第10話 捕まえた
彼の声を聞きながら、時間が早く過ぎることだけを祈った。
どきどきどき・・・・
高鳴る心臓を必死に押さえて、ドアが閉まる音と共に胸を撫で下ろす。
よ、よかった・・・・
「佳苗ー?」
頭上から聞こえてきた声に、テーブルの下に潜っていた佳苗は椅子を退けて這い出す。
息苦しさからようやく解放された。
「ごめんねー・・・妙なこと頼んじゃって」
「いいけど、こんなこといつまで続けるつもりなの?」
葵が神妙な顔で尋ねてくる。
曲ったことが大嫌いな彼女はいつまでも逃げ回っている佳苗のやり方に納得していない。
「・・・・あたしの覚悟ができるまで・・・?」
「でも、限界があると思うよ?さすがに大河先輩だって気づくと思うし・・・」
椅子に腰掛けた佳苗の前に、食べかけのスナック菓子を引っ張って暮羽が言った。
頷く葵に、佳苗は苦笑を返す。
「答えがね、欲しくって伝えたわけじゃないの。ただ、知ってて欲しかったんだ。でも、言ったら、ああゆう真っ直ぐな人だからちゃんと断らなきゃって思うって分かってて。本当は、言うつもりなんか無かったの・・でも」
顔を見たら、好きって思って。
この人のこと独り占めしたいって思った。
大勢のファンがいても、サッカーが一番でも。
あたしを見てって。
13歳で初めて出会って、それからずーっ呆れるぐらいの片思い。
叶わないことはちゃんと知っている。
あの人があたしに向ける優しさは、愛情のそれでは無かったから。
「あー・・・もう、湿っぽくなっちゃってごめんね!重ちゃんセンセのとこ行って、試し撮り見て貰ってくるね」
プリントアウトされた、新聞用の写真の束を持って部室を出る。
タイガに会わないことを祈りながら。
★★★★★★
佳苗とすれ違うこと1週間。
こんなに彼女と会わなかったことはない。
大抵は昼休みに昼寝の邪魔をしに屋上までやってきていたのに・・・
放課後の隠し部屋で、パラパラとサッカー雑誌を見ていたタイガの耳に、南の声が聞こえてきた。
「あー今日も部活なんだー」
「はい、撮影をお願いしてた部があって・・・あたしはアシスタントなんですけど、ついでに望月先輩も撮らせてもらえると嬉しいですー」
「えーモデル料貰うよー?」
「黒糖キャラメルでどーですか?」
「揺れるー!!あ、でも今日はダメ。今度部室に遊びに行くねー」
「いつでも待ってますー」
「じゃあねー、佳苗ちゃん」
ガタっ、バサっ。
椅子から立ち上がったタイガは落ちた雑誌を踏みつけたことにも気付かないままで、勢いよく部屋を飛び出した。
「あ、タイガ、いまね佳苗・・・」
「知ってる」
わき目もふらずに機材室のドアを開けるタイガに南が仰天する。
「ちょ・・ここ秘密だって・・・」
さんざん自分に出入りを人に見られないようにしろと口を酸っぱくしていったのは彼の方なのに。
「吉田!」
「タイガ先輩!」
佳苗の驚いた声が聞こえた。
あけっぱなしのドアを閉めつつ、南はさっきのタイガの表情を思い出してほくそ笑む。
「メールしなくっちゃ」
そして邪魔者は早々に退散することにした。
★★★★★★
背中に響く声にチラリと振り返る。
間違いない、彼だ。
佳苗は飛び上らんばかりに驚いて、即座に走り出す。
まだ距離があるが、サッカー部の脚力だとその差は数十秒あるか無いか。
予想通りすぐに追いついた彼に腕を引かれて佳苗は立ち止まる。
逃げてしまった後では言い訳はできない。
「おまえ、明らかに俺のこと避けてるだろ?」
「えー、そうですか?」
必死にすっとボケる。
「今も、走って逃げただろ」
「誤解ですよー。だって先輩追いかけてくるんですもん。人間の心理で逃げちゃいますよー」
必死に笑顔で取り繕うとするも、
タイガの真剣な顔を見るとそれも叶わなかった。
やっぱり、来る・・・
「あのな、吉田」
タイガが腕の力を緩めた瞬間、佳苗は脱兎のごとく走って階段へと駆けた。
まさかここに来て逃げられると思わなかったのかタイガはあっけにとられて動けない。
佳苗は震える手に力を込めて振り返った。
「あのね、先輩!あたし、答えて欲しかったわけじゃないんです!!先輩の気持ち知ってたし、だめなのも分かってたし。だから、あれは、もういいんです!!」
「いや、良くないだろ!」
かぶせるように言ったタイガの言葉に首を振る。
「いいんです!!だから、終わりにしないで!!」
この3年半を終わりにしないで。
優しい人だから、きっとあたしを振っても今まで通りで接してくれるだろう。
むしろもっと優しくなるかもしれない。
けれど、それが一番つらい。
何も無かった頃みたいにはもうできないから。
一方通行でもいい。
ずっと、気が済むまで。
迷惑でも、勝手でも。
後輩の中の一人でもいいから。
片思いしていたかった。
こんなにドキドキしたのは初めてで、恋だと知ったらわくわくした。
昼休みに何かと理由を付けて会いに行っても、懲りずに相手をしてくれて、それがまた嬉しくて。
1人でどんどん大きくなっていく気持ち。
永遠に叶わなくても。
それでもいい。
あたしが好きって思うのは自由だよね?
★★★★★★
「吉田・・・ちょっと待てって!」
「嫌です!待ちません!先輩の言うことなんて想像付きますもん!」
言うなり階段を上り始めた佳苗を追ってタイガも走り出す。
恐らく佳苗が思っていることと、タイガが言おうとしていることは8割がた同じだろう。
それでも、この状態で離れるなんて不可能で。
色々と思い描いていた、傷つけずに佳苗を振る方法。
それは今、タイガの頭のなかからスッポリ抜け落ちていた。
頭にあるのはとにかく佳苗を捕まえること。
反射的に上に上がってしまった佳苗は、屋上に辿り着くと逃げ場がなくなることにやっと気づいた。
けれど、すぐ後ろに迫ってくるタイガに捕まるわけにはいかないので必死に階段を駆けのぼる。
なんで高校に入ってまで追いかけっこ!?
逃げる方も、追う方も同じことを思っていた。
屋上に続く踊り場に辿り着き、ドアノブに手をかける。鍵はかかっておらずすぐに開く。
強い風に負けないように、必死にドアを押し開ける。
すぐに閉めなきゃ!!!
屋上に出ると同時に、ドアを押し戻そうとするが一瞬早くタイガがドアの隙間から滑り込んできた。
「!!何で来るんですか!!」
悲鳴に近い声で言われて、タイガは息切れしてしゃがみ込む佳苗の腕を引っ張り上げようとして、諦めて自分もコンクリに座り込む。
「何でって・・・・お前に言わなきゃと思って」
夕日が嫌ってほど眩しい。
「聞きたくありません」
きっぱり言った佳苗は開き直ってタイガの真正面に座り込む。
とても告白した者とされた者の対面図とは思えない。
「あのな・・・吉田、お前とは中学から一緒だったし、可愛い後輩だと思ってる」
「知ってます。先輩がこれっぽっちもあたしを好きじゃないことはちゃんとわかってます。それでアレでしょ?好きじゃないのに付き合うのはできないから、もっといい奴探せよとかって・・」
「・・・そーだよ・・。お前のことちゃんと好きになってくれる、もっといい・・・」
そこまで言って、タイガは口を噤んだ。
佳苗がその気になれば、すぐに気のいい彼氏ができるだろう。
そうしたら、昼休みの貴重な昼寝タイムを邪魔されることも無くなるし。
廊下を歩いていて、後頭部に擦り損ねた校内新聞で作った紙飛行機をぶつけられることもなくなる。
今までみたいに、しょっちゅう会いに来ることもなくなるだろうし、タイガ先輩と呼ばれることはもうないかもしれない。
・・・・ふと、半覚醒状態の自分の耳に聞こえてくる名前を呼ぶ声を思った。
もう、無くなるのか・・・あれ・・・・
ふと、胸に湧き上がった言いようのない気持ち。
俺は・・・・ずっと。
あの屋上で、待ってたのか?
俺と巧弥の秘密を考えたら、吉田との接触は決してプラスには作用しない。
デメリットとリスクが間違いなく生じる。
それでも、そんことは承知で。
俺は吉田を離したくなかった。
先輩と呼ばれる距離に居たかったんだ。
それ以上になることが無い、明確な線引きをした中で慕ってくれる彼女の存在は、いつのまにかどんどん大きくなっていたのだ。
他の男?
冗談じゃない。
いきなり黙り込んだタイガの様子に、向かいの佳苗が不安げな表情で尋ねてくる。
「・・・あの・・・せんぱい?」
触れようか、どうしようか悩んで中途半端な位置で止まったままの佳苗の右手。
タイガはそんな彼女の顔をチラリと見て納得したように頷いた。
迷うことなくその手を掴んで引き寄せる。
倒れこんできた体は思っていたよりもずっと華奢で驚く。
いつもカメラを片手に走り回っているあの元気はいったいどこに詰まっているんだろう?
「そーだよ。お前は、俺だけ追っかけてればいーんだよ」
耳元に流れ込んできた言葉に、佳苗が反射的に体を起こそうとするがタイガは力を緩めなかった。
「な・・・何勝手なこと言ってんですかぁ!!振る相手にそういうこと言うのは反則でしょ!もう覚悟決めますから、下手に優しくしないでください!!」
「吉田、そうじゃなくって、ちょっとは聞けよ。人の話を」
呆れた声で言われて、佳苗は落ち着くどころかパニック状態だ。
好きな相手に、抱きしめられて落ち着いていられるわけがない。
「聞きたくないです!先輩のばか!!先輩はちっとも優しくないですー!」
離してくれないなら、せめて思いきり抱きついてやろうと思って、佳苗はタイガの背中に腕を回して遠慮なく抱きついた。
何とか誤解を解かなくてはとタイガは思考を巡らせる。
「・・・ごめん。これから優しくするから、今までの分は水に流してくれ」
「これからってなんですかー!?先輩今までも十分優しかったです!いつだってみんなに優しくて・・・」
だんだんと言っている自分が惨めになってくる。
決して自分は特別じゃないと思い知らされているようで。
「じゃあこれからは、吉田にはみんなの倍優しくするよ」
「そんな気遣いしないでください!今まで通りでいいんですー!!いつもみたいに喋ってくれたら・・・」
宥める様に背中に回された腕は優しくて期待しそうになる自分の気持ちを打ち消すように、佳苗はタイガから離れた。
「吉田・・」
「あと、今後どんっな可愛い子に告白されても今みたいにぎゅーとか無しですよ!?振るなら傷を深くするようなことはしたらダメです」
キリリと言われてタイガは言葉の続きを失う。
「あたしの勝手な片思いに付き合わせてすいませんでした。でも、これからも応援してます。ってことで、握手してください。これで終わりにしますから」
最後まで泣かずに手を伸ばしてきた彼女の右手を握る。
強く。
「んで、お前の言いたいことはそれで終わりだな?」
「・・・はい」
「じゃあ、俺の話聞け」
「はい」
繋いだままの手を一瞬見て、まっすぐにタイガを見つめ返す佳苗の表情は穏やかだった。
迷いも、後悔も無いすっきりとした顔。
タイガは、ここまで言われて自分が今から伝える言葉を思うとバツが悪くてうつむいてしまいそうになる。
何から言えばいいのかなんて見当もつかない。
用意してきた言葉はどれも、今の自分の気持ちとは正反対のものばかりだった。
「あー・・・あのな・・・ごめん、好きなんだ、付き合おう」
何とか一息に言った後、恐る恐る佳苗の顔を見るとぽかんとしか表現のしようのない表情でこちらを見ていた。
やっぱり・・・
「どういう意味ですか?」
繋いだままの右手に視線を落としてぼんやりと佳苗がつぶやく。
そのまんまの意味なんだけど・・・
ひとりごちて、まだ焦点の定まらない視線でこちらを見てくる佳苗との距離を少し縮める。
微動だにしないで彼女はタイガの言葉を待っていた。
・・・あーもう・・・
こういうとき、巧弥なら上手く話せるんだろうけれど。あいにく自分は体育系。
言葉で伝わらない部分は、それ以外でフォローしないと仕方ない。
握ったままの佳苗の手を離し、空になった手で彼女の右頬にかかっていた柔らかい髪を掬う。
無防備に晒された夕日の当たる淡い色の頬にキス。
一瞬の出来事に、我を失っていた佳苗が弾かれたように熱を持った右頬を押さえた。
「は・・?な・・・なんて・・・?」
言葉もろくに紡げないほどテンパった後輩を前に意外なほど落ち着いていたタイガは、女子生徒が群がる人の好い柔らかい笑みを浮かべた。
目の前に居るただ一人だけのために。
「まだわかんない?好きってことだよ」
「・・・っえェ?え・・・や、せ、先輩!?」
正気ですか!?と言わんばかりに目を白黒させる佳苗の視線を今度はしっかり受け止めてタイガは苦笑交じりで頷いた。
「夢じゃないから、安心しろ」
「・・・・・う・・嘘とか言ったら訴えますよ?」
訊き返すのが本当は怖い。
冗談なんかでこういうこと言える人でないのは自分が一番よく分かっている。
バレンタインも、本命チョコはきちんと断ってしまうような人だから。
耳をふさぎたくなる衝動を必死に抑えた佳苗の耳に聞こえて来たのは
「言わねーよ」
ぶっきらぼうだけど、一番良く知っている嘘のない彼の言葉で。
堪えていた涙がこぼれ出すのと同時に佳苗は手放しでタイガに抱きついた。
「嘘って言ってもあたし聞きませんからね!」
「だから言わないって」
呆れたような声が背中越しに聞こえて佳苗は今度こそ遠慮なく、文字通り”号泣”した。
捕まったのか、捕まえたのか。
どっちの答えが正解だとしても。
お互い好きなら問題なし。
後は気ままに、お好きにどうぞ?
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