第41話 夏の終わり

「まさか、茉梨ちゃんと勝くんも来てるなんてねー」


「そういえば、前に矢野の就職先の上司が志堂夫人だって聞いた事あったな。忘れてたよ」


「だって、あの志堂夫人を前に、みゆきさーん、お腹の赤ちゃん元気!?って駆け寄って行くような子よ?」


「矢野は何年たっても変わんないよ」


「そういうところ、すごーく可愛いと思ってるの、知ってるのよ?」


絢花がカクテルグラスを持ち上げながら微笑んだ。


こういう仕草ひとつとっても、やはり聖琳育ちだと伺える。


一臣は小さく笑って、グラスごと絢花の手を引き寄せた。


指先にキスをして、カクテルを口に含むと、絢花の顎を捉える。


「え、なに・・・カズくん・・・っ・・・ん」


口移しでカクテルを飲まされるとは思っていなかった絢花は、一瞬面食らった。


夜風に当たる為テラスに出ているものの、室内にはまだほとんどの人間が残っている。


いつ誰がやって来るか分からないのに。


普段の一臣からは考えられないような大胆な行動に、驚くと同時に嬉しくなる。


離れた唇のグロスを指で拭ってやってから、絢花はわざと不満げな顔を作った。


「別にやきもちなんて妬かないけど?茉梨ちゃんが可愛いと思うのは、あたしも一緒だし」


「別に、絢花が妬いてるなんて思ってないよ。俺がしたかっただけ。嫌だった?」


「・・・そうやって訊くのズルいわよ、カズくん・・」


「絢花が可愛いのがいけないんだよ、意地悪したくなるからね」


整った顔に、女性を惹きつけてやまない最上級の笑みを浮かべて、一臣が絢花の耳たぶにキスをした。


「嫌なの?いいの?どっち」


「嫌じゃないし、もっとしたいわ」


予想外の大胆な発言に、一臣が一瞬目を丸くして、楽しげに眼を細める。


「絢花、酔ってる?」


「酔ってるって言ったらどうするの?」


「そうだなぁ・・・橘さんと安藤は部屋に引き上げたみたいだし、俺も絢花を連れて部屋に戻るよ」


「冴梨や桜に悪いわ」


「そういうと思った。友達思いの君が好きだよ」


今度は唇にキスをして戻ろうか、と告げる。


絢花が今日を二重の意味で楽しみにしていた。


一臣と二人きりの時間を過ごせる事と、大好きな親友との時間を持てる事。


一臣にとってこの旅行はあくまで、絢花へのサービス旅行だったのだが、予想外に一臣にとっても嬉しいものになった。


一臣にとって、茉梨と勝は、実の弟妹のような存在だ。


これまで過ごしてきた学生時代の中で、一番眩しくて楽しかった時間を共に過ごした相手だからだ。


卒業後も、在校中と変わらず親しく過ごしてきたが、それでも、友英時代と同じようにはいかない。


一臣は医大生、勝は高校卒業後、就職、茉梨は短大を経て就職。


それぞれ別の道を歩き始めたせいだ。


卒業から6年経った今も定期的に集まってはいるが、こうして夜中まで一緒に過ごすのは随分久しぶりだった。


医大のハードなスケジュールに追われる中で、無意識に恋しいと思っていた懐かしい声を耳にした瞬間、どれだけ一臣が嬉しかったか、茉梨と勝は知らない。


絢花と過ごす時間と同じ位、それは、一臣にとって尊いものだった。


「この二人が茉梨ちゃんと勝くんかー」


「え、冴梨、二人と会った事ある?」


室内に戻って、若者組で集まって話し始めてから暫く。


冴梨の言葉に絢花が怪訝な顔をした。


大人組は、それぞれの子供を寝かしつける為、部屋に戻っており、現在食事部屋には、聖琳女子の3名と、友英メンバーの6名しかいない。


いつもならこの時間、冴梨は家で果慧から漸く解放されてほっと一息ついている頃だ。


今日は、亮誠が世話役を買って出てくれたので、久々の独身気分を味わっている。


茉梨と勝は顔を見合わせて、会ったことないよね?と確認中だ。


冴梨は5人の興味深そうな視線を一身に受けて、にやっと微笑んだ。


「従弟の話によく出て来てたのよ」


「従弟って・・・誰ですか?」


勝が思い当たる節が無い様子で尋ねた。


「あれ、聞いたことないかな?大久保柊介」


「「「え!?」」」


一臣、茉梨、勝が一斉に声を上げた。


「柊介の従姉!?冴梨ちゃんが!?」


「そうよー、知らなかった?」


「全然知りませんでした」


「へー・・・世間て意外と狭いんだぁねぇ」


「成程、大久保から聞いてたら、具体的なキャラも掴めるか」


一臣が妙に納得したように頷いている。


「ち、ちなみに、あいつが俺らの事なんて言ってたか、聞いてもいいスか?」


「えーっと・・・ねえ、一言で言うと、無自覚バカップルって」


「大久保さすが!あいつよく見てるなぁ!」


「無自覚・・・っぷぷっ・・・」


一臣と絢花が顔を寄せ合って笑い合う。


「付き合った時には、団地組全員ほっとしたとも聞いたけど?」


「あ、それは、団地組だけじゃなくて、友英の教師生徒全員だから、冴梨ちゃん」


「何それ、学校全体で公認の無自覚バカップルで、でも、付き合ってなかったの?」


桜が呆れた顔で言った。


「恋人未満なのに、バカップルだったのよう。

もう、見てるこっちが恥ずかしくなったんだからね!!」


「おかげで、絢花と楽しませてもらったけど、ね」


「これが所謂、知らぬは当事者ばかりなり、ってやつねー」


実際にそれ見たかったかもしれない、と桜が結んだ。


女子高では絶対にあり得ない光景だ。


時折、お姉さまと妹が話題を攫う事はあったが、時代は平成、極々稀な話だった。


と、それまで沈黙を守っていた勝が、急に口を挟んだ。


「無自覚じゃないから、言っとくけど、無自覚なのはお前だけだ!」


「っへ?」


いきなり白羽の矢が立てられた茉梨がきょとんと自分を指さす。


「俺は途中で自覚してた。お前が単にどーしょーも無い位鈍感だっただけだ」


「ええええ、あたしのせいですとー!?」


「あら、でも、勝くんだって、隠そうと結構必死になってたんじゃないの?」


絢花が一臣に視線を向けると、一臣がしみじみと頷いた。


懐かしむように口を開く。


「あれは、隠すっていうか、自分の気持ちにふたをする感じかな?」


「ああ、あの、自覚したら止められなくなりそうだから、臭いモノにはふたをして、無かったことにしよう的な?」


「ちょっと!桜!さすがにそれは身も蓋もないでしょ!」


「結構的を得て無い?」


「浅海さんへの恋心自覚したくなくて逃げてた癖にー」


「あーそういう絢花だって、男嫌いの癖に、一臣君の事気になって、グチグチ悩んだくせに!」


「えーそれなら冴梨だって!亮誠さんがガーネットの御曹司で腰引けてたでしょー」


「そんなの昔の話よ!亮誠なんて全然普通のただの男だしー」


「ちょっと!仮にも夫に向ってそれはないんじゃないの?」


「え、桜そういう事いう?それならあんただって!」


一気にヒートアップしてきた女子三人のやり取りに、肩を竦めて一臣が苦笑いする。


茉梨はというと、鈍感と言うところが物凄く引っ掛かるらしく、しきりに首を傾げていた。


「あたし、あんたの事に関しては結構、いや、かなーり敏感なつもりなんですけど!?」


「・・・どのあたりが?」


「全体的に?だって、勝に何かあったら、気づくのはあたしの役目だし、それが普通だし。気づかないわけないっていうか・・・」


ぶつぶつと言い出した茉梨の頭をいつものようにくしゃりと撫でて、勝が溜息を吐く。


学生時代から何度も見てきた馴染みの光景だ。


勝がこうする時は、言いようがない位嬉しい時だと、一臣はいつからか気づいていた。


「お前酔ってんの?」


「え、酔うほど飲んでおりませんが?」


「だよな」


「カズくーん、飲みすぎ注意報?」


「いや、今日はそんな飲んでないよな。矢野は、ちゃんとしなきゃいけない場所では、ちゃんと分別付けれる子だから」


「でっしょー?あたしもおっとっな、だっからーん」


茉梨が嬉しそうに胸を張る。


勝は、悔しそうな顔で茉梨を見返して、もういいよ、とさじを投げた。


「お前が今俺の事ちゃんと見てんなら、それでいい」


「そこはどーんと安心しなさーい」


にやっと笑った茉梨が、一臣を見つめて眼差しを優しくした。


「カズ君が幸せそうで嬉しい」


「そうかな?」


「うん。でも、そうだよねー。絢花ちゃんがいて、うちらが居て、カズ君が幸せじゃないわけないよねー」


茉梨は時折こうして鋭い事を言う、だから侮れない。


ふわふわとした見た目になめてかかると、トウガラシの辛みで痛い目を見る女の子。


それが、一臣の茉梨に対する評価だ。


「さすが、矢野だな。その通りだよ。俺が一番居心地いい場所」


一臣が手を伸ばして茉梨の髪を撫でる。


絢花と勝が横目にそのやり取りを見て、笑い合う。


「そう言ってくれるカズ君がいつも、ずっと、大好きだよ」


「俺も、素直で強い矢野が、好きだよ」


きゃー相思相愛!とはしゃいだ茉梨が、テーブルに置いてあったぬるくなった誰かのビールを持ち上げる。


「さすがにそれは飲みすぎ」


一臣がやんわり止めると同時に、すかさず勝の手が茉梨からグラスを奪った。


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