第37話 ハロウィン 加賀谷さん家

執筆業で部屋に籠る事が多くなると、世間の事情に疎くなる。


自分の感覚と日付が合わないなんて、日常茶飯事。


気付けば朝、気づけば夜、これも当たり前。


完璧に室温管理されたマンションは、暑さも寒さも殆ど感じない。


ので、たまに外に出ると、季節の変化に驚かされる。


巧弥にとって、一番身近に季節を感じるのは、南と会った時だ。


彼女の服装で、気温の変化を知る。


先週まで華奢なヒールのサンダルを履いていた南が、いきなりブーティを履いてきた時には驚いた。


いつの間に秋が来たの?


巧弥の質問に、南が笑って、昨日からです、と答えた。


物凄く変で、可笑しな会話だが、加賀谷巧弥と、望月南の中では日常会話だ。


そんな、特殊な生活を送る作家、加賀谷巧弥が、珍しく陽が昇ると同時に目を覚ましたとある日のお話。







南と最後に会ったのは、2週間前だ。


彼女が出張で北海道に行く直前に、生存確認と言って突然やって来た。


執筆が息づまると、音信不通になりがちな恋人の安否を気遣って、大量の食料品と共に現れた南は、明日から1週間程留守にしますと告げた。


出版社に勤める南の毎日は、分刻みのスケジュールに追われている。


打ち合わせ、原稿確認、入稿作業、作家とのやり取り。


今回は、担当雑誌の企画で北海道特集を行う為、取材旅行に行くことになったらしい。


忙しいが活き活きしている南を見ていると、巧弥は自分が示した道が間違っていなかったと実感する。


誰かに、何かを発信する仕事にやりがいを感じてくれたことが、誇らしい。


お互い、あくまで仕事優先で付き合うと納得ずくでここまで来た。


普通のカップルとは程遠いお付き合いを重ねて来たので、多少のすれ違いではへこたれない。


会えない事の方が多いのだ。


南が会いに来ても、巧弥が仕事部屋に籠って顔を出さない事も多々ある。


それでも、ぶれずにお互いだけ見つめて来られたのは、よほど相性が良かったから、としか思えない。


街を歩けば、男女問わず人が振り返る美貌の持ち主である南。


以前、巧弥と共同制作を行った比嘉基の相方である、カメラマンの浅海大地から、真剣にモデルのオファーを受けた事もあった。


それ位、南の容姿は人を惹きつける。


そんな彼女を、ほぼ野放し状態で放置している巧弥。


タイガや一臣からは、そのうち愛想を尽かされるぞと言われている。


が、巧弥には妙な安心感があった。


南は、決して自分から離れて行かない。


そう確信出来ていたのだ。


それは、彼の書く作品を、南が誰より一番愛しているから。


彼が作家であり続ける限り、南は巧弥から離れられない。


いつだったか、殆どインタビューを受けない巧弥が、珍しく雑誌の取材で作家を続けている理由を訊かれた時、こう答えた。


「俺は、ある時から、ずっとたった一人の為だけに執筆業を続けているんです」


作品ごとに、届けたい年齢層は異なるが、作家という仕事は純粋に大切な人の為に続けていると公言した。


言わずもがな南の事だ。


彼女の気持ちが欲しいから、書き続けるんです。


巧弥は暗にそう語った。


”執筆って、そう考えれば、一方的なラブレターみたいなもんですよね。


これを、受け取った人が認めてくれるかどうか、毎回片思いの気持ちで生み出してるんですよ、俺は”


誰にも言っていないが、南のデスクの引き出しには、この時のインタビューが掲載された雑誌が保管してある。


巧弥には読んだことを伝えていないし、伝えるつもりも無い。


ただ、これは、自分だけへのラブレターだと思ったので、一生大切にしようと決めた。


彼が、一生この場所で戦うというなら、側で支えられる位、力を付けたい。


だから、選んだ職業だ。


無から、有を生み出す、作家を守る為の、仕事。


そんな気持ちがあるから、巧弥と南はずれたり、揺れたりしない。


特殊ともいえる関係を、高校卒業もずっと続けてきた。





数日ぶりの朝焼けを眺めながら、コーヒーを入れて、これまた数日ぶりにテレビをつける。


音楽を聴くことはあっても、執筆中にテレビは点けない巧弥は、リビングでしか世間と触れ合う事が無い。


映し出された液晶画面で、朝の顔として有名な美人キャスターが可愛らしい衣装で本日の日付を告げた。


「・・・・ああ・・・そういえば・・・」


巧弥はそこで始めてカレンダーに目をやった。


自分のカウントよりずっと早く世間は秋を迎えていたらしい。


煮詰まると、防音室にも携帯は持ち込まないようにしているのだ。


テーブルの上に置き去りのそれを確かめて巧弥は呟く。


「今日、だったな・・・」


北海道程お土産に事欠かない土地はないと、南は本気で思っている。


何より食べ物が美味しいからだ。


乳製品や、ラーメン、海鮮、肉、お菓子。


山盛りの荷物と共に、2週間ぶりに巧弥のマンションを訪れると、一応インターホンを押した。


これで答えて貰った事は殆どない。


大抵この時間、眠っているか、書いているかのどちらかだ。


朝の8時過ぎに日常生活を送っている巧弥なんて、この数年見たことが無い。


が、今日は振替休日をフルに使って、加賀谷家の家事をするつもりだった。


その為に早起きしたのだ。


仕事部屋が完全防音だと、こういう時便利だ。


掃除も洗濯もし放題。


大量の紙袋を廊下に置いて、カバンから合鍵を取り出そうとしたら、なんと中からドアが開けられた。


「え!?」


思わず南が驚きの声を上げる。


中から顔を覗かせた恋人を見つけて、さらに目を丸くする。


「どうしたの!?」


あり得ない状況にパニックに落ちる南に向って、巧弥がにこりと微笑んだ。


髪がまだ濡れているのはシャワーを浴びたせいだ。


「おかえり。おはよう」


「あ、うん・・・なんで、いるの?」


「何でって、居たら悪い?」


「え、悪くはないけど・・・」


「また大量に買って来たね。まずは荷物開けるとこから、かな?」


巧弥が廊下に置き去りの紙袋を持ち上げて、家に入った。


南も慌てて後を追う。


「この時間に会うのは、久しぶりだけど、元気だった?」


「あ・・・うん・・・原稿終わったの?」


まだ現実味のない南が、ぼんやりと尋ねる。


「さっきね、メールで送ったとこ。ところで、南」


「はい」


荷物を足元に下ろした巧弥が、南の顔を覗き込んで柔らかい笑みを浮かべた。


「Trick or Treat」


突然右手を差し出された南が、小さく笑って上着のポケットから、キャラメルを取り出した。


それを巧弥の掌に載せる。


と、巧弥が盛大に溜息を吐いた。


「何で持ってるんだよ」


「え?駄目なの?」


「・・・悪戯しようと思ったのに」


悪戯っ子のように呟いて、まあ、いいか、と続ける。


「色々したい事あるけど、まずは」


南の顎に指をかけた巧弥が、強引に唇を割った。


「・・・っ・・・ん」


キャラメルの数倍甘いキスに溺れながら、南が巧弥の手を握り返した。

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