」
「一応、俺としてもその前にちゃんと会いたかったんだけど、なんせ、姉貴の妨害が凄くてさ」
美穂が必死になって冴梨を止めようとしたのはこれだったのだ。
自分の判断ミスを目の前に突きつけられて、冴梨はがっくりと項垂れた。
「あの、このケーキ、お返ししますんで。すぐに降ろしてください」
「それは無理」
「無理って」
「だって高速上がったし」
ほら、外見てみな。と亮誠が窓の外を指さす。
助手席の窓からは、晴れ渡った綺麗な青い海が見えた。
いつの間にか湾岸線を走り出していたらしい。
「ちょっとホントに冗談なら、やめてください!!」
「冗談なら、こんな面倒くさいことしねぇよ」
きっぱり言われて、冴梨はとうとう堪忍袋の緒が切れた。
反射的に怒鳴り返す。
「冗談じゃなかったらなんなのよ!」
「本気」
「は・・・」
返す言葉がなかった。
本気って。
それは。
「姉貴の話聞いてて、ちゃんと会いたいと思った。こないだ大学で会った時、やっぱり気になって。店に会いに行って、確信した」
「・・・・」
何を。
とは訊けなかった。
「その気が無いのも知ってるし、順番も逆だけど、俺と付き合う気ない?」
”告白されるならー、夕暮れの海岸でー、沈みゆく太陽を見ながらー、このままずっと二人でいたいねー、とか言って・・・”
”あのね、絢花。そんな映画見たいなシチュエーションあるわけないでしょ”
”ええー!桜!そんなの分かんないよ?ねえ、絢花!すんごい大金持ちの御曹司がさー急にプロポーズしてくるかもしれないし!”
”そうそう!アラブの石油王とかー?”
”そうよ!外国の王家の血を引くの王子様とか!!”
”ある日突然、一目惚れしましたって言って白馬に乗って迎えに来るのー!”
”この日本のどこに白馬が走れる道路があんのよ?”
昼休みの他愛無いクラスメイトとの会話が蘇る。
石油王でも、王子様でも、白馬でも無かったけど。
ケーキ屋の跡取りに告白される事はあるらしいよ・・みんな・・
冴梨は、生まれて初めて告白されて間違いなくテンパっていた。
嘘でも、口先だけの告白でも。
「・・・あたし、あなたのことよく知らないし、それにあなたのこと信じられない」
自分が誰かと付き合うとか。
誰かを好きになるとか。
まして結婚するなんて。
考えただけで知恵熱が出そうだ。
こういうのは苦手。
自分の心なんて自分が一番分からない。
自分以外の誰かが夢でも、憧れでもなく、自分のことを好きだなんて。
冴梨の答えに亮誠は少し黙った。
それから、言葉を探す様にゆっくりと口を開く。
「じゃあ、分かるようになるまで諦めない事にする」
予想外の答えに、冴梨は呟く。
「何言ってんの・・・」
だってこういう時、普通の人だったら”なら仕方ないな”とかいうもんじゃないの?
あたしも好きです、と応えてハッピーエンド。
ごめんなさい、と応えてアンハッピーエンド。
どちらでもない返事をする自分なんて想像した事なかった。
だから、当然相手の反応もわからない。
「答えが分かったら言って。それでいいから。んで、答えが分かるまでは付き合って。ちゃんと考えてくれるなら、バイトの事は学校には言わない」
「脅すつもり!?」
「悪いけど、俺にはきみが必要なんだよ」
「なにそれ・・・」
「言葉通りの意味だよ」
楽しそうに言って、亮誠が微笑む。
夜の高速は、まるで魔法のように夜景がキラキラ輝いて見えた。
どんどん後ろに流れていく景色を見ながら、これは現実か?と何度も確かめたくなる。
なに言ってんの。
ってか、何で笑ってんの。
だって永遠に好きにならないかもしれないのに。
なんで、なんで。
なんで?
色々あり過ぎて、情報が多すぎてパンクした頭は放心状態。
それから亮誠は何も言わずに車を運転し続けた。
冴梨はただ黙って流れていく景色を見ていた。
どれくらい走っただろう。
高速を降りた亮誠は暗い夜道を何度も曲がって、暫く道なりに走った後、車を停めた。
冴梨は俯いてばかりだった視線を上げて外を見る。
冴梨の家の前だった。
動揺しすぎてカーナビを見る余裕すらなかったのだ。
とりあえずこの状況から逃げられる事にほっとした。
「送ってもらってありがとうございました」
「律儀だな」
だって、一応お礼は言わないといけない。
例えどんな相手でも。
車を降りようとして、冴梨は振り返る。
膝の上に置かれたままの白い箱。
さっきのやり取りを思い出してどうしようか迷って、やっぱり惜しくて口にする。
「あの・・・このケーキ、くれるの?」
物凄く今更のようにも思える質問に、亮誠は小さく笑って答えた。
「どーぞ。お望みのままに、いくらでも」
自宅のリビングで、箱を開けて、残りのケーキを食べた。
ほんのり苦いティラミス。
恋ってこんなものかしら?
なんて思った。
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