わたしの手のひらに花よ咲け
葉子は和樹と二人で一軒家に住んでから、鉢植えを並べるようになった。
アパート暮らしの頃はやらなかった「ガーデニング」を楽しみたかった。
ただし、和樹に気を遣って、風のある日に家に避難できるだけの量に留めておいた。これは実家にいたころの知恵だ。
それは葉子の母がなんでもかんでも家の周りに増やしていたからだ。
シャベルもバケツも外に出したまま。大きくなったら手入れもしない。風が吹くとめちゃくちゃになって横倒しになった鉢の横に、新しい鉢を置く。
父は交代勤務の仕事に就いていたので、時間がなく、荒れ放題の庭を見ては怒鳴りつけてケンカになった。
葉子の母はいい加減な性格だったと思う。
それを見習って、葉子は自分が外に運び出せるだけの鉢に留めた。これなら、自分の手の届く範囲だけ、手入れをすればいい。
もっとも、アパートに住んでいた時には別の楽しみもあったが……あれは、もうやめている。
葉子は左手に力を込めて持ち上げた。片手で簡単に持ち上げると、もう片方の手でスマホを操り、画面を操作する。
天気予報を確認して鉢を出していると、葉子は声をかけられた。
「おはようございますぅ、お花ちゃんですか」
「え、ああ……おはようございます」
葉子は戸惑った。
顔を上げてみると、見たことのない女性がいる。しかも、鼻にピアスをして髪色を青く染めていた。花にも葉子にも興味がなさそうなので、少し視線をさまよわせていると、首筋に緑色の葉が巻き付いているのに気づいた。
見覚えのある緑だ。
葉子は鉢を下ろすと、左手を隠した。
「ええ、育ててるの」
「わたしもそうなんですよ。おねえさんも?」
そう言って、彼女は首筋の葉に触れた。
「いいえ、わたし、『こっち』はもうやってないの」
そういって、葉子は左手を見せた。それはロボットの義手だった。
―――――
一人暮らしを始めたとき、なにか足りないことに葉子は気づいた。
その理由はたぶん、両親のもとを離れて、心がぽっかり空いてしまったのだと葉子は思っている。
それを埋めるために、葉子は母を真似して鉢植えを飼い始めた。けれど、ベランダでも、玄関でも、母のものぐさが移ったのか、長続きせずに枯れさせてしまう。
そこで手を出したのが、「人体ガーデニング」だった。(現在は、厳密には異なるが「BMG=ブレイン・マシン・ガーデニング」という商品名が使われることが多い)
名前だけ聞くと仰々しいが、それほど恐ろしいものではない。ロボット化した身体に、植物を植え付けて、脳の信号によって栽培を行うというものだ。
ロボットから取り出された草花を日光に当てる。水分は身体から取り入れるので、無理に外から吹き付けなくてもOK。簡単に栽培できる。
葉子にとって良かったのは、失った左手を動かすトレーニングを、まさに植物を育てるようにイメージして行えたことだった。手のひらをかざし、太陽に向かって芽を出すイメージ。開いた芽を、そっとしまうように手を閉じるイメージ。それまで何をやってもうまくいかなかった義肢トレーニングが――左手をはっきりと開くことさえできなかった――まるで「植物と心を通じ合う」努力をしているかのように、とても楽しくて生きている試みに思えてきたのだ。こんなにも真剣に指先のひとつひとつを感じ取ろうとするなんて。自分の中に埋まっているなにかを、押し上げようとする感覚も今までになかった。あらゆるイメージを試しているうちに、葉子は自然とロボットの左手が開閉できるようになり、それどころか当たり前のようにものをつかめるようになっていた。
それだけではない。
植えたアサガオ種は、葉子の心を読み取るように、一緒に葉っぱを揺らし、つるを伸ばした。
葉子もロボットの義肢を動かしているだけとは分かっていた。けれど、たしかに一緒にわたしの手のひらで、一緒になって動いてくれたのだ。
商品の広告通り、「植物と心を通じ合う」かのような体験ができた。
しかし、花が咲く前に、葉子の手のひらでそれは枯れてしまった。
商品説明によれば、枯れた草花は「植え替え」、つまり義肢の点検の際に一緒に交換を行うことになっていた。
けれど葉子はすっかり落ち込んで、もう「ガーデニング」はやめることを会社に告げた。
和樹と出会ったのはちょうどそのころだ。ロボット義肢の開発をしている彼と一緒に生活するようになり、葉子は「普通」のロボット義肢を使うようになった。
―――――
葉子に話しかけてきた彼女は『あおの』と名乗った。最近、この辺りに引っ越してきたらしい。
話しかけてきた理由は葉子も分かった。ロボット義肢は、やっぱりよく目立つ。
葉子がここに引っ越してきたときも、いまの職場でも、ずいぶんとジロジロ見られたものだ。
それも今は「人体ガーデニング」……いや、「BMG=ブレイン・マシン・ガーデニング」というのだったか。それが流行っている。
だったらむしろ、「ガーデニング」をしている人たちで集まる方が自然かもしれない。
「わたし、モデルやってるんですよぉ」
「へえ……」
BMGをやるほどの手術を受けても、モデルができるんだから、いい時代になったな。
葉子は素直にそう思った。
「まあでも、社長がうるさくて……」
「なにを?」
「切れ切れって言うんですよ。わたしの『アオ』ちゃん」
『あおの』は首筋の葉に触れながら、舌を出して嫌がった。
BMGをしているモデルはトレードマークにはなるけれど、あらゆる広告に向いているわけではない。それは葉子にも分かった。
「……でも、それはあなたが決めたんだよね。その仕事は」
『あおの』が息を飲んだ。
「だったら決めるしかないんじゃないの。また、今度も」
葉子はあまり『あおの』の顔を見ず、鉢植えの方を見て話した。
なにか後ろめたい、というか、間違っていないつもりだけど、口に出してからどうしようもない言葉のように、葉子は思えてきた。
『あおの』が言った。
「だからやめちゃったんですか」
葉子は言われて、左手を隠した。
『あおの』はそれから、長々としゃべったことを謝って、去っていった。
しばらくして、葉子は鉢植えにたっぷりと水をかけた。
自分の手の届く範囲だけ。
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