第7話 駆け引きポーカーフェイス
放課後の機材室で、あたしは絶対絶命のピンチに陥っていた。
背中を伝う冷や汗と、目の前で嬉しそうに微笑む巧弥の憎らしい顔。
彼が焦ったり、困ったりする顔なんて一度も見たことが無い。
つまり、この男を前に、一度だってあたしは優位に立てたことが無いのだ、残念ながら。
「この部屋で逃げ回るのなんかマズ無理なんだから、観念したら?」
壁と巧弥に行く手を阻まれて、身動きが取れない。
「ムリッ!絶対無理っ!お願いだからやめて!」
「だーいじょうぶだって・・・」
笑うのを押さえきれずに、巧弥がクスクスと喉を揺らす。
大丈夫だったらこの状況になってないハズなんですけど!
あたしは巧弥の方を見ることが出来ずに、横を向いたまま涙目になった。
「もう、絶対駄目!こ、こっちこないでってェ」
「そーゆーこと言われると、行きたくなるんだよな」
嬉々としてまた一歩あたしに近づく巧弥。
この男、サドだったのね!
あたしのことを獲物みたいにちょっとずつ追い詰めていく様子の楽しそうな事!
極め付けにあたしの肩の真横に通せんぼみたいに手を付いた。
絶対に逃がさない気だ。
「せっ性格悪すぎるんじゃないの!」
「逃げられると追いかけたくなるのは人間の心理じゃない?」
「こ・・・これもネタにするとか言ったら殺すわよっ・・」
「ネタになんかしないって、面白くて人に教えるのがもったいないし」
「面白くないっ」
「いやー十分面白いよ・・・で、これどーしてほしい?」
笑顔で巧弥が問題の物をあたしの目の前でブラブラさせる。
「やややめてー!あっちやって!」
思わずあたしは恐怖で目を閉じる。
情けないけれど、もう本当に泣きそうだ。
「分かったから、じゃあコレ捨てる代わりに、交換条件一個飲んでよ?」
あたしの余りの必死さに巧弥がそう言い出した。
もう、それさえどっかにやってくれるなら喜んで何でもしちゃいます!
あたしは何度も頷いた。
「なんでもする!なんでもするから!それ捨てて!」
「わかった」
そう行って意味深な笑顔を見せた巧弥は、中庭に面した窓を開けて諸悪の根源であるその物体を投げ捨てた。
そして、くるりとこちらを振り向く。
「ほら、もう無くなったよ」
手を広げて見せる巧弥。
安心しきったあたしはズルズルとその場にへたり込んだ。
「こ・・・怖かった」
巧弥が笑いながらあたしを引っ張り立たせる。
「そんな駄目なんだ。アレ」
「かなり。・・・ってかよくも人を苛めてくれたわね!」
「まさかそんなに苦手とは思わなかったんだよ」
なんていいながら、その顔には”苦手って知ってても楽しくてやめられませんでした”ってちゃんと書いてある。
この恨みは絶対にはらしてやる!
心で硬く決意するあたしに巧弥が。
「で、交換条件忘れてないよな?」
「あ・・何、あたしに出来ないことはやめてよ?」
あたしのセリフにニコリと笑う巧弥。
悪い予感がする。
「ああ、それは大丈夫。南にしか出来ない事だから」
「な、何・・・」
「耳貸して」
手招きする巧弥に近づくと、少し屈んで耳元で。
「膝枕して」
「・・・はあ?」
余りに唐突なセリフにあたしは目を白黒させる。
膝枕って・・・・
「なんでまた・・・?」
「最近寝不足なんだ。誰かさんが続き書けって煩くて」
チラリとあたしを見ながら言う巧弥。
間違いなくあたしの事だ!
「今取りかかってる新作、何とか週末には上げれそうだから読みに来るだろ?そのときでいいよ」
ことごとく人の性格を分かってらっしゃる発言で、ぐうの音も出ません。
うんざりするあたしの耳にドアの開く音が聞こえてきた。
タイガだ。
「よーっス。なあなあ、さっき下で面白いもん拾ったんだ。これ見ろよ!懐かしくないか?ゴムの蛇!!!」
嬉しそうにそれを見せてくるタイガを睨みつけてあたしは叫んだ。
「こっちにくるなああああ!!!」
★★★★★★
そんなこんなで土曜日。
あたしは巧弥の家を訪ねることになった。
と言っても、巧弥の家は、我が家と同じく両親共働きで、年下の弟も部活の合宿で明日まで不在らしくて、全く気兼ねなんていらないんだけど。
もうこの部屋の常連客となったあたしは、巧弥がパソコンに向かっている間も一人で部屋にある小説片手に珈琲を入れたりして寛いでしまう。
大抵パソコンに向かっている間はこっちのことなんて視界に入っていないので会話も殆ど無い。
ひどい時なんて、あたしが居た事さえ忘れていることがあるし。
そうして、来訪から2時間ほど経過した頃、巧弥のキーボードを打つ音が止まった。
リビングのソファで膝を抱えた恰好で読書に耽っていたあたしは、隣の部屋から出てきた巧弥から新作の原稿を受け取った。
「はー終った・・・」
肩を回しながら巧弥があたしの隣に腰掛ける。
「お疲れ様。珈琲飲む?」
「ん、それでいいよ」
そう言って、あたしの飲みかけのカフェオレに口をつけた。
巧弥は慣れた人だとこういう事に全く頓着しなくなる。
「温いよ?」
「てか甘い・・」
「ああ、ブラック派だもんね」
そう言って、あたしは読みかけの小説を閉じてまだ温かいA4用紙に目を通し始めた。
と、膝に重みが掛かる。
忘れてたけど、そうゆう約束だった。
いつの間にか巧弥はあたしの膝を枕にゆったりと目を閉じていた。
約束だしな・・・
ひなた然り、団地組然り、他人との距離感の近い環境で育ってきたあたしにとっては、膝枕は大したハードルではない。
玩具のゴム製の蛇を克服することに比べれば、小石程度のハードルだ。
あたしはそのまま続きを読むことにする。
5分も立たないうちに巧弥が穏やかな寝息を立て始めた。
顔の上で手を翳してみても全く起きる気配が無い。
よっぽど疲れてたのね・・・
いつもの意地悪で策略家な彼は息を潜めていて、まるで無垢な少年のようだ。
あたしはゆっくりと巧弥の髪を撫でた。
何かお母さんみたいだな。
ひなたが小さい頃よくこうして膝枕をしてやったことを思い出す。
大きくなってからは、膝枕よりもお互いを抱きしめ合う事の方が増えた。
午後の柔らかい陽射しがフローリングを照らし、リビングは明るく温かい。
吹く風も心地よくて、うたた寝するにはもってこいの日和だ。
だんだん眠たくなってきたあたしは、原稿をテーブルに乗せると目を閉じた。
★★★★★★
風が少し強くなったのか、髪が揺れる感じがしてあたしは目を開けた。
目の前にある時計は午後17時を指している。
1時間半も寝てたんだ・・・
「起きた?」
真下から声がして、視線を下ろせば巧弥が膝枕のままであたしの髪を弄んでいる。
「んー・・・いつから起きてたの?」
「ちょっと前かな?すごいよく寝た気がする」
「あたしも。って原稿途中なの」
その言葉に、巧弥がテーブルから原稿を取り上げてあたしに渡す。
「ありがと・・・・ってねえ?」
あたしは未だに膝の上にある巧弥の頭を見下ろした。
「いつまでこのままなの?」
「南が帰るまで」
いつものように夕飯も一緒にするんだったら、20時すぎまで。
後3時間もある。
「・・・重たいから、いい加減起きてよー。どうせ、ご飯作ってくれるんでしょ?」
大抵夕飯は巧弥が慣れた手つきで軽食を作ってくれる。
あたしも手伝うことはあるけど、基本メニューなら巧弥は完璧だ。
「・・・メンドクサイからパスタでいい?」
「うん。いいよー」
返事を聞いて巧弥がゆっくり身体を起こす。
「休憩したし、動こうか」
「そーね・・がんば・・・」
あたしのことを挟むように両の手を付いて巧弥があたしのことをじっと見た。
「何?」
「調理代」
そう言って、瞬きの瞬間に唇を重ねてきた。
「え・・・・」
呆然とするあたしに笑いかけてそのまま触れるだけのキスを繰り返す。
暫くして、唇が離れた。
巧弥があたしの頬を指でなぞって優しく笑う。
その甘い顔やめなさいってば!!
「放心状態?」
「・・・っい・・・イキナリすぎっ」
あたしは真っ赤な顔を両手で押さえて言った。
もう頭真っ白で分けが分からない。
「ごめん。じゃあこれからは事前に言うようにするな」
「あーうん・・・って」
ななな・・・なに言ってんの!
パニックに陥ったあたしの額に軽くキスをして、巧弥は上機嫌で台所に消えていった。
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