第38話 ハロウィン 大河さん家

「あーもしもし、佳苗?お前、今日何時ごろ終わる?」


「お疲れ様です。えーっと、18時には上がる予定。先輩は?」


「先輩な」


可笑しそうに佳苗の間違いを指摘して、直幸が時間取れないか?と尋ねた。


学生時代から付き合っていると、どうしても、馴染みのある呼び名が抜けないらしい。


未だに、佳苗はタイガ先輩と呼ぶ。


その都度こうして直幸が言い換えさせる。


「時間取れますけど・・・今日って外回りの後、会議じゃなかったですか?」


敬語が抜けないのも今更だ。


佳苗にとって、直幸はいつだって憧れの先輩だから。


直幸としても、どうしても先輩呼びをやめて欲しいわけではない。


逆に、佳苗からなお君、と呼ばれるとドキっとする位だ。


今も昔も、自分をタイガ先輩と呼ぶのは彼女一人なので希少でもある。


酔った時に直幸がわざと名前を呼ばせると、困ったように照れる佳苗も可愛いので、良しとしている。


スポーツメーカーに勤務する直幸は、営業職の為、朝早くから夜遅くまで捕まらない事が多い。


外回りが多いので、連絡は取りやすいのだが、学生時代の時のようにはいかない。


昼休み、屋上かグラウンドを見れば姿を見つけられた頃とは勝手が違う。


「ああ、それな、明日に流れたんだよ。ってかお前よく覚えてんな俺のスケジュール」


「だって、先輩の予定把握しとかないと、こっちの予定が立てられないんですっ」


「いつもすみません」


素直に謝って、佳苗に待ち合わせ場所を告げる。


馴染みの居酒屋を告げると、佳苗が飲みたい感じですか?と尋ねてきた。


飲みたい、というよりは、佳苗に会いたいというほうが正しい。


が、加賀谷巧弥でも綾小路一臣でもない自分にはそれは物凄く高いハードルだ。


ハードル、というかエベレスト級の大難関だ。


言えるわけがない。


「お前、前にワイン飲みたいって言ってただろ?」


「言いましたけど、あのお店、ワインなんてないでしょー」


地元の古びた居酒屋は、ビールと焼酎と日本酒がメインのお店だ。


サラリーマンが足繁く通うお店は、店主と女将の作る家庭料理が人気だった。


昔ながらの出し巻きや、煮物がメニューに並ぶ店内で、ワインなんてお洒落なもの見たことが無い。


若い婦女子から敬遠されがちな歴史を感じさせる店を佳苗は気に入っていた。


「昼間、仕込みしてる親父さんにワイン預けて来た。スパークリングの、飲みやすそうなやつな」


直幸の言葉に、電話の向こうで佳苗がどういうこと!?と慌てている。


「去年は、会えなかっただろ?」


直幸が静かに告げると、佳苗が一瞬の沈黙の後でああっ!と声を上げた。


どうやら彼女は今日が何の日か今まで知らなかったらしい。


「え、え、ええっ?」


「心配すんな。お菓子寄越せとか言わねぇよ」


「せ、先輩~っ!すっごい気を使わせました?」


申し訳なさそうに尋ねるところが佳苗らしい。


去年のハロウィンは、直幸の仕事が終わらずに会えなかったのだ。


忙しい事は承知の上だったので、佳苗はとくに気にしていなかった。


が、直幸としてはそうもいかなかったのだ。




せめて今年は、と一週間前から根回しをして、何とか会議日程もずらすことに成功した。


「気を使うとかじゃねぇし・・・」


呆れた様に直幸が言って、佳苗の事を呼ぶ。


「はい」


「俺が、お前になんかしてやりたいの。去年の分も。分かったか?」


「ありがとうございます」


付き合う前から、スタンスが何も変わっていないように見えて、きちんと二人の距離は変化している。


以前の佳苗なら、きっともっと恐縮していたに違いない。


”佳苗が特別だから、特別扱いするんだ”と理解させるまでに随分時間がかかったが、その分この反応は嬉しい。


後輩じゃなくて、恋人なんだから。


こうして今では、佳苗は直幸の愛情を素直に受け取ってくれるようになった。


漸く聞きたかった言葉が聞こえて来て、直幸も微笑む。


どうにか去年の挽回が出来そうだ。


次の営業先がまじかに迫って、直幸が電話を切ると告げる。


この後は会社に戻って、事務処理を片づけて退社だ。


多少待たせる事にはなるが、馴染みの店は常連客も殆どが顔見知りだ。


佳苗を一人にしても、誰かが相手してくれる。


「あ、あの、先輩!お菓子以外で欲しいもの、ないですか!?貰いっぱなしは・・」


その言葉に直幸は暫く考えを巡らせた。


彼女としたい事ならいくらでもあるが、それをここで言ってもしょうがない。


会えない距離が虚しくなるだけだ。


とりあえず、顔を見て、触りたいな、と思う。


「会ったら抱きしめさせろ。全部そっから」


短く告げて、佳苗が悲鳴を上げる前に電話を切った。

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