第13話 すっぱい葡萄

「・・・わー・・・」


背後で上がった小さな歓声に、巧弥は配られたプリントから視線を上げた。


進学コースの補習授業は、担当不在の為自習ということになって、教室は昼休みのような、にぎやかさだ。


明らかに自習プリントとは関係の無い声を上げた南を振り向いて、巧弥が眉を顰める。


「なに?」


「ん、あれー」


南が頬杖を突いていた左手を外して、窓の外を指さした。


流れるようなその仕草だけでも、見惚れてしまう位に麗しい美人ぷりだ。


無造作に髪をかきあげて、いいなー、と呟く南の唇を、塞ぎたい欲求に駆られた巧弥は、大きく息を吐いて、自制した。


とっくに手に入れているのに、まだ足りないと思うなんて。


南に対する、自分の貪欲さに呆れる。


けれど、それ位、最近の南は女っぽい。


流されない様に必死に堪えている巧弥の気を知ってか知らずが、無防備に甘えてくるから、尚更タチが悪い。


何て言う事は、死んでも口にしない。


平然を装って、南が示した中庭を見下ろすと、隣と、斜め後ろからも歓声が上がった。


「うーわ、俺もやりたい」


「どっから持ってきたんだろ、アレ」


タイガと、一臣だ。


今にも飛び出しそうなタイガのプリントは、半分も埋まっていない。


スポーツ推薦があるとはいえ、これで大丈夫なのかと、巧弥は心配になる。


比べて一臣は、綺麗に解答欄が埋められていた。


学年の主席と巧弥の争う秀才は、補修でも健在だ。


友英学園の最高首脳陣が向ける視線の先では、南の愛しの幼馴染達が、水遊びの真っ最中だ。


中庭の片隅にたらいと椅子を並べて、遊んでいる様子を見て、南がチラリと、巧弥に視線を向けた。


言葉を発する前から、言いたいことなど分かっている。


”あたしもアレ、やりたいな”


とかいう所だろう。


計算か、天然か、僅かに傾げた首と、上目遣い、祈る様に組まれた手。


只でさえ人目を引く美人なのに、こんなおねだりポーズをされて、頷かない男なんている訳がない。


「・・・分かった」


発言の前から降参ポーズで両手を上げた巧弥。


「ほんとに?」


「混ざりたいんだろ」


「うん、もう、すっごく」


「たらい、もう一個位いるんじゃねーの?」


タイガの言葉に一臣が頷いた。


「全員分てなると、いるね」


「何とかなる?」


同じ様に南が一臣におねだり目線を向ける。


「はいはい、何とかするよ。去年、学祭で金魚すくいしたクラスがあるから、倉庫にたらいのストックあるはずだし」


「さっすが会長~!」


「お褒めに預かり光栄です」


にこりと微笑んで一臣が、巧弥に視線を向ける。


「それとも、友英のマドンナと二人きりの方が良かった?」


「・・・南がみんなでやりたんだろ」


巧弥があっさりと折れた。


本音を言えば、この後の予定は色々と考えていた。


そう、イロイロと。


間近に迫った夏休みの計画も立てたかったし、とりあえず、誰もいない場所で思う存分南を抱きしめたかった。


が、南が、みんなで遊びたい、というんだから仕方ない。


「だって水遊びよ!!人数多い方が楽しいに決まってるし」


言うが早いか携帯を取り出して、妹に、そのまま待機メールを送る南。


一臣も携帯を取り出して、茉梨にメールを送る。


こういうイベントには必ず顔を出すお祭り娘を呼ばない手は無い。


嬉しそうな南の顔が見たいから、自分を納得させた巧弥が、そっと南に向かって手を伸ばす。


柔らかくて甘い、きめ細やかな頬を指の背で撫でる。


触れれば、それだけ欲しくなる。


が、今はこれで、我慢。


「あ、ひなたが、待ってるねーだって」


南が携帯を見て笑う。


団地組をこよなく愛す南が、待ち遠しくて堪らないといった様子で時計を見た。


タイガは、巧弥の複雑そうな表情を見て、肩を竦める。


「お前見てるとさー、惚れた弱みって言葉を思い出すわ」


「・・・吉田は、呼ばないのか」


巧弥は途端声を低くした。


余計な事は言うなと目で威嚇する。


タイガは、恐ろしい程冷たい目線を受けても怯む事無く平気な顔で首を振った。


「アイツ、今日はテニス部の試合観戦」


「淋しからって俺に突っかかるなよ」


巧弥がやれやれといった表情で言い返した。


タイガが、途端むきになって言い返す。


「誰がだよ!」


そんなコンビのやり取りは無視して、一臣が携帯に届いたメールを確かめる。


「あ、矢野達も来るってさ。貴崎が寝てるから、もうちょっとしたら合流するって」


「ほんとに?じゃあ、全員集合ねー。で、綾小路くん?」


「何かな、望月さん?」


「あの二人って、何でもないの?」


「ああ、矢野と貴崎?」


「そうよー。ほかに誰がいんのよ」


南が面白そうに言った。


「今のところは、矢野が貴崎の保護者」


普段の二人の様子を見ている人間なら、間違いなく首を傾げたに違いない。


誰がどう見ても、勝が、茉梨の面倒を見ているからだ。


自由奔放な茉梨の後を追いつつ、上手に手綱を握るのが、勝。


その立場が逆になった事なんて、入学以来一度も無い。


にも拘わらず、一臣は、茉梨が勝の面倒を見ている、と言った。


南は、一瞬目を丸くして、それから、合点がいったように頷いた。


「なるほど。確かに、貴崎くんが、茉梨ちゃんにどっぷり依存してるもんね」


「ご名答」


一臣がにこやかに頷いた。


傍から見れば、微笑み合う美男美女。


まさに絵になるカップルのようだ。


「貴崎がね、矢野を、ちゃんと女の子だって認識したら・・・慌てるよ、きっと。あの距離になんていられなくなる。そっからが見ものだと思うんだけど」


「うんうん」


「あの関係のままで、恋愛になると面白いよ。貴崎、もっと矢野を手放せなくなるだろうし。俺は矢野の妊娠を心配するね」


さらりと飛び出た爆弾発言に、話を聞いていた南と、じゃれていた巧弥と、タイガが思わず顔を見合わせる。


「妊娠って・・・オイ、駄目だろ」


タイガが半笑いになった。


巧弥は無表情のままで後を引き取る。


「でも、相手を確実に自分のものにするには、一番手っ取り早い」


逃げられないしね、と付け加えたのは一臣だ。


「うーわぁー」


南が呆れたように言った。


「男の執着の方が恐ろしいって話ね」


恋人の指先を捕まえて、巧弥が頷く。


「そうだよ。身体だけ繋いでも、その場限りだけど、子供が出来たら、確実に絆は増えるから」


真顔で言われて、南がちらりと巧弥を見上げた。


「巧弥も、そういう事考えたり・・・する?」


「・・・たまにね」


「嘘!」


「・・・嘘だよ」


混ぜっ返して、笑った南の髪をするりと撫でた。


本心だと言ったら、きっと南は反応に困るだろうから。


「まーでも、嫌でも当て馬が出てくるから、そのうちどーにかなんだろ」


タイガがガシガシ頭を掻いて、微妙な雰囲気を壊した。


「へー、そんなツワモノいるんだ?」


南が面白そうに笑う。


「矢野は黙ってれば可愛いからね」


一臣の言葉に頷いて、巧弥が続いた。


「確かに」


視線の先には、中庭に駆け出す噂の二人の姿があった。

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