第21話 雪白と紅薔薇

ひなたが生まれる前に、母は一度流産している。


それがあったから、ひなたが生まれた時の、両親の喜びようといったら無かった。


流産の事実は分からなくても、母親の涙や、父親の落胆した表情を見ていれば、何か、悲しい出来事が我が家に起こったことはどんなに小さくても、することが理解できた。


大きなお腹を撫でながら、母親がまだよちよち歩きのあたしに


「今度こそ、お姉ちゃんになるからね。可愛がって、大事に、守ってあげてね」


と、何度も言ったことをおぼろげながらに記憶していたんだろう。


生まれたひなたに対するあたしの愛着は、人一倍強かったそうだ。


生まれたのが、女の子だったので、父親は姉であるあたしに繋がる名前にしようと言った。


自分の大好きな、暖かい場所に続く名前。


「南は、ひなた。だろ?ふたりがいつまでも、ずっと仲の良い姉妹でいてくれるように」


その名の通り、あたしたちは、いつも一緒だった。


保育所でも、ひなたが泣かされたら、飛んで行って意地悪小僧を張り倒すのはあたしの役目。


そして、ガキンチョをコテンパに叩きのめすあたしを必死に止めるのが颯太兄の役目。


ひなたにとってのあたしは、多恵で言う颯太兄みたいなものだ。


だから、どこに行くにもひなたを連れて行った。


まるで自分の分身みたいに思っていた。


ひなたが舌足らずな声で呼ぶ、


「おねェちゃ」


が大好きだった。


それは、小学校に入っても変わらなかった。


ひなたのお姉ちゃん好きは、多恵のブラコンに負けず劣らずで、あたしのシスコンも筋金入り。


両親共働きの我が家で、母を手伝い、妹の面倒もしっかり見る、賢いお姉ちゃん。


それが、団地での望月南の評価。


いつだって、どこだって”お姉ちゃん”である、望月南の、評価だった。


けれど、それも、ずっとは続かなかった。


本日最後のニュースを伝えるテレビを、ぼんやり眺めながら、予想以上の日本茶の苦味に顔を顰めつつあたしは呟く。


「・・・たぶん・・・あの時だわ・・」


それは、12歳の夏に起こった通称”お姉ちゃん返上事件”


命名したのは、言わずもがな、颯太兄その人だ。


巧弥が興味深そうにこちらを見返した。


母は、ひなたを産んですぐに看護師の仕事に復帰した。


日勤、夜勤、と終始働きづめの母親に代わって、夏休みの家事をするのはお姉ちゃんの仕事。


出張の多い父親の分も、母を助けなくてはいけない。


もう12年も続けてきた”お姉ちゃん南”はずいぶん板に付いていた。


ひなたは、素直で可愛くて、言うこともよく聞くし。


家族のマスコット的存在として、両親からもめちゃくちゃ可愛がられている。


お姉ちゃんとしては嬉しい限り。


ただ、ひとつ、ひなたが泣き虫であるということを除いては。


ラジオ体操の後、朝ご飯を食べて、午前中に宿題を片付ける。


もちろん、ひなたの宿題を見てあげるのも忘れない。


お昼御飯の焼きそばを食べて、午後から団地組とバスケ三昧。


高校生になってからは、エリカ姉と、のん兄はたまーにしか参加しなくなった。


颯太兄は、中学のバスケが忙しくて一日中家にいない。


必然的に下の子たちのお守り役はあたしに回ってきた。


実、柊、多恵、ひなた。


4人の兄弟を従えて、今日も元気に走り回る。


少しも苦じゃなかった。


それが”お姉ちゃん”の当然の役目だと思ってたから。


「柊!はい、こっち!!」


「行けんの!?」


「よゆー!」


ボールを受け取った多恵が、ドリブルで切り込む。


柊介についていた実が慌てた。


「南ちゃん、フォローしてっ!」


「オッケ!」


回りこむも綺麗に抜かれて、レイアップを決められる。


やっぱり、ダントツで多恵が上手い。


男の子の2人も全く敵わない位に、足も速いし、シュートも上手。


ネットをくぐったボールを見て、点数を付けていたひなたがパチパチと拍手した。


「多恵さっすがーカッコイイ!」


「当然ー!!」


人見知りな彼女も、幼馴染の前では無邪気な笑顔を見せる。


あたしは落ちたボールを持ち上げようとして、柊介のおばちゃんがベランダからこちらに手を振っているのに気づいた。




★★★★★★




「あんたたちは危ないから、チャッカマン触っちゃだめだからね!」


「えー・・・大丈夫だってー」


「だめっ!柊のおばちゃんも言ってたでしょ!」


「ちぇー・・・分かったよー」


しぶしぶ頷いた柊介に、花火の袋を手渡して、あたしはアスファルトの上に置いたロウソクに火をつける。


時刻は午後20時前。


商店街の福引で貰ったという、ファミリー花火を手にあたしたちは、駐車場の片隅にやってきた。


待ち切れずに、花火を握り締めたままウロウロする兄弟たちを振り返る。


「はーい着いたよー」


暗闇に浮かびあがった小さなともしび。


ワッとひなたと多恵が歓声を上げた。


柊介のおばちゃんが付いて行こうか?と訊いてくれたけれど、首を振った。


すぐ目の前だし、ちゃんとあたしが付いてますって。


そのうち颯太兄もクラブ終わって帰ってくる。


それから打ち上げはやればいいのだ。


パチパチと火花をまき散らしながら、多恵とひなたがはしゃいで駆ける。


「危ないから走っちゃだめってば・・」


「平気だもーん!ね?ひなたー」


多恵が嬉しそうに言って、後ろのひなたを振り返る。


満面の笑みで頷くひなた。


と、急に彼女の体がつんのめった。


「あぶなっ・・・!」


暗闇でアスファルトのくぼみに気づかなかったらしい。


慌てて手を伸ばしてひなたの体を支えようとする。


次の瞬間、右腕に熱い痛みが走った。


ドサッとアスファルトにひなたもろとも倒れこむ。


「いっ・・・たぁ・っ」


尻もちをついたあたしの腕をふりほどいて、ひなたが肩を掴んでくる。


「お・・・お姉ちゃん!?大丈夫!?」


「南ちゃん!?」


じんじん痛む右腕に視線を送るも、暗闇で何も見えない。


近づいてきた多恵が持っていた花火の明りで、ようやく見えた右腕には、真っ赤な火傷のあと。


それを見たひなたが、火が付いたように泣きだした。


「おっ・・お・・・お姉ちゃんー!!」


「・・だ・・大丈夫だから・・・」


「南ちゃん腕真っ赤!!」


ひなたとあたしを交互にみて泣きそうな多恵。


「多恵まで泣いたらだめだよ!」


多恵の手を握り締める実。


団地の方へ駆けだした柊介。


ただの火傷なのに・・・・


あたしは左手でひなたの腕を掴んだ。


「大丈夫だから、ひなた、泣かないの!!」


「で・・・でも・・腕」


「大丈夫だからっ!泣くんじゃないのっ!」


ひなたが泣けば、両親が悲しむ。


”なんでひなたが泣いてるの?お姉ちゃん、ちゃんと見ててあげてね?”


諭すように言うお母さんの顔が浮かぶ。


”お姉ちゃんがいるから、パパ安心だよ”


”しっかりしたお姉ちゃんねー偉いわ”


お父さんの、柊介のおばちゃんの顔が浮かぶ。


泣かないで、泣かないで、泣かないでよひなた!!


叱りつけるように言ったせいで、余計にひなたは泣きやめなくなった。


なんで?頑張ったのに・・・ひなたのこと、ちゃんと面倒見てるのに・・・お姉ちゃんだから・・・ちゃんとって・・・


泣きじゃくるひなたの顔が滲んでくる。


めちゃくちゃ痛い、胸も、腕も、全部痛いよ・・


「・・・も・・・泣か・・ない・・で・・って」


必死にこらえようと、唇を噛みしめるあたしの耳に、聴こえて来たのは、二つの足音。


「南!!怪我したって!?」


視線を巡らせれば、走ってくる颯太兄と、柊介の姿が見えた。


あたしは、体中の力が抜けて行くのを感じた。


「そ・・・颯太兄ぃー!!!」


滲んで行く視界で腕を伸ばせば、スポーツバッグを引っかけたままで、颯太兄が滑り込んであたしを抱きしめてくれる。


それで、もう堪えられなくなってしまった。


泣いた多恵を慰めるのが、仕事の彼はあたしの頭を多恵にするみたいに撫でながら問いかける。


「大丈夫か?怪我したのどこだ!?」


泣きじゃくりながら右腕を差し出すと、ホッとしたように颯太兄が頷いた。


「火傷したんだな。大丈夫、氷で冷やせばすぐ良くなるよ」


慰めるみたいに言って、あたしの背中を叩く。


・・・多恵が、泣くたび”お兄ちゃん”て呼ぶ理由が分かった気がする。


「ほ・・・ほんとに?」


「うん。ほら、去年、俺もお前らと花火して火傷しただろ?アレもすぐに治ったから、おんなじだ、おんなじ」


そう言って、あたしの隣で柊介たちに慰められているひなたに視線を送る。


「んで?ひなたはなんで泣いてんだ?」


「・・・・あたしが・・火傷したから・・・」


「・・大好きなねーちゃんが怪我してびっくりしたんだなぁ。ひなた」


腕を伸ばして、ひなたの頭も撫でた後、颯太兄はあたしの頬を濡らした涙を拭って立ちあがる。


「家帰ろう。おばちゃんか、おっちゃん帰ってくるまで、家にいりゃいーよ。・・・・な?多恵」


颯太兄の言葉に、お兄ちゃん大好きな多恵が満面の笑みで頷いた。


「うん!!!」




☆★☆★




泣き疲れて、颯太兄のベッドで眠ってしまったひなたと多恵。


久しぶりに泣きまくったあたしは、ようやく落ち着いて、颯太兄が入れてくれた、甘いアイスココアを飲んだ。


喉を通って行く心地よい冷たさにホッと息を吐く。


「・・・颯太兄ぃ」


多恵が持ってきてくれた、クマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。


隣にならんで、雑誌に目を落としたままで颯太兄が答えた。


「んー?」


「・・・お姉ちゃんやめたい・・・」


「・・・・・ねーちゃんやめて、どーすんの?」


「・・・妹になるの」


あたしの真面目なセリフに目を丸くして、颯太兄がちょっと視線をさまよわせた。


「・・・誰の妹になるの?」


「颯太兄の妹」


だって、そうしたら、こんなに泣くことも無い。


”お姉ちゃん”だから、こんなに悲しいんだと思った。


でも、颯太兄の妹なら、きっと悲しくない。


いつだって、守ってもらえるから。


優しい”お兄ちゃん”に。


「南は、今も妹だぞー」


「でもっ・・・ひなたにとっては、あたしはお姉ちゃんなんだもんっ柊や実にとっても、お姉ちゃんなんだもんっ・・・も・・・もうやだ・・・」


”お姉ちゃん”だから。


頑張ったのに。


ひなたのことも、みんなのことも。


”お姉ちゃん”だから。


我慢したのに。


痛くても、寂しくても、怖くても。


でも”お姉ちゃんじゃない南”はどこにもいけない。


クマに顔を埋めたあたしの頭を撫でながら、颯太兄が静かに言った。


「お姉ちゃんも、痛いし、怖いよなぁ。だから、泣いたらいいんだよ。南はお姉ちゃんだけど、俺にとっては妹なんだから、我慢して頑張ること無い。南は、我慢強いからいっつもお姉ちゃんでいようとするけど。朝から晩まで、お姉ちゃんはしんどいだろ?お姉ちゃん休む時が要るんだよ。だから、しんどくなったら、ウチ来な。いつでも、来たらいいよ」


「・・・うん・・・」


小さく頷いたあたしを、多恵にするみたいに抱き締めて颯太兄が笑う。


「その代り、お姉ちゃんやめるのはナシな。ひなたが悲しむだろ?こんなお姉ちゃん大好きでいてくれる妹なかなかいないよ?ちゃんと、南もわかってるよな?」


「うん・・・ひなたのこと好きだもん・・」


「うん。偉いぞ」


久しぶりに褒められて、くすぐったい気持ちで一杯になったあたしは、ふと思って問いかける。


「ねえ。颯太兄。ほんとにずっと、来てもいい?」


泣きたくなった時は。


「うん。いいよ。南が、いつか・・・思いっきり泣けるような相手が出来るまでは、ずっと、来たらいいよ」


その言葉に、なぜだかドキッとして、慌てて目をそらしたあたし。


この会話を訊いていたのか定かでないが、次の日からひなたはあたしを”南ちゃん”と呼ぶようになった。


彼女曰く”友達みたいな姉妹”でいいでしょ?


だそうだ。

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