第3話 巻き込め!ロールケーキ
「冴梨ちゃん。ちょっと頼みがあるんだけど」
いつものバイト終わりにロッカーで着替えをしていると店長に呼ばれた。
冴梨は、お馴染みのワンピースのリボンを結びながら頷いた。
「はい、なんでしょう?」
「実は、コレ、行って貰いたいんだよ」
そう言って渡されたのは一枚の案内状だった。
そこに書いてあったのは
「新作発表会・・・?」
そこ書かれた見慣れない文字の並んだ案内状に冴梨は瞬きを繰り返した。
☆★☆★
「それって何するの?」
厚焼き玉子を口に入れながら絢花が問いかけを投げた。
可愛い顔に似合わない大口でぱくんと黄色い卵を頬張る姿は、とてもお嬢様のそれとは思えない。
綾小路くんが見たら100年の恋も冷めちゃうよ・・・
付き合い始めたばかりの他校生のイケメン彼氏の顔を思い浮かべて、ここに居なくて良かったねとこっそり思う。
昼休みの教室は、仲の良いメンバーが机をくっつけてお弁当を広げている。
天気の良い日には中庭のベンチや屋上も人気だった。
「うん、何か、バイト先のケーキ屋の出資元の新作発表会なんだって。よくわかんないけど、ケーキサーブしたりする人が足りないからお手伝いに行かなくちゃ行けないみたい」
「へー・・・冴梨のバイト先ってそんなおっきい会社だったんだ?」
桜がサンドイッチを頬張りながら言った。
「あたしも知らなかった。商店街の中のケーキ屋だからばれないと思って始めたんだけどねー・・・ほら、ガーネットってあるでしょ、駅前の」
「デパ地下にも入ってる有名店じゃない。好きよーあそこのケーキ」
絢花が楽しそうにデートで行った事もあると微笑む。
「え、なに、ガーネットが出資元って事?凄い有名企業じゃない!大丈夫なの・・・?」
ホテルにも入っている有名店の名前に、桜が気色ばんだ声を上げた。
どこかで聖琳女子の先生や生徒と鉢合わせするのではと、その顔に書いてある。
「社内向けの発表会らしいし、人数合わせで行って貰うだけだからって言われてるから、まあ、多分大丈夫でしょ。だってバイト代上乗せって言われたし」
「冴梨のことだから、ケーキの余り貰えるかもって思ってOKしたんでしょ」
あらーばれてるよ・・・
冴梨の心を見透かしたような桜のセリフである。
「だって、絶対人数より多めに作ってるしさ」
「・・・お願いだからタッパとか持って行かないでね・・・」
絢花が心底心配そうな顔で言ってきた。
「あー大丈夫。紙箱嫌ってほどあるし」
「そーゆー問題?」
呆れ顔の桜。
だってー・・・どうせなら、ねえ?美味しいもの食べたいし!
ちょっとしたご褒美くらいあってもいいと思うのだ。
だから、この時はさほど心配はしていなかった。
★★★★★★
ガーネットの母体である篠宮洋菓子は、都心のオフィス街に自社ビルを持っている。
本日の会場は、その自社ビルの2階フロアだった。
業績報告や議事案件を片付ける定例役員会の後で役員と各部署の役職連中を集めて発表会を行うらしい。
今回はガーネットの創立20周年記念の焼き菓子の限定詰め合わせセットのお披露目目的なのだと、同じくフロアスタッフとして店舗から派遣されてきた店員が教えてくれた。
地味な白ブラウスに紺のスカートを合わせていた冴梨は、同じような背格好の女性スタッフ達にすっかり馴染んでしまう。
仕事内容はバイト先とほぼ同じだ。
ケーキや焼き菓子のサーブがメインである。
バイト先では見る事の出来ない、珍しいケーキが何種類も用意されている。
一口サイズのプチタルとや、ミニロールケーキ、マドレーヌやフィナンシェなど王道の焼き菓子も良い香りを届けてくれた。
甘いもの好きにはたまらないアルバイト会場だ。
色とりどりのスイーツたちに手が伸びそうになるのを必死に堪える。
時給も高くしてもらった事だし、しっかりと頑張らなくては。
こういうレセプション系だと、必ず残りは貰えるから、となぜか店長から太鼓判を押されていた。
会場が出来上がった頃、会議を終えた役員たちが集まり始めた。
上等なスーツ姿の男女が楽しげに談笑しながらケーキをいくつか取っていく。
様々年代の人たちが、ケーキや焼き菓子を見て形や作りについて色々と話をしている。
彩りがどうの、形がどうの、カットした際の断面や、使われている果物やリキュールの産地まで。
ただのケーキ好きの冴梨には到底理解の及ばない難しい単語が飛び交う。
こんな風に新作ケーキって作られていくんだなぁ・・・
出来上がったケーキを販売するだけじゃない、その裏側を垣間見る事が出来て、さらにケーキが好きになる。
ひたすらケーキを並べることだけに夢中になっていると、いくつかある入り口のドアの影から中を伺う人影に気づいた。
誰かを探している様子の女性に視線を向けると、彼女と目が合う。
「冴梨ちゃん」
「え、美穂さん!!ななんで!?」
見れば、いつものエプロン姿ではない美穂が優雅に微笑んでいて、思わず見惚れてしまう。
纏められた髪は綺麗に夜会巻きにセットされていた。
耳と胸元に光るのは大粒のダイヤモンド。
それを品よく纏めているのはシックなグレーのワンピースだ。
恵人の送り迎えの時のスニーカー姿からは想像もつかない、ピカピカのピンヒールを綺麗に履きこなす立ち姿はさながらモデルのよう。
呆気にとられる冴梨は、彼女がここに居る理由を必死に考える。
もしかしてあたしの仕事ぶり見に来たとか?
目を白黒させる冴梨に向かって、美穂がこっちに来いと手招きして来た。
「どうしたんですか!?なんで此処に!?」
「此処は私の実家だから、まあ、出入りは自由なのよ、表向きはね」
「へ・・・実家・・?」
「そう、ここは、私の父親の会社なの」
「え・・・すっごいお嬢様だったんですね・・・実家がガーネットなんて・・・じゃあ、美穂さんも会議に出席されてたんですか?」
「ううん。違うのよ。もう此処と私は無関係なの。だから大っぴらに会場に入ることも出来なくって・・・」
ひとまずさっきの情報提供で、元お嬢様だった事が分かったので、お家の事情かな?とぼんやり思った。
極々一般家庭の娘である冴梨でも通える聖琳女子だが、中には本物のお嬢様も大勢いる。
元華族のご令嬢や、大手製薬会社の孫娘、有名政治家の姪などなど。
さまざまお嬢様が集まる学校だが、勿論中にはワケアリのお嬢様もいらっしゃるのだ。
家庭の事情は色々と複雑だという事を、ワイドショーではなく、教室内で嫌というほど実感してきた。
美穂がぼやかしている以上、訊く気もないし、自分から首を突っ込むつもりもない。
いちバイトとしての任務さえまっとう出来ればそれでよし。
「え、じゃあどうして・・・」
「ちょっと心配なことがあってね・・・あ、来たきた」
難しい顔をする冴梨を無視して、美穂が広い廊下の先を見て手を振った。
あ・・・こないだの・・・
見ればちょうど美穂の弟がこちらに歩いて来るところだった。
大学で会った時は印象もなにもあったもんじゃなかったし、二度目に店で会った時は、不愛想な人だなと思った。
けれど、今日は違う。
最初から彼の顔には笑みが浮かんでいた。
「来てくれると思った」
美穂の弟が冴梨たちに笑いかける。
前より、柔らかい印象だな・・・
ぶしつけにケーキだけ預けて帰ったときには、愛想のない冷たい人だと思ったけれど、姉である美穂に向ける視線は、ちゃんと家族への愛情に溢れている。
店長が、美穂に向ける視線と似ていて、それだけでほっとする。
「仕方ないでしょ、あんたが私通さずにウチの人に頼んだりするから・・・」
「だって、説明したら反対しただろ?」
兄弟水入らずを邪魔するつもりは毛頭ないので口を挟まずにいたら、急に美穂がこちらを向いた。
「そりゃそうよ、当たり前でしょ。絶対反対よ。だから連れて帰るわ」
そう言って冴梨に視線を向けた。
え、あたし?連れて帰る?
意味が分からずにきょとんとしてしまう。
いきなり水を向けられても困る。
美穂がわざわざ着飾ってここまでやって来たのは、冴梨を連れ戻す為、ということはアルバイトは中止ということになる。
「え、でもバイト代上乗せ・・・」
店長との約束を口にした冴梨の言葉を遮るように彼が口を開いた。
「姉貴が反対してもムダだって。この件に関しては口出しする権利がそもそもないだろ」
「その前に本人の意思無視したらだめでしょう」
「それはこれから確認するから」
「これからってね、ちょっと、亮誠!」
呆れた顔で美穂が弟、亮誠と、冴梨を交互に見た。
どうして亮誠さんだけでなくて、あたしも見るのか?
疑問に思う間もなく、彼が美穂に軽い口調で尋ねた。
「とゆーわけで、この子、ちょっと借りて行くから。義兄さんには了承取ってるよ」
借りるって、え、なに?借り物競争ですか!?
ぎょっとなる冴梨を余所に、美穂が額を押さえた。
「いい加減にしなさいよ、馬鹿亮誠。あんたねぇ・・」
とりあえず、当事者は自分だと確定した。
このまま黙って流されるわけにはいかない。
「あの・・・話が」
見えないんですけど・・・・
とりあえず事情説明を求めた冴梨に向かって、亮誠が初めて視線を向けて来る。
「聖琳女子ってバイト禁止だろ?」
「!!!」
にやっと意地の悪い笑みを浮かべた亮誠が、バレると困るよな?と呟く。
ひと月ほど前の大学での初対面が頭を過って、胃の奥が冷えた。
反省文で済めばまだマシ、万一停学にでもなったら、内申に傷がつく。
当然奨学金進学の夢もご破算になってしまう。
顔面蒼白になった冴梨の手首を捕まえると、亮誠は会場に向かって歩き出した。
「ちょっと待ちなさいよ亮誠!」
「早く帰んないと、鬼に見つかるよ?後の事はご心配なく」
「冴梨ちゃんになんかしたら許さないわよ!」
美穂の声を背中に受けながらも、冴梨は振り返る事が出来なかった。
★★★★★★
「義兄さんからバイトの話聞いてるだろ?余計な事は話さなくていいから適当にニコニコしといて」
「あの・・・学校には・・・」
「この場を乗り切ってくれたら言わないよ」
この場の意味が分からず首を傾げる冴梨に、意味深な笑みを向けた亮誠が、よろしくな、と零す。
何のよろしくかさっぱり分からない。
美穂はこの会場には入れないようだし、安請け合いはしたくないけれど、今守るべきは何より自分の秘密である。
こくんと硬い表情で頷いたところで斜め前から静かな声が聞こえた。
「亮誠、この子か?」
亮誠の前で歩みを止めた壮年の男性を見止めて、冴梨は思わず息を飲んだ。
会場に集まっているほぼ全員の注目が目の前の男性に集まっていた。
恰幅のよい穏和そうな壮年の男性は間違いなく、この場の最高権力者だ。
社会人経験の無い冴梨でも分かる。
それくらい静かで、深い声だった。
ざわめきが一瞬でかき消えて、会場内が静まり返る。
「そうですよ。約束通り連れて来たでしょう」
逃げる間もなく隣に回った亮誠に肩を抱かれる。
はあ!?
淑女にあるまじき素っ頓狂な声を上げそうになって、ぐっと堪える。
人間驚き過ぎると声が出ないらしい。
「初めましてお嬢さん、名前は?」
お嬢さん、だなんて言われ慣れて居ないのでそれだけで緊張が増す。
「高遠・・・冴梨です・・」
応える声が震えた。
それと同時に亮誠の腕に力がこもる。
その力強さが、逃げられない現実を突きつけられたようで怖さが増す。
冴梨の顔をちらりと見て、亮誠が畳みかけるように言った。
「義兄さんと姉さんのお墨付きもあるし、恵人も懐いてる、すごくいい子だよ」
「そうか・・・・きみは亮誠のことを知ってるのかい?」
「・・・え・・・あ・・・はい」
これで正確には三度目ましてで、彼が美穂の実の弟だということも知っている。
見知らぬ他人ではない。
が、知人枠からは一歩も出ていない。
曖昧に頷いた冴梨に、父親が考えるように頷いてみせた。
「そうか・・・で、うちに入るつもりもあると?」
ガーネットは、関西圏にいくつもの店舗を持つ大手洋菓子店である。
就職難のこのご時世、死ぬ気で挑んでも玉砕する学生の方が多い優良企業だ。
短大卒業後の進路を示唆する父親の声に、一気に期待が膨れ上がった。
美穂と亮誠の顔見知りなら、縁故入社もやぶさかではないという事だろうか。
短大卒業後はどこかの堅実な優良企業に就職して、早く両親を安心させたいと思っていたけれど、それが大好きな洋菓子関係の会社なら、まさに願ったり叶ったりである。
「い、入れて頂けるんですか!?」
前のめりになった冴梨に、父親がひょいと眉を持ち上げる。
「彼女はまだ高校生ですから、そういう話は・・・」
「きみが望むならね」
亮誠と父親の声が綺麗に重なった。
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