魂だけでも

 WEB会議が流行したころ、アライがはっきりと確信したことがある。

 日本の会議はコミュニケーションであって、情報交換や方針決定の場にはならないということだ。

 だからアライは、自分のできる範囲内で小さな大改革をやった。自分の部局の会議をほとんど辞めたのだ。

 ――アライはその日も、みんなの席で一通り「おはよう」とあいさつをかけかけ終えると、コンピュータの画面にもあいさつをした。


「おはよう、アカル。そうだな、キャストの『健康状態』を」

『表示します』


 対話型AI「アカルイル」が、ライブ運営会社の「アカルイヤ」と提携しているキャストの一覧を表示する。画面には顔写真(3D資料も含めて)と色分けされたメニューが並ぶ。

 その横に「健康状態」の欄が表示されている。分かりやすく顔の絵文字が暖色から寒色へと並べられている。

 もちろん、寒色は「悪い健康状態」だ。

 その横にはSNSのコメントやサービス室に寄せられたコメントなどから入力されたもの、キャスト本人の申し出から登録された情報が並んでいる。

 アライは顎に手をやりながら、みんな思っていたよりも体調がいいな、と考えていた。

 こうやって情報を一覧にして得られるなら、会議なんて必要ない。と、思う。もっとも、ひとつ会議をつぶしても、無数に「打ち合わせ」は存在するのだが……。



 アライの勤める「アカルイヤ」はライブ配信系の零細運営会社である(社長が強弁するにはベンチャー)。そのサービス室の室長に就いているアライはいまだ30手前。以前から疑問だったやり方を変えたくてうずうずしていた。

 もちろん部下から何か提案があるまで、自分も上や横や下に引っ張られるので、ずっと待っていたが、誰も言い出さない。

 そこで、会社が一度、休業体制に入ったとき、アライはある提案を打ち出した。

 まず会議をほぼ全面的に廃止する。

 営業資料は開発中の対話型AI「アカルイル」に提出する。(この「アカルイル」は、開発部が顧客向けに開発していたものだが、激烈に交渉した結果、サービス室用のAIも開発してもらえることになった)

 アライは「アカルイル」を通じて聞き取りをし、計画の達成度を判定してもらったうえで、次の方針を決定する。

 要するに、コミュニケーション至上主義のやり方をあらため、数値に基づく計画と達成を行いたかったのである。

 とはいえ、アライは別に数値だけで切り捨てるような考え方はしていない。もともとサービス室のFAQを構築するための対話型AIに一部のリソースを割いてもらったのは、単なる数値資料で判断するだけでは対応できないと感じていたからだ。配信、キャスト、応援に行ったイベント会場での経験談、サービス室に寄せられた声など、現場の生の声は数値と同様に重要であり、それは数値の統計だけではつかめない。しかし、それをひとつひとつ手作業で、個人情報をにらみつけていては、アライ自身も、またサービス室員も、知りたい声がつかめない。

 そのためのAIなのだ。



 「健康状態」の暖色と笑顔の率は、所属人数の半分を超えていた。

 これは良い傾向だ。ある時期など、キャストの一部が騒動を起こした影響で、サービス室に連日のように罵声が届いたこともある。サービス室がほかのキャストやスタッフの防波堤になればいいが、なかなかそうはならない。アライは、「健康状態」の欄は真っ青だったことを覚えている。

 ……これならキャストへの対策は、と方針の文面を組み立てながら、アライは首を振った。ここまで「サービス」してやることもないだろう。チェックだけでいい。

 目下「アカルイル」の問題は、アライ個人の好みに合うように情報を提示するところだ。

 急いで情報が必要なときはとても助かるが、見落としがあるときは逆に困ってしまう。

 アライはセーフモードを起動し、部下たちの経験談に取り上げるべき案件はないか、聞いた。(セーフモードを起動しないと、個人情報を処理しないまま体験を提出するバカがいる)

 アライはこれを「世間話」と呼んだ。

 不思議なものだった。

 会議を辞めたかわりに、AIとコミュニケーションを取ることが増えた。

 もちろん、部下と朝のあいさつだってするし、飲み会だってやらなくもない。しかし、アライは格段に「アカルイル」との対話の方が増えた。もちろんAIに知性があるわけではない。アライ自身が――打ち切ったはずのコミュニケーションを、求めているみたいだった。


「ええと、アカル。なにか『忘れている』ことはないかな。室員からの提案についてリストアップしてほしい」

『はい。まず……「クサカベは会議に出席できません」とあり、会議について提言されています』


 アライは眉を上げた。

 その名前は、イベント会場の事故で亡くなった社員の、いや、後輩の名前だったからだ。



―――――


 クサカベはアライの二つ下の後輩で、しかも同じ大学だった。

 わざわざこう言うのは、学部も違い、サークルも違い、おまけに性格も妙に違うからだ。クサカベはアライに比べてとにかくやることがいい加減で、なぜ就職できたのか分からない男だった。

 二人は馬が合うように見えなかったが、人間が好き、というイベント系会社に求められる人材だった。問題はベクトルが真逆で、アライが人同士のつながりをはっきりさせることが好きな男であるとすれば、クサカベはとにかくつながりの結び目に自分から絡まっていくタイプであった。

 外出自粛が決まった夜に飲酒に出ていったクサカベを引き連れに戻って、アライまで会社から叱られたことをよおく覚えている。

 イベント会場の事故は、厳密にいえば、会場内ではなく、会場付近の事故である。

 当日になってカメラが足りない、と騒ぎだした現場に、クサカベが「届けてきます!」と会社を出ていってしまったのだ。

 バイクのヘルメットを装着するクサカベに、アライは話しかける。


「会議があるんだぞ」

「まあまあ、今なら間に合いますって」

「お前な、こういうのは約束ってもんだ。約束を守らんでどうする」


 アライがそういうと、クサカベは困ったように振り向いた。


「でも、向こうだって約束があるでしょ」


 アライはそれに加えて、サービス室はなんでも屋の部署ではない、とも言おうとした。実際、混乱した声がサービス室に届けられたときに、ついクサカベ(やそれにつられたアライ)が対処してしまうから、サービス室があたかもすべてを解決する部署のように思われてしまっている。

 アライは渋面をつくった。が、仕方なく、行かせてやることにした。


「とにかく、連絡よこせ」


 アライの言葉に、クサカベは手を振って答えた。

 「アカルイヤ」の事務所で会議を始めたとき、クサカベが戻ってこなくても、アライは何も気にはしなかった。

 いつものことだ――

 そう思っていた。

 しかし、そのいつもは永久に来なかった。

 もしかしたら、それでアライはもう会議を開くことを辞めたのかもしれない。


―――――


 アライは、急に故人からのメッセージを受けたためか、自分を取り戻すのに時間がかかった。あの当時、メッセージを送っていたことにはまったく気づかなかった。どこか妙なところへ送ってデータが渋滞していたのだろうか。それとも、本当に幽霊が送ってきて、今頃になって――

 一度、水を飲んでから、「アカルイル」に話しかける。


「それで……クサカベはなんて?」

『「会議について、提案あり。せっかく配信系サービス会社なのに、遅れてしまって会議に出られないなんてもったいない。魂だけでも出られないものか」』

「……」


 表示された文章が「アカルイル」に読み上げられる。

 アライはそれを何度も何度も読み返した。


「……これだけか?」

『以上です』


 アライは、「アカルイル」の答えを聞いて、もう一度、文章をにらみつけた。

 おそらくクサカベは、遅れると分かっていた。そこで何かの提案を書き付けて、途中で送信した。

 でもなあ、お前は死んだんだよ。死んじまったら、会議なんて出られないじゃないか。

 アライは「魂」の意味を考えた。

 死んでも会議に出たいだなんて、俺はごめんだね……。

 アライはキーボードに手を置いて、顔を伏せた。

 しばらくして、急に起き上がると、アライは企画案のテンプレートを立ち上げた。しかし猛然と書き進めていた企画書を一旦破棄すると、「アカルイル」に話しかけた。


「アカル、会議の提言を出したやつを教えてくれ」

『7名です』

「よし、そいつらの名前をピックアップしてくれ」

『わかりました』


 やっぱり会議は仕事にすべきじゃないな。

 アライはそう思った。

 約束だから、クサカベはメッセージを送ってきたのだ。仕事だから、会議に出たがったわけじゃない。

 だったらここは、やつの魂を汲んでやろうじゃないか。

 アライは立ち上がった。


「ありがとう、アカルイル」

『はい。クサカベさん、会議に出られるとよいですね』


 アライは苦笑した。「アカルイル」の対話機能がうまく働いていないのか、それともクサカベの幽霊が本当に来ているのだろうか?

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