第8話 初接近はバンドエイド

階段を駆け上がる、3年男子の集団に廊下で騒いでいた生徒たちは皆揃って道を開ける。


その先頭を駆けて行く生徒の顔を見た、数人の女子生徒から黄色い悲鳴が上がる。


「大河さん頑張ってー!!!」


昼休み恒例のサッカー部ダッシュ。


1階の昇降口前から、4階角にある音楽室までを猛ダッシュで駆け抜けるサバイバルゲーム。


初めて目にした時には何事かと思ったが、入学して半年もたった今となっては別に珍しいこともない。


迷わず入部した新聞部の先輩に連れられて、運動部の招待試合の観戦に行った。


いくつか回ったクラブの中でも群を抜いて、人気を集めていたのがこのサッカー部だったので、自然とレギュラーメンバーの名前と顔は覚えた。


どこに居ても目立つ、サッカー部のエースは特に。


熱狂的な女子生徒と同じくらい、男子生徒にも好かれていた彼は、それこそ老若男女問わずモテていた。


先月の体育大会では、クラス対抗リレーで4人抜きをして1位になって、ファンはますます増えるばかり。


来月の文化祭では、サッカー部で寸劇をやるらしくてこれまた超話題になっている。


ここのところ校内新聞に載るのは、彼の名前ばかりだ。


田舎の学校のヒーローと言ったところか。


まだ、彼のことをよく知らない佳苗にとってみれば、異様なほどの人気もまったくピンとこなかった。


うっかり大河をタイガと読み間違えてしまう程度に。


「吉田さーん!大河先輩の写真入手できないかな?」


クラスメイトからのもう何十回めかのお願い。


佳苗は苦笑交じりで言い返す。


「まだカメラ持たせてもらえてないからごめんね?あたしが取材に行けるようになったら、焼き増ししてあげるね」


三年生の引退までは、一年生はアシスタント業務に専念するのが新聞部の習わしなのだ。


向いの席をお弁当を食べている葵が、佳苗の不穏な空気を察知して慌てて話題を変える。


「あ、畑野さん!数学のプリントやってきた?」


「うん。でも、わかんないとこあって・・」


「あたしも!後で見せあいっこしようよ」


2人の会話をよそに、サンドイッチに手を伸ばした佳苗の眉間のしわを指さして、暮羽がつぶやく。


「どなり返すかと思ってハラハラしたぁ」


「サッカー部以外も取材してるってのに!」


サッカー部を記事にした時だけやたらと注目されてそれ以外の時は見向きもしない。


こっちは毎回必死になって記事起こしてるのに!


「しょーがないじゃん。ウチの中等部で唯一誇れるのは、サッカー部くらいのもんだもん。強かったバレーも3年生抜けてからダメらしいし」


畑野さんとの会話を終えた葵がプチトマトを口に運ぶ。


それを横から奪い取って頬張って佳苗は言った。


「たいがなんとかがなんぼのもんよ!」


「あたしのトマトー!!」


「あー、はいはい。葵、これあげるから!」


慌てた暮羽が自分のお弁当箱からシロップ漬けのみかんを葵の口に放り込む。


「おいしー!暮羽ちゃんありがとー。あ、ちなみに、佳苗。タイガじゃなくってオオカワだからね!」


「知ってるわよ!こっちの方が覚えやすいんだもん」


「・・・新聞部なんだからちゃんと覚えなよ」


呆れ顔の暮羽の言葉は無視して、佳苗はパックのオレンジジュースを勢いよく飲みきった。





★★★★★★




5限目を前に、食堂前で葵たちと別れて1人で部室へ向かう。


授業で使う資料集を部室に置きっぱなしにしていたのだ。


2階の部室に寄ってから4階に上がることにする。


2階と4階からは渡り廊下で、第二校舎に行くことができる。


次の授業の美術室は、第二校舎の4階の端にある。


こんないい天気だと確実に寝ちゃうなぁ・・・


佳苗の席は一番後ろのテーブルの角っこ。


日当たり抜群で、幸いなことに、教壇に立つ先生からも見えにくい。


こういうとき、つくづく吉田で良かったと思う。


美術と音楽は名前の順番で席が決まっているので、間違っても一番前の席にはならないからだ。


気持のよい青空を眺めながら、渡り廊下をまっすぐに進む。



雲が風に流されていく。


本当にすがすがしい青空だった。



「はー・・・いい気持ち」


このままここで眠ってしまおうか?


そんな風に思った時、右足が何かにぶつかった。


ぐらりと身体が傾く。


「きゃあ!!」


悲鳴と共に、コンクリートにしたたかお尻をぶつけた。


つんのめった右手がジンジン熱い。


「ごめん、大丈夫かぁ?」



背中から声がして、ぶつかったのが人間だと知る。


くるりと振り向けば、廊下の壁に背中を預けて足を投げ出したままで、苦笑いを浮かべた話題の人物がそこにいた。



「・・・な・・・なんでこんなとこで寝てんですか?」


思わず疑問を口にしながら、唐突に思う。





この人は、太陽の下が一番似合う。


こうやって、日の光浴びてるのがきっと一番かっこいいんだろうなぁ・・・


「昼飯食って、運動したら、みょーに眠たくなってさー。天気いいし、日当たりいいし・・誰もいないし寝ちゃうかーみたいな。そーゆーとき、ない?」


彼の言葉に、佳苗は1も2もなく頷いて。


「ありますね・・たしかに」


妙に説得力のある・・・


「だろ?でも、俺がここで寝てたせいで転んだんだよな?ごめんなー。怪我してないか?」


小さい子にするみたいに、遠慮なく佳苗の頭をくしゃりと撫でる彼。


された佳苗はポカンとして、次の瞬間、顔を真っ赤にして言い返す。


「だ・・大丈夫です!空ばっかり見てぼーっとしてたあたしも悪いですし!!っていうか、子供じゃないんですから!」


「あー、ごめんごめん」


乱れた髪を手ぐしで直す佳苗に、悪びれた様子も無くそう言って、彼は立ち上がる。


「こんないい天気だもんなー。上見たくなる気持ち分かるよ」


「・・・そう・・・ですよね」


思わず頷いて、やっとまともに彼の顔を見た。


佳苗の視線に気づいて、にこりと人の好い笑みを浮かべるその右頬にうっすらとすり傷を見つけた。


「あの!ほっぺ・・・怪我してますよ?」


指された右頬を撫でて、彼が笑う。


「さっき音楽室前に滑り込んだ時だ」


「すべ・・・滑り込むって・・・なんで毎回あんな危なっかしいことやってるんですか?」


「面白いから」



即答で返されて佳苗は言葉につまってしまう。


面白いって・・・


「ぼーっと昼休み過ごすより、ずっと面白いだろ?」


「あー・・・はい・・まあ・・・」


「タイガ先輩・・・じゃなくって・・・大河先輩、コレ・・・絆創膏」


ポケットから取り出したそれを差し出す。


きょとんと一瞬目を丸くした彼が、くしゃりと人の好い笑みを浮かべた。


「・・・まあ、確かにタイガとも読めるな」


「す、すいませ」


「タイガでいーよ。これ、サンキュな」


受け取った絆創膏をひらりと振って、タイガは校舎に向かって歩き出す。





タイミングよく持っていた絆創膏も、今日このとき、彼に初めて話しかけたのも。


全部、偶然なんかじゃないと思った。


ただの後輩で、お礼を言っただけだったとしても。


彼が、自分に笑いかけてくれたのは事実で。


きっと、明日には佳苗のことなんて忘れてしまっていることは確実で。



それでも、この瞬間。


自分でも驚くほどのスピードで、恋に、落ちた。


胸が高鳴る。


あの人に追いつきたくて。


ここに居るあたしに気づいて。


振り向いて、笑って、笑って。


胸が痛い。


手を伸ばしたくてもできなくって。


死にそうなほど、苦しくて。


震える手に力を込めて。




「タイガ先輩!!」


「んー?」


くるりと振り向いた彼を見据えて。


「あたし、新聞部なんです!!今度、インタビューに行ってもいいですか?」


「・・・いいよー」


「ありがとうございます!あたし、吉田佳苗です!名前、覚えてくださいね!」


必死に言ったら、足が震えた。


タイガは笑って両手で丸を作ってくれる。


「もう覚えたぞー吉田ー」


名前を呼ばれて、鼓動は、跳ねた。


青い空の下で。


吉田佳苗13歳。


生まれて初めての、恋を、知る。

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