第31話 王冠なんていらない

「明日は?」


久しぶりに顔を合わせた妻に問いかければ


「休み。もぎ取ってきた」


と、とびきりの笑顔が返ってきた。


ここ数日の締め切り間際のドタバタからようやく解放されたらしい。


ベッドに横になったまま、枕元の時計に手を伸ばす。


時計は夕方の16時すぎを指していた。


すっかり朝と夜が逆転だな。


そんな風に思いつつ、時計を戻して南に向かって手を伸ばす。


「それはよかった」


抱き竦められた南は大人しくされるがままだ。


心底嬉しそうに呟いた巧弥のセリフに南も自然と顔が綻ぶ。


基本ポーカーフェイス。


相手に自分のことを読ませないタイプ。


恋人にしておくにはちょっと不安な男。


けれど、そんな巧弥が時折見せる”素”の表情に惹かれて付き合い始めた。


結婚した今も、分からない事のほうが多い。


けれど、南に対する愛情はちゃんと伝わってくる。


仕事柄、すれ違うことの方が多いし、


間違ってもいつでも”一緒”なんてありえない。


それでも、この人が自分の”一番”であることを疑ったことなんて一度だってない。


南の髪を丁寧に撫でた後で、巧弥が前髪を避けて額にキスを落とす。


「お夕飯どーする?」


「さっきの残りのデパ地下惣菜があるんじゃないの?」


「んー・・・そうだけど・・・せっかくいい時間に目が覚めたんだしぃ」


口角を持ち上げて、完璧な笑顔でこちらを見つめてくる南。


この威力を一番知っているのは他ならぬ自分だ。


結局この顔に負けて”いいよ”と答えてしまう巧弥。


「出かける?何食べたいんだ?」


やっぱり今回も妻の勝ち。


「んー・・・スパイシーなインドカレー」


「インドカレーね・・・」


「雑誌の特集でねー、すんごく美味しそうなカレーが載ってたの」


ふかふかのナンと、サモサとチャパティと・・・と次々にメニューを口にする南。


その隣りで、巧弥は枕元の携帯を引き寄せた。


折りたたみ式のモバイルを開く。


「打ち合わせ兼ねて行った店があったなぁ。本格インド料理がいいんだろ?」


「あんまり遠くない場所で・・あ、でも、お店の雰囲気も素敵なトコ」


「・・・注文が多いお姫様だな」


苦笑交じりに巧弥が呟く。


と、巧弥の腕から抜け出た南が寝がえりを打った。


その拍子にサイドボードに置きっぱなしの書類に気づく。


クリップで留めてある束を持ち上げてみる。


カラー印刷をされたそれは、いくつかの王冠がいくつも載っていた。


「・・・なに、これ?」


いかにも歴史を感じさせる古びた王冠から今風のお洒落な王冠だ。


パラパラと紙を捲る南の髪を撫でながら巧弥がどこかに電話を架ける。


数回のコール音の後、繋がった相手に巧弥が気安い口調で話しかける。


「診察中じゃないのか?先生」


笑みを含んだその声に南が、ピンときて巧弥の腕をつつく。


「一臣くん?」


学生時代の懐かしい思い出が蘇る。


学園を駆け回った賑やかなで鮮やかな、かけがえのない3年間。




南の言葉に頷いて巧弥が続ける。


「相変わらず病院は大盛況らしいな。おかげさまで元気だよ。俺も南も。ああ、そうだな。絢花ちゃんと愛美花エミカ嬢は元気?そう・・・マイホームパパやってる?ははっ楽しそうだな。実は訊きたいことがあって電話したんだ。この前、矢野たち連れてインド料理の店行ったって言ってたろ?あれ、場所何処?」


一臣との通話を終えて、携帯を閉じた巧弥が言った。


「店の場所分かったよ」


「カズくん元気って?」


「うん。可愛い娘も奥さんも元気だって」


「そう。愛美花ちゃん、おっきくなっただろうねー。生まれてすぐに会いに行って以来だもんね」


「もう六か月だって」


「へー・・そんなになるんだ・・あ、そうだ、この資料何?」


携帯を手放した巧弥の前に、書類の束を差し出して問いかける。


ちらっそれを一瞥した巧弥が、思い出したように言った。


「赤の女王の王冠」


「・・・え?」


「アリスの、女王様の王冠のイメージ資料」


ようやく合点が行った南が頷く。


「ああ!!不思議の国のアリス!」


「そう。基が、今度はファンタジーの舞台脚本一緒にやろうっていうからさ」


基というのは巧弥の作家仲間だ。


女流作家なのだか、どこか中性的な雰囲気を持つ比嘉基。


何度か会ったことのある、透明感のある瞳の彼女。


最近は執筆以外にも、幅広く活動の場を広げているらしい。


「ふーん・・・アリスかあ・・・」


「やっぱり、女王様のトレードマークだからね。アレが無いと、インパクトに欠ける。雰囲気掴むのにいいかなと思って出版社に口利いて、いくつか取寄せてみたんだ」


「王冠・・・確かに、綺麗だけど・・」


高価そうなダイヤがいくつも嵌められたいかにも女王様然としたもの。


華奢な細工が施された、繊細なデザイン。


いくつもの王冠があるけれど。


権力の象徴として必要とされた”形”それがあるから”女王”として認められる。


だれが見ても、すぐに国を統べる者だと分かる。


もちろん、それも大事だけれど。


「南は、どれがいい?」


うつ伏せになった巧弥が、枕を台代わりにして書類を並べていく。


じっとそれを眺めてから、南は首を振った。


「あたしはー・・・王冠なんていらないの」


「・・・・」


無言のまま興味深そうな視線を送る巧弥。


こういう発想が出来るところが南のすごいところで、何より彼女が彼女たる所以だと思う。


眩しそうに妻を見つめる巧弥。


そんな彼の方に向きなおって南が続ける。


「だって、そんなもの無くたってあたしはあたしだもん。“肩書”じゃなくって・・・”志”ひとつで南なの。キラキラした王冠がなくっても綺麗なドレスがなくってもちゃんと大事なことは”心”で分かってるから。それが”証”じゃだめなのかしら?」


「・・・・」



言葉を失った巧弥が、枕に突っ伏した。


南は頬づえを突いて巧弥の後ろ頭を撫でる。


「答えになって無い?」


「・・・参った・・」


「え・・・何に?」


きょとんと不思議そうな顔で枕に頬をくっつけて、巧弥の顔を覗き込む。


心底バツが悪そうに巧弥が顔を顰めた。


「言わせるの?」


「・・・」


無言でにっこり笑ってみせた南。


有無を言わせぬ天使の微笑み。


頭を抱えたくなるけれど、惹かれるように顔を上げる。


常々、南に惚れていると自覚はしているけれど・・・


たまに、爆弾落とされて、撃沈する。


これ以上溺れたらどうしてくれる?




巧弥の気持ちなんて気づきもしない南は彼の目を見てトロンと微笑む。


そんな南に手を伸ばして巧弥は呟く。



「好きだよ」


言葉とともに重なった唇。


南が声を出さずに笑う気配がした。



我が家の女王様に、王冠は不要です。

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