走る翼


 関口の一件以来、人を好きになる気持ちというものが分からなくなった。


 関口とは子供の頃にたくさん遊んだ。

 日が暮れるまで公園で遊んだり、登下校は一緒で、二人で遊園地にいったり、水族館にも行った。


 きっとその時は楽しかったんだろうな。

 今の俺は関口に恋愛感情を抱いていない。

 だから、その時の気持ちが一切理解できない。


 思い出は全部屋上から落ちた時に消えた。



 谷口さんとの一年間は原島の件の時と似ていた。

 原島は女子グループの罰ゲームで俺に嘘告白をして付き合うことになった。

 谷口さんは告白除けの仮初のカップルだ。

 初めからそこに恋愛感情が入る余地はない。


 谷口さんは最初の頃、とても冷たかった。

 一緒に帰っても無言なんてざらにあった。

 何がきっかけだったんだろう? 確か、たまたま街で出会った中学生の弟さんが俺にすごく懐いてくれた覚えがある。


 女の子と間違えそうな容姿の弟さんは、時折三人で遊びに行った。

 芸能界やモデルに興味がある弟さんに、こっそり裏話をした覚えがある……。


 俺と岬は金を稼ぐためにモデルのバイトをしているから、話せる事なんてたくさんある。





「ふぅ、気分がのらないな……」


 今日は岬がアリスと一緒に買物に出かけている。

 そういう時は二人の邪魔をしない。

 俺は夜のショッピングセンターのガラスを使ってダンスの練習をしていた。


 出来たばかりのショッピングセンターはとてもキレイなのにいつもガラガラだ。

 スタジオを使ってもいいんだけど、時間が決められている。いくらでも練習できるこの場所が好きなんだ。



 スポーツドリンクを飲みながら頭の中で振り付けをイメージする。理想のイメージと現実の動きが一致する瞬間が好きなんだ。

 他のものには興味が沸かないけど、ダンスと歌だけは俺の心を沸き立たせてくれる。


 ベンチで座っていると、小さな人影が近づいて来る。

 暗くてよく見えないけど、見たことあるシルエットだ。



 人影は関口の姿であった。

 トレーニングウェアに身を包んだ関口は苦い笑顔を浮かべて俺に手を上げる。


 きっとただの散歩だろう。

 俺はそう思って練習に戻ろうとした、が。

 関口の後ろから原島が顔を覗かせた。


「み、みな、もと……、んっ、はぁはぁ……、んぐっ……」


 関口の身体が揺れるくらい、原島の身体が震えている。

 声は弱々しくて、今にも倒れそうな表情をしている。


 関口が俺に言った。


「今日はわたしは、源に話すことはないよ。……原島さん」


 関口は原島をそっと離して、ベンチへと座る。


 原島の姿が丸見えになった。

 こんなにも小さかったのだろうか? こんなにも弱々しかったのだろうか?

 勝ち気で男勝りで、日常的に嘘を付く原島美紀。

 中学の時はクラスのリア充グループに属し、みんなから人気があった。

 ……そういえば、新学年になってからちゃんと原島を見たことがない。


 原島は震える身体を両手で抑え、俺に何か言おうとした。


「み、みな、もと……、…………すぅ……はぁはぁ」


 いくら待ってもそれ以上言葉が出てこない。

 流石に俺も困惑したが、ふと思い立った事がある。


「もしかして、俺の前だとうまく喋れないのか?」


 身体をびくりとさせながら小さく頷く原島。

 俺は、嘘告白で付き合った時の原島の姿と重ねてしまった――



 *********



「源君〜。私と付き合ってよ! 一生のお願いだからさ!! へへ、いいでしょ?」


 俺が原島美紀と喋ったのはそれが初めての事であった。

 INTオーディションも終わり、次の目標として、ダンス世界大会に出場する予定であった。


「あの、俺と付き合うって冗談ですよね? だって、原島さんと話した事ないですよ」


「別にいいでしょ? 結構タイプだからさ、ちょっと振られるわけには行かないのよ……。一生のお願いだから付き合ってよ!」


 教室の外でクラスメイトが小さな声で騒いでいるのがわかる。


「マジ振られる?」

「あんな陰キャに振られたらマジで罰ゲームじゃん」

「てか、オッケーされても面倒じゃない?」

「そんなのすぐに別れればいいんじゃん」

「あ、静かにしてよ。声が聞こえないよ!」


 原島は教室の外をチラチラと見ていた。

 なんてことはない。ただの罰ゲームの嘘告白だ。

 俺は頭の中で、シュミレーションをする。

 きっと俺が振ってしまうと、原島がみんなに馬鹿にされる。

 俺には関係ない事だが、それが引き金で自分に厄災が降りかかるような気がした。


 嘘告白で、この関係に恋愛感情が一切無いとわかっているなら問題ない。


「原島さん、わかった。付き合おう」


「へっ? マジでいいの? あ、あはは、や、やった? う〜ん、なんか源に悪いから後でメッセージ送るわ」


 俺達はその場でメッセージを交換した。

 その間も原島は教室の外にいる女子たちをチラチラを見ていたのであった。


 結局、あのあと来たメッセージは『源、これからよろしく! 大好きだよ!』であった。

 ……多分、この文章は原島さんが送ったわけじゃない。

 俺が教室を出たあと、女子たちが何か楽しそうにどんなメッセージを送るか話し合っていたからだ。






 一週間が過ぎ、結局原島さんは俺に嘘告白だと伝えてくれなかった。


 原島さんは毎日元気だった。

「おっす! 昨日のアニメ観たか? 私は燃える話が好きなんだよ!」

「うんうん、源わかってんじゃん! あのヒロインが超カワイイんだよ」

「え? アニメが好きか? ……あ、あはは、クラスの女子には言わないでね」

「そうそう、夏の祭典でこの近くでコミケってやつがあって――」

「コ、コスプレ!? わ、私には似合わないよ……」



 俺は、谷口さんの時と違って、初めに恋愛感情がないと伝えていなかった。嘘告白だからそれが前提だと思っていた。


 一週間が経っても、一ヶ月が経っても、三ヶ月が経っても、原島さんは俺に何も言ってこない。

 時折、女子グループからからかわれている声が聞こえてくるだけだ。


『あ、あんな奴遊んでるだけだよ。私の事好きになったら振ってやるんだから!』


 原島さんは女子グループにいる時と、俺と二人でいる時と性格が全く違った。どちらが本当の原島さんか、俺には判断出来ない。


 原島さんは嘘で身を守っているような気がした。

 どちらにせよ、そこに恋愛感情がないから関係なかった。






「なんだよ、源〜、お前ばっかじゃないの?」

「てか、つきまとってマジでうざいって」

「どんだけ私の事好きなの? ちょっと離れてよ」


 教室でみんなの前では俺の小馬鹿にしていじる原島さん。


「ご、ごめん翼……。みんなの前だと素直になれなくて……」

「私ね、翼と出会えて良かった……」

「もっと正直になりたい。苦しいよ……」


 ……俺はなんで原島さんと一緒にいるんだろう? 自分の行動に疑問を覚えながらも、俺は流れに身を任せていた。





 ある日、俺が教室に入ろうとしたら――


「だから!! 私が源と付き合ってるフリしてるのはあいつがお金持ってるからよ!! 私の家が貧乏って知ってるでしょ!」


 珍しく原島さんが声を荒げていた。

 女子グループはニヤニヤと笑みを浮かべながら俺と原島さんを見る。


「あっ……、み、源……、ち、違うの。これは……」



 原島さんは焦った顔で俺の手を引きながら教室を出る。


 そして、誰もいない屋上で―――


「つ、翼に本当の事話すね。……じ、実は私が告白したのって……罰ゲームの嘘告白だったんだ」


 なんてことはない。元々わかっていた事だ。


「うん、それでこれからどうするの?」


「つ、翼? なんでそんなに冷静なの……」


「え? だって、俺達は嘘の関係だったんじゃないの? 罰ゲームで好きでもない俺の事を告白した原島さんと、流されて付き合った俺――」


 原島さんは首を必死で振っていた。

 言葉が出てこないのか、嗚咽しか聞こえてこない。


「ちが……、ちが……、わない……けど。わ、わたしたち、付き合ってて……。お互い理解しあえて……」


 俺は懐から封筒を取り出した。

 この封筒にはダンス世界大会で優勝した時の賞金が入っている。

 俺が優勝した事を伝えたら、二人っきりの時の原島さんは喜んでくれた。

 教室の原島さんは、そのお金を自分にくれ言った。

 本当かウソかわからないけど、『ママが病気で入院費が必要なのよ。あははっ、だからその賞金頂戴よ!』



 俺は言葉を真に受けてしまう人間だ。



「このお金でお母さんの入院費に当ててくれ」



 封筒を原島さんに押し付ける。

 原島さんは目を見開いて驚いていた。

 歯の食いしばる音がこっちにまで聞こえる。

 封筒を強く握りしめ、どうしていいかわからないようだ。

 彼女にどんな葛藤があるかわからない。


 だって――




「俺達の間には恋愛感情なんて一切無かったんだから――」




 その言葉を聞いた原島さんは身体を震わせてその場にへたり込んだ。


「こ、こんなお金、あなたが隣に……、ママ、好きじゃなかったって……、ママ、ママ、ママっ……」


 それ以来、もう二度と彼女から話しかけてくることはなかった。


 なぜなら原島さんはその日以来、卒業まで学園に数回しか来なかったからだ――




 *********




 ショッピングセンターの隙間風に飛ばされそうになるほどやせ細った原島。

 震えている原島がポッケからピンク色の封筒を取り出した。



「原島さんは源の前だとうまく話せなくなるらしいのよ。一応、私はただの付添いね。イヤホンしてるから困った事があったら言ってね」


 関口が横から口をはさむ。それだけ言うと、ベンチで身体を丸めて寝転がってしまった。


「み、みなもと……、わ、わたし。はぁはぁ……」


 俺は原島を無視して自分のカバンを取りに行く。


「みな、もと……」


 そして、カバンの中からビニール袋を取り出して、原島に手渡す。


「これを口に付けて座って深呼吸をするんだ。今の原島は過呼吸になっている」


 コクコクと頷く原島。なんてことはない、ただ話が進まないから最善の処置をしただけだ。


 原島の背中を擦って心を落ち着かせる。

 原島の呼吸が落ち着いて来た。


 俺達はベンチに座る事にした。

 原島は俺にピンクの封筒を押し付ける。


「みなもと……、ママ、助かったよ。退院できて元気になったよ……。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう……」


 なるほど、嘘の中に本当の言葉があるとわからなくなるんだな。

 確かに言えることは、原島のお母さんが入院したのは本当の事であった。


 手渡された封筒にはお金が入っていた。


「まだ、足りない、けど……、いつか全部返す。……み、みなもと、と出会えた、思い出が、わ、わたしを ……、ママが……」


 こんな大金をもらっても困る。

 ……岬になんて言えばいいかわからなくなる。



 ふと、胸のしこりに激痛が走る。

 これは一体何だ? なんでこんなにも痛いんだ?

 わからない。

 だから、俺は言葉を発する。


「俺と原島の間には恋愛感情なんて一切なかった。ただ、言われたとおりにしただけだ。その金は俺に必要ない」


 原島はその言葉を聞いて身体を震わせた。

 そんな事はどうでもいい。


 胸のしこりが痛くてたまらない。関口、谷口さん、原島さんに関わると痛くなる。



 だから、なぜここで言葉を繋げたかわからない。

 俺の一生の課題として残る問題かも知れない。


 俺はカバンから書類を取り出した。


「明日、この場所に来てくれ。関口、谷口さんも来ても構わない」


 よくわからない感情は全部ダンスに乗せればいいんだ。手渡したのはSTRオーディションの観客席の詳細だ。


 俺は二人をショッピングセンターに残して、走り去った。


 別れの言葉なんて必要ない。

 だって、俺達はもう関係ないはずだ。


 何故か全力で走っていた。その場を去りたかった。


 自分の感情がわからない。なんだこれは? もしかして罪悪感というものを感じているのか?


 そんなわけない。


 俺と彼女たちの間には感情なんて存在しない――


 それなのに、俺は全力で走るのをやめられなかった――









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