第2話  マシュマロ・スタート

「お疲れ様でーす」


裏口から入ってロッカールームのドアをノック。


けれど、やっぱり誰もいない。


これはいつもの事なのでお店の制服に着替えて、店に出ると店主の奥さんの美穂がケーキを並べていた。


もうすっかり通い慣れた駅前のバイト先のケーキ屋【アンジュ】は、こじんまりとしたアットホームな雰囲気と、昔ながらの素朴で温かみのあるケーキが人気の老舗だ。


現店主が先代から店を譲り受けた際に、夫婦経営を続けていく為に商品をプリンとシフォンケーキの2種類のみに変更して専門店として再スタートを切ってから数年、この辺りではそれなりに名の通ったプリンとケーキのお店として知られている。


冴梨の通う聖琳女子は、昔は生粋のお嬢様だけが通う名門女子高だった。


国母となり得る良妻賢母を育成するための花嫁学校として有名で、何人もの純粋培養なお嬢様を輩出して来た。


けれど時代は変わり、中等部から短期大学部まで内部生のみでの学校経営が難しくなった為、高等部から外部受験を受け入れるようになり、今ではある一定の学力と学費さえあれば、門戸が開かれる私立の女子高である。


とはいえ、古の栄華が消え去ったわけでは無く、聖琳女子に憧れを抱く生徒は多い。


聖琳女子の清楚な膝下のワンピースは、生徒を守る鎧でもあるけれど、同じ位重たい十字架でもあるのだ。


「お疲れ様です」


「あら、ご苦労様ー。もうそんな時間?」


「16時半ですよ?後、あたししときますよ」


「じゃあ、お願いしていい?お迎え行かなきゃ」


「はい。了解です」


「ウチの人、奥にいるからね」


「はーい」


一人息子のお迎えに行く美穂を見送って冴梨は、手際よく残りのシフォンケーキをショーケースに並べていく。



平日の夕方。


週の真ん中は客入りがあまり良くない。


ケーキが売れるのはやはり週末が多いので、忙しなさとは無縁の時間帯である。


地元の顔馴染みたちが、ティータイム用にケーキを買いに来る時間も過ぎており、この後帰宅ラッシュの時間帯に、寄り道をしたOLや会社員がお土産を求めて店を訪れて、閉店時間を迎えるのが常だった。


包装用のリボンを作ったり、ショーケースを拭いたりしていたら30分が経っていた。


自動ドアの開く音がして、冴梨は顔を上げる。


「いらっしゃいませー」


入ってきたのは、若い男性客だった。


上質なスーツを着ていて、一見するとちょっと甘いものには縁がなさそうな感じ。


とはいえ、家族に手土産や、恋人へのプレゼントなど、ケーキ屋を訪れる男性も珍しくない。


勿論、甘いものに目が無い”スイーツ男子”も居たりする。


が、大抵の場合、ケーキ屋に不慣れな男性は迷う前に店員を呼ぶ。


店の人気メニューを尋ねる為だ。


4種類あるシフォンケーキを前にして自分で選ぶのはなかなかに難しい。


彼もどうやらそのようで、ケーキには目もくれず真っ先にこちらに向かってきた。


”どのケーキが人気ですか?”


飛び出す質問を予想しつつ身構えると、彼は唐突に言った。


「きみ、バイトの子?」


「は・・?はい」


予想外の問いかけに頷く。


「奥さんか、店長はいるかな?」


「奥さんはちょっと出てらっしゃいます。店長は奥なんで、すぐ呼びますね」


バイトを始めてから、ご近所さん以外の店長夫妻の知り合いが訪ねて来る事は一度もなかった。


しかも、目の前にいるのはどう考えても店長夫妻よりはいくつも年下の若い男。


浮かび上がる疑問を押し込めて、冴梨は奥に戻ろうと踵を返す。


と、急に腕を掴まれた。


え?


冴梨は驚いて振り返る。


「いや、届け物しにきただけだから。これ、渡してくれる?」


「はぁ・・」


届け物ってことは知り合いか?それなら、直接渡せばいいのに。


それにしたって、いきなり腕を掴むなんて強引だ。


ここがお店じゃなければ”なにすんのよ!”と怒鳴り返すところだ。


一応店の看板娘と呼ばれているので、剣呑な視線だけに止めてショーケースに乗せられた紙袋を受け取った。


結構大きい。


よいしょ、と紙袋を持ち上げて、お預かりしますと答える。


「じゃあ、よろしく」


「はい」


そう言って彼は店の入り口まで歩いていって


「あ、そうだ」


振り返ってこう言った。


「腕、痣になんなくて良かったな」




意味が分からない。


「は・・・・?」


冴梨はきょとんとしたまま、ポカンと間抜けに口を開けたままその人を見送った。


看板娘もへったくれもあったもんじゃない。


茫然としたまま紙袋をレジ横の椅子に下す。


誰? 何? 痣?


全くピンと来ない。


見た事もない男の人だったし・・・


そもそも学校は女子高だし、バイト先であるこの店は、従業員は雇い主のご夫婦のみ。


近所の知り合いのお兄さんや、親戚以外に異性の知人なんていない。


「痣ぁー?」


掴まれた左手を見てみる。


んんん?


パフスリーブのブラウスから伸びる何の痕もない、ややふっくらしたもち肌をまじまじと眺めていると、ふいにこの間の記憶がよぎった。


近隣の大学を訪問した際に、馬鹿な大学生に絡まれたのだ。


大声で言い合いになったところに二人の大学生が現れて助けてくれた。


さっきの、あの時の人!?


「えええ!」


すっごい偶然すぎるし!ってか顔覚えてたんだあの人!


帰り道さんざん桜に、冴梨は無鉄砲すぎる!と説教されて、バタバタしていたので、こちらはすっかり記憶の片隅に追いやってしまっていたというのに。


「どうしたの?おっきい声だして」


ちょうど、息子の恵人のお迎えから戻った美穂が店に入ってきた。


店の外まで声が聞こえていたらしい。


うーわー・・・今更覚悟で手で口を押えてみる、がもう遅い。


「お、おかえりなさい!すみませんっ」


恵人が、無邪気な笑顔ではしゃぎながら飛びついてくる。


「さえちゃんはい!」


手にしていた折り紙を差し出される。


ふくふくの小さなお手てはもみじのようだ。


「おかえりー恵人くん!あ、可愛い折り紙。ありがとー。大事にするね」


「はーい」


恵人はそのまま奥の製造室のドアをバンバン叩く。


パパにただいまの挨拶をする為だ。


音に気づいたらしく、にこにこ顔で店長が迎えに出てくる。


「おかえりー恵人ぉー!」


「恵人ー、手洗ってねー!で、何かあった?」


息子を抱き上げる夫に後はよろしくと視線を投げてから、心配そうな顔を向けられて、冴梨は慌てて椅子の上に置いていた紙袋を持ち上げた。


「あの、さっき男の人が来て、コレ預かったんです」


「男―?なんだろ・・・」


美穂は、中を覗き込んで笑った。


「あー・・・これね」


「お知り合いですか?」


「うん、弟なのよ。今日があたしの誕生日だから、ケーキをね」


「え、美穂さん誕生日!?うっそ、あたし知らなくって・・・って、え?ケーキ屋にケーキですか・・・・?」


どう考えてもおかしくないか?


ケーキなら、この店にも溢れる程ある。


誕生日にしたって、もっと別のものがあるだろうに・・・


怪訝な顔をする冴梨に、美穂は意味深な笑みを浮かべた。




★★★★★





「へーそんなことがあったんだ」


「そうなんですよ」


冴梨は、約2週間前の出来事をかいつまんで美穂たちに説明した。


お店が終った20時過ぎ。


店の2階、美穂たちのお住まいにいつものようにお邪魔している。


時にはバイトの後お夕飯を頂く事もあった。


「すごい偶然ねー」


「ですよねー・・あたしも、まさか美穂さんの弟さんに助けて貰うなんて・・それにしてもこのケーキも美味しいですね!」


お相伴に預かったバースデーケーキは美穂の大好きなガトーショコラだった。


ミルク代わりに、と入れてもらったマシュマロを浮かべたブラックコーヒーを飲みながら冴梨はしみじみ思う。


1日の終わりに最高のケーキ。


あー幸せ!!


そもそもケーキ屋でバイトを始めたのは、純粋にケーキが好きだからだ。


どうせ働くなら好きなものに囲まれて働きたいと思って、なるべく学校から離れた目立たない店を選んだ。


聖琳女子はいわずもがなアルバイト禁止なのだ。


”淑女たるもの日々学業に勤しむべし”というのがモットーである。


そもそも学費に困るような苦学生が通う学校では無いので勤労女子高生という概念は、聖琳女子には存在しない。


中学までを公立校で過ごして来た冴梨は、ごく普通の中流家庭の娘である。


中学の担任から、成績を理由に推薦枠で聖琳女子を受けてみてはどうかと、学校の箔付けの為に背中を押されて受験したところ見事に合格して、地元民憧れの聖琳女子高生になったわけだが、お嬢様学校は、寄付の依頼が後を絶たない。


1年生の後半から、寄付金申請の用紙が矢のように増えて、さすがに家の家計が心配になった冴梨は、こっそりとアルバイトを始めた。


この成績を維持すれば、短大はエスカレーターで奨学金枠に入れるのでそこは心配していないが、残り2年の学費と寄付金の足しになればと始めたアルバイトは、思いのほか楽しくて、卒業後は洋菓子関係の会社に就職したいとさえ思うようになった。


蕩ける舌触りと、カカオの芳醇な香りと控えめな甘さと上質の生クリーム。


うっとりするほど美味しいケーキだ。


感動に浸る冴梨を見て美穂が頷く。


「でしょー。これ、私専用なの」


「えー!スゴイ!そんなのをわざわざ用意してくれるなんて、いい弟さんですね」


「そーねー」


美穂がちょっと照れくさそうに微笑む。


いきなり腕を掴まれた事はもうこの際だから、水に流そう。


お世話になっている美穂の弟を悪く言うのは忍びないし、こんなに美味しいケーキを届けてくれたのだから。


向かいに座る店長は、恵人をあやしながら勉強になるよ、と言いながら確かめるようにケーキを食べていた。


「きっと、この味を出すのに何年もかかったんだろうなぁ」


「そーねー。これ作ってくれた松井さん、あ、パティシエの人なんだけどね。私が、美味しいって言った時泣いてたもの」


「ええ!?」


「私ね、昔ケーキ大嫌いでね。そんな私が最初に美味しいと思ったのがこのガトーショコラなのよ」


「へー・・あたし・・・ケーキ嫌いとか思ったこと無いから、信じられないですけど・・」


「今はもう3度の飯より好きって感じだけどさ。おかげで、ケーキ屋の嫁になれたしね」


美穂のセリフに店長が噎せ込んだ。


「もー大丈夫?」


「だ・・だいじょうぶ・・・げほっ」


「しょうがないんだからー・・・ほら、お水飲んでー」


呆れ顔で店長に水を差し出す美穂の幸せそうな顔を見ていれば、夫婦円満であることが伺える。


ありがとうと言いながら、涙目になる店長もこの上なく幸せそうだ。


何処から見ても微笑ましい仲睦まじいご夫婦だ。


そんな二人を見て、冴梨はほっこりした気分になった。

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