第29話 かぐや姫

「それで、義姉さんの機嫌は直りましたか?」


ワイングラスを傾けながら、クールな目元を柔らかく細めて清匡が南の表情を伺う。


ホテルの最上階レストランは、休日の夜ともあって盛況だ。


VIP専用ルームの一角で、イブニングドレスに身を包んだ南は麗しい美貌をくしゃくしゃに歪めて、フォークをミルフィーユに突き立てた。


お世辞にも上品とは言えない仕草に、清匡は眉ひとつ動かさず笑みを湛えたままだ。


こういう所が兄弟揃って憎らしいと心底思う。


南の良く知る幼馴染達は皆表情豊かで、分かりやすかった。


「こうなったらかぐや姫大作戦で仕返ししようと思ってるのよ」


再びミルフィーユにフォークを突き刺して南が高らかに宣言する。


「デザートに罪は無いと思いますよ」


「あたしの超お気に入りのガーネットのデザートよ。どう味わおうとあたしの自由よね!?」


超絶美人に凄まれて清匡は素直に、仰せのままに、と引き下がった。


そもそも今日のエスコート代はすべて兄である加賀谷巧弥持ちなのだ。


文句がある筈もない。


珍しく自分から連絡してきたと思えば、一日皆に付き合って、出版社のパーティーに出席して欲しいと頼まれた。


勿論、仕事上のメリットがあることを確認したうえで引き受けた依頼だ。


出版業界の上役とも挨拶が出来たし、今日の所は不機嫌極まりない義姉のお守り役を押し付けられた事も目を瞑ろうと思う。


「2か月よ!2か月前から一緒に行こうって話してたのに、ドタキャンなんてあり得る!?」


「執筆業はスケジュールがあって無い様なものって、確か南さんから教えられたと思うんですが」


予定返上は日常茶飯事。


待ち合わせは待ちぼうけと思えとも教えられた。


あれほどの迷言、いや、名言はない。


「だからって、昨日の夜になってページ数が足りないなんてある!?」


「お怒りはごもっともです」


結局クズクズになった見るも無残なミルフィーユをスプーンですくって口に運ぶ南に向かって、清匡は早々に敗北宣言をする。


「あたしが、最初に好きになった少女小説家の先生が珍しくお見えになるから、絶対一緒に挨拶したかったのに」


「ああ、あの氷室先生?」


「そう、素敵な方だったでしょ?あたしがモノ作りに携わりたいって初めて思えたのは先生の作品があったからよ。紙の上で踊るキャラクターを初めて見たの」


嬉しそうに目を細める南は、何処から見ても超絶美人だ。


街を歩けばスカウトマンに声をかけられない日はない。


常に笑顔を絶やさない対人のプロである南が不機嫌極まりない表情を見せるのは珍しい。


しかも、相手は巧弥ではなく清匡。


”俺の代わりに”というのはこういう事も含まれていたのかと今更思い知る。


美人の怒り顔というのも珍しいから、いいかとサラリと流して、清匡は自分の分のデザートも南の前に進呈した。


「うちのバニラアイス、義姉さん好きでしょう?で、かぐや姫大作戦て?」


「ありがとう、遠慮なくいただくわ。ほら、あれよ、無理難題押し付けて、叶えてくれなきゃ実家に帰らせていただきますってやつよ」


「ああ・・・なるほど」


「こうなったら、とことん懲らしめてやるんだから」


「それすらもネタにしそうなところが、あの人の怖い所だと思うけど」


「そんな事したら、即離婚ね!」


「でも、そういう所も含めて惚れてるんでしょう」


「今日は巧弥の肩もつの禁止よ、清匡くん」


不貞腐れた南がアイスに添えられたウェハースを摘み上げた。


「そうまでして、愛されてるうちの兄が羨ましですよ」


「あら、あなただって引く手数多でしょ?


最近は聞かないけど、良い方いないの?」


頬杖を突いて面白そうに南が目を細める。


耳元から僅かに零れた髪の流れすら、妙な色気を含む。


笑みを湛えた唇に吸い寄せられない男などいるのか、と思って、それで、一番安全な俺にお鉢が回って来たのかと気づいた。


「人の恋路を応援して、失恋したばかりですよ」


「え!ふられちゃったの!?清匡くんを振っちゃう女の子なんているの!?」


「残念ながら、俺はもてませんから」


「・・・そんな事言わないで。失恋したてなのに無理やり付き合わせちゃってごめんなさい」


「いえ、そういう役どころを頼まれただけなんで、ご心配なく。そう簡単に恋愛出来ない性分なんです」


「なんだか物凄く興味が引かれるけど」


「兄も噛んでるんで、そっちからそのうち聞いて下さい」


「なら、そうするわ。でね、一緒に考えて、絶対叶えられない願い事!」


身を乗り出して秘密の相談を始める南に、清匡は苦笑交じりに応じる。


まじかでこれをやられたら、十中八九男は一発で落ちるだろう。


つくづく巧弥は清匡の使い方を理解している。


「世界一周旅行に連れていく、無人島を購入する、あとはー・・・」


指折り数えて難題を考える南に向かって、清匡が小さく笑った。


「俺は、義姉さんのそういう子供っぽい発想が好きですよ」


笑みを湛えたままで南の指先を捕まえて、軽く唇を寄せる。


「でも、後の相談は当事者として下さい」


挨拶代りのキスを残して、清匡が席を立つ。


南がえ?と表情を改めると同時に、後ろから声がした。


「俺は、パソコンさえあればいつでもどこでも仕事が出来るから、なんなら明日から世界一周旅行に行ってもいいよ。新しいアイデアが浮かぶかもしれないし。南のスケジュールが合うならね」


「た、巧弥!!」


いつの間に現れたのか、天岩戸に籠りきりだった巧弥が、スーツ姿で立っていた。


「無人島の件なら、丁度加賀谷が新しいリゾート開発で沖縄の下の小さい島を開拓予定らしいから、譲ってもらおうか?」


「・・・」


南が考えた無理難題にいとも簡単に答えて、巧弥が微笑んだ。


「で、他の無理難題は?かぐや姫」


「・・・いつからいたの?」


「デザートを食べ始めた位かな?いつ呼びかけようか迷ってたら、面白い方向に話が進んだから」


「あ、あのねぇ!無理難題に答えられたって、あたしの心を動かせなきゃ駄目なんだから!じゃなきゃ家出よ、離婚よ!」


テーブルに手をついた巧弥が、顔を背けた南の顎を捕えて引き寄せる。


「俺がどれ位南を愛してるか分かっててそういう事言うのか?」


「巧弥の気持ちなんて知らないっ・・・離婚ったら離婚っ」


「冗談でも一番聞きたくない言葉だな。手に入れるまでどれだけ掛かったと思ってる。どんな手を使っても、南だけは手放さない。俺がどれ位汚い男か知りたい?」


射抜くような視線に南は言葉を紡げず黙り込む。


不安そうな南の額にキスをした後、言葉とは裏腹の優しいキスが唇に落ちた。


「俺が悪かった・・・別れるなんて言うなよ」


懇願するような囁き声。


「南の心を縛るのも、動かすのも、俺だけだろう?」


図星を突かれて南が視線を揺らす。


「なぁ、頼むよ、お姫様。機嫌直して笑ってくれ」


「次やったら、月に帰るからね」


「迎えが来ても追い返して、南を閉じ込めて離さない」


恐ろしい言葉を口にして、巧弥が自信たっぷりの笑顔を浮かべた。

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