残高不足

 仕事がつまらない。

 明らかにいらない仕事まで無理やりつくって金を稼いでいる。

 カトウは、人類全体がそれに気づきつつあると思っていた。自分がやっている、このアンケートとかをパソコンに打ち込む仕事が、来年には無くなってしまうんじゃないかと思っていた。

 でも、仕事がなくなったら金を稼ぐ方法もなくなる。

 具合の悪いことに、この仕事は途中で眠くなる。

 カトウが勤めてからというもの、椅子に座りっぱなしで背骨がぐにゃぐにゃに曲がってしまったし、カフェイン飲料を求めてお腹を壊しやすくなってしまった。それでも仕事の途中ですぐに眠くなってしまう。

 ほらやっぱり……仕事がつまらないから悪いのだ。

 そこでカトウは、この間から密かに「ボタン」を右腕に取り付けていた。

 この「ボタン」は覚醒装置だ。決して覚せい剤とかではない。覚醒装置ね。

 「ボタン」はカフェイン飲料(つまりコーヒー)のように、臓器を通って覚醒作用を引き起こすのではない。しかし、カフェインのように、体内にある物質を調整して、脳の神経細胞に作用する。

 この調整、というところがポイントだ。と、購入したサイトには書いてあった。

 もともと人間には興奮して覚醒する物質が存在する。そこに働きかけて調整することで、人工的な覚醒作用でありながら、身体を過度に傷つけることなく、すぐれたパフォーマンスを発揮できる! ……というわけだ。

 うさんくさいとは思うが、実際に押すと、心臓がどきどきして、目元が冴えてくる。だから効果はあるのだろう、とカトウは考えていた。

 それでいつも通り、「ボタン」を押してキーボードを叩いていると、ミズコシが休憩中に目ざとく見つけてそれを指さした。


「カトウさんもそれ使ってんすか」

「ああー……」


 それ以外になんにも言うことがなく、カトウは適当に応えた。

 ミズコシは自分の腕を見せてきた。なにかのエンブレムのついた「ボタン」が彼の腕に張り付いている。そちらの「ボタン」はアイドル・グループとタイアップしたものらしい。

 見覚えのあるマークを見て、一気にカトウは興味を失った。

 ミズコシは前々から、彼にそのアイドルの動画のチャンネルやメンバーの名前を教えてくれた。が、まったく興味はわかなかったのである。

 ただミズコシが「ライブのときにこれ押すとアガるんすよ~」という言葉に加えて「あまり押しすぎるなと運営から言われている」と付け加えたのには引っかかった。


「なんかあんのか、それ」

「さあ……お金かかるからじゃないですかね」


 たしかに「ボタン」は一回押すごとに少額のお金がかかる。「ボタン」自体が一人一人にカスタマイズされたものでありながら、さらに一回押すごとに決済されるため、結構お金が厳しくなるかな? とカトウも思ったくらいだ。

 しかし、説明書を読んでも、WEBで調べても、押しすぎてなにか問題があるようには読めなかった。

 カトウは右腕に触れた。スマホで決済されるから、間違って連打しないように、ロックがかかって固定されているのだ。

 「ボタン」の影響をなんやかんや言っている連中はいた。

 でも、そういう連中は、大体動画サイトで再生数を稼いでいる怪しげな連中ばかり。面白がっているか、これまた『仕事』で逆張りしているようにしか、カトウには思えなかった。


「連休、ライブなんすよね~」

「あ、そう」


 ミズコシの声を聞きながら、カトウはキーを叩く手を止めて、もう一度右腕を触った。

 ごつごつした感触が金に絡むと思うとおっかない。が、押したあとの頭が徐々にすっきりとした感じがたまらない。

 むしろ、触っているだけでお守りを持ち歩いているような気分になる。ミズコシだって、アイドルの「アガル」グッズを持っているんだからそういうものだろう。

 カトウは思った。



 そのミズコシが、連休明けになっても出てこなかった。

 上司がやってきて「ミズコシくんが、昨夜亡くなった」と言うと、カトウは驚いて、右腕に――「ボタン」に手を触れた。

 上司は突然のことなので、これから説明を受ける、仕事は調整すると説明した。

 カトウは黙って仕事にとりかかったが、なにか騙されたような気分になった。そのうちその気持ちがだんだん大きくなって、つい机を叩きかけた。

 ハッとして顔を上げると、周りがカトウを見ていた。たしかにミズコシの席の隣が彼なので注目するのもおかしくはない。それに加えて、少しおかしな様子をしていたのだから……。


「あ、ああ、彼の机、片づけましょっか」


 誰に言うでもなく、カトウが指さすと、みんなが一斉に机を動かし始めた。

 会社の中ではカトウは浮いていて、ミズコシがだれかれかまわず愛想を振り撒いていたものだから、みんないなくなるとどうしていいか分からないのだ。

 一応先頭に立って、私物と備品を選り分けていると、誰かが話しかけてきた。


「カトウくんはさ、彼がどうして亡くなったか、知らないの?」

「さあ……どうっすかね。ライブに行くって元気にしてたし」


 言いながら、アイドル・グループのグッズを示した。

 つまらない仕事にはやはりうるおいが必要だったに違いない。ミズコシにとってはそれがアイドルであり――「ボタン」ではなかったはずだ。

 結構な分量の私物が出てきたので、ひとしきりみんなで騒ぎながら分別した。それですっかり机を片づけ終えるころには昼になってしまった。

 それぞれが昼食に出てしまって、カトウは一人で取り残されたように座っていた。

 いつもならミズコシが昼食に誘ってくるのだが、誰も相手がいない。

 カトウは右腕に触れた。

 なにかイライラしている。が、もしかしたらこういう状況も「ボタン」で解決できるかもしれない。普段は眠い時にだけ押しているが、身体を調整するというなら、うまくコントロールしてくれるだろう。

 いや、もしかしたら、その「ボタン」の押しすぎでミズコシは死んだのではないか。

 いやいや、そうとは限らない。何かの事故の可能性だってある。でも、事故だったら、事故だと最初からはっきり上司に伝わっているのではないか。

 考えがまとまらない中で、カトウは「ボタン」のロックを外した。

 とにかく押せばわかる。わからないかもしれないが。

 ごつごつした手触りを押し込む。その瞬間、スマホから警告音が鳴り出した。

 慌ててカトウはスマホを取り出し、警告音を切る。

 「ボタン」の引き落としができなかった、という表示画面を見て、スマホの画面をカトウは消した。

 そうだった、押しすぎはまずいからと聞いて、プリペイド式に切り替えたのだった……。

 カトウは右腕を叩いた。

 「ボタン」を押すのはやめにして、椅子から立ち上がった。

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