第22話 ふしぎの国のアリス

スカートのポケットに入れていた携帯が震えた。


頬杖をついて、ぼんやりと黒板を眺めていた南はそっと携帯を机の下で開く。


メールの送信者は巧弥から。


向こうは今頃数学の授業のはずだ。




”特別棟を、アリスが逃亡中”


なんのこっちゃ???


たった1行の文章。


小首を傾げつつ、南は向かいに建つ特別棟に視線を送って・・・納得した。


”時計屋ウサギを道連れにすると思う?”


即座に返信を返す。


ものの15秒ほどで返事が返ってきた。


”間違い無く”


こーんな昼間っからランデブーかぁ・・・ちょっと羨ましい・・・きっと誘われたウサギはさも嫌そうに付き合うんだろうけど・・・


それにしても、アリスは彼女のイメージにぴったりだ。


空想好きで、冒険を心から待ち望んでいる。


なんだって楽しみに変えてしまう無敵のパワー。


まさしく現代のアリスって感じ。


南はちょっと悩んでから、メールを返した。


”ところであたしが誘ったら、付き合ってくれる?”


”体力の無駄遣いだよ”


・・・やっぱり。


ちょっと期待したのにな。



特別棟を見れば、窓づたいにこそこそと体育館裏に向かうアリスとウサギの姿があった。


脱出成功オメデトウ。




あたしはいまだに教室の中。


連れ出してほしい王子様は、まったくもってやる気なし。


まあ、こういう人って分かってて、それでも好きなんだけどね。



こっそり溜息をついて、南は、携帯をポケットにしまい込んだ。


授業終わりまで後、30分もある。






★★★★★★



欠伸を2回。


目をこすること3回。


思わず気を失いそうになること1回。



茉梨は延々と続くスケッチに、飽き飽きしていた。


定年間際のおじいちゃん先生は、窓際でうたた寝中。


春には引退する老先生は、よく見て感じたままに描きなさい、と教えるというよりは見守る系の授業方針なので、自由度は高いけれど、ちょっと物足りなさ過ぎる。


生徒達はざわざわとおしゃべりをしながらスケッチを続ける。


中には一心不乱に鉛筆を動かす生徒もいるので、合う合わないがあるのだろう。


一番楽な授業、美術。


でーもー退屈だあー!!!


スケッチブックの前には、テーブルに乗せられた1輪の花。


こんなん10分で終わっちゃいますからね。


あーほんっとどーしよーもない程退屈ー・・・


暇つぶしに携帯を取り出して勝に向かってメールを送る。


”こちら退屈ですが?どうぞ”


”なんで無線?・・・どうぞ”


”なんとなく気分ですよ!てか今どこ?どうぞ”


”視聴覚室で、歴史のビデオ上映会。眠い。どぞ”


そのメールを見た茉梨は、心の中でガッツポーズした。


やることは決まった。


なんて偶然!いや必然!!だって視聴室ってば・・・・美術室の隣じゃん!



いそいそとスケッチブックを片付けて、提出用の箱に入れに行く。


ペンケースを持って、ちょっと離れたひなたの席へ向かう。



「ひなちゃーん」


さすが、丁寧に絵を描く彼女はまだスケッチの途中。


正しい高校生の鑑である。


「どうしたの?」


「ごめんねーフケるので、これ宜しく」


書き終わったスケッチブックをひなたに手渡すと颯爽とその場を離れる。


「え・・?ちょ・・ちょっと!なんで窓?」


小声で話しかけるひなたを振り向いて、茉梨は人差し指を立てた。


「こういうのもたまにはいいかなってさ」


「へ?」


意味が分からずぽかんとするひなたを残して茉梨は一番後ろの窓に近づくと、そっと開いた。


そして、机を足場にして、窓の外へと身を乗り出す。


「え・・・茉梨ちゃん?」


あっという間に彼女の姿は窓の下に消えた。


窓の下を中腰で歩く。


恐らく暗幕掛かってるだろうから、大丈夫だと思うけど・・・


茉梨は視聴覚室までやってくると、一番後ろの窓を少しだけ開けた。


予想通り、暗幕に邪魔されて何も見えない。


とりあえず、教卓は一番前なので、先生に見つかることはないハズ。


よし、これならイケル。


すぐさま携帯を取り出してメールを打つ。


”いま教室の前!窓から出てきて”


それから30秒後。


暗幕が一瞬だけ捲れ上がって、勝が姿を現した。


眩しそうに眼を凝らして、茉梨がしゃがみこんでいるのを確認してから身を乗り出す。


「・・・なんでこっち?」


「ん?たまにはスリルを味わいませんか?」


「・・・・おまえとだけはごめんだ」


顰め面で言われて、茉梨はちょっと肩をすくめてみせる。


「結構楽しいと思うんですけど?」


「時と場合による」


「じゃあ、今から楽しむ方向で」


勝が窓から出てきたのを確認して、中腰のまま歩き出す。


「目的地はー?」


「んー・・とりあえず、体育館裏?」


「呼びだしですか?」


勝がちょっと笑って問いかける。


茉梨はちらっと後ろを振り向いた。




★★★★★★




「告白してもいいですか?」


いつになく真剣なまなざしに、ありえないと分かっていながらも動揺してしまう。


「え・・・おい・・」


冗談だろ?


言葉の続きが出る前に、茉梨がペシンと勝の腕を叩いた。


「なーに呆けてんのよ。冗談に決まってるでしょ。あ・・・でも、告白することあった!昨日、冷蔵庫に残ってたチョコレート食べちゃった」


「・・・そーゆー告白はいらんっつの」


げっそりして答える。


「あらら?ラブレター描いたげよっか?」


「もっと要らんっつの!!いいから、とっとと歩け」



しっしと手を振って、茉梨を促す。


ほんとにこいつは・・・・


勝は盛大に吐きたい溜息を飲み込んだ。



「言われなくても歩きますともー。あ、自販機でジュース買おっかぁ。チョコの代わりに進呈しましょう」


「んじゃ2本」


「ムリ、1本」


ピシャリと言い返して、特別棟の角を曲ってからようやく茉梨は上体を起こした。


・・・・腰が痛い。


錆びついた非常階段と、じめじめした苔のにおい。


窪んだ階段には濁った雨水が溜まっている。


「つかお前ドコいたの?」


「んー隣の美術室ー」


「ああ・・・どおりですぐ来たわけだ」


「そうそう。だってあんた誘わないワケいかないっしょ?」


当たり前のように茉梨から飛び出したセリフ。


こういうの、もうウンザリするほど繰り返してるけど・・・



茉梨が行くとこには、俺も行くし。


俺が行くとこには、茉梨も行く。



「あー・・・・そーだな」


少しも疑問に思わずに来たけれど。


トントン階段を降りる茉梨の後ろ姿を見つめながらふと思う。


「・・・他の誰か誘おうとか思わなかったわけ?」


「えー・・・だって・・・あんたいないとつまんないしさ」


簡潔な答えが返って来て、勝は曖昧に頷いた。


つまんない・・・ねぇ・・・?


「あーそう。・・茉梨、水たまり」


先を行く相方のすぐ前には、ぬかるみがひとつ。


「はいはーい。おまかせ」


階段の最後の段の上から、茉梨は勢いよく飛び降りる。


上手く避けたと思ったら、苔で滑った茉梨の体がぐらりと後ろに傾いた。


「っぶね!」


勝は慌てて3段目から飛び降りて、茉梨の腕を掴む。


「あーぶなかった・・」


「おまかせ?どこらへんが?」


ジト目で隣を見下ろすと、茉梨がカラッと笑って見せた。


「勝に、おまかせってことで」





★★★★★★





授業を終えて、教室を出ると、廊下で待っている巧弥を見つけた。


「どうしたの?」


今日は待ち合わせをしていないのに。


巧弥は寄りかかっていた壁から体を離して肩に零れる南の髪を撫でた。


少し屈みこむようにして、視線を合わせる。


「アリスになりたかった?」


「・・・・別に」


不貞腐れた南の頬を撫でて、巧弥は笑う。


ただでさえ注目を集める、学園1美男美女カップルなのだ。


廊下を行き交う生徒たちの視線がグサグサと突き刺さる。


けれど、そんなものお構いなしで巧弥は言った。


「ああいう無茶は、矢野たちに任せようよ。リスク背負ってまですることじゃない」


「・・・たまには無茶したい時だってあるわよ」


「南が窓よじ登って、脱出できるとは思わないけど」


「気持ちの問題でしょ!」


不貞腐れて言い返す南。


そんな彼女を見下ろして、巧弥は小さく呟く。


「危ないことさせられないよ」


「・・・・分かってる」


巧弥はいつだって安全策を取る。


いつだって最悪のパターンを予想してる。


それは、いつだって全部南のため。


だから、本気で怒れない。


「・・・機嫌直るまでデートしようか?」


「ずーっと不機嫌なままかもよ?」


眉根を寄せて言い返せば、巧弥が肩をすくめて笑って見せた。


「ずーっと不機嫌でもいいよ。そうしたら、朝までデートしよう」


「・・・は」


「機嫌直らないのに、家に帰すわけにいかないだろ?だから、家泊めてやるよ」


「!!!いらない!帰るから!」


一気に赤くなった南の顔を覗き込んで、一瞬の早業で唇を掠め取る。


「なんでそこだけ全否定?」


声も無いまま恨めしげな視線をこちらに寄越す南。



最後までしきりに首を振る南の手を握って、巧弥は、人の途切れること無い廊下をゆっくりと歩き出した。

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