岬は相棒


「昨日のSTRオーディションの試験見た? 超やばかったでしょ!」

「私はリュージ推し!」

「えー、ダンス下手だよ。私は断然ツバサ推しよ!」

「確かにツバサ君はダンスも歌も超うまいもんね」

「前のINTオーディションでも最終まで残ったんでしょ?」

「うん、怪我で辞退しちゃったらしいけど――」



 不思議なものだ。

 自分の事を話されているのに、自分の事じゃないみたいだ。


 中学の頃のオーディションは足の怪我で辞退をした。

 あの時のグループ、INTは今でも第一線で活躍している。

 ダンスが好きなメンバーが多くてオーディションの最中は楽しかったな。


 INTオーディションの時は、妹と幼馴染だけに結果を伝えていた。

 幼馴染の関口はダンスに興味無くてあんまり聞いていなかった覚えがある。


 そもそも、俺は地味顔だ。

 オーディションの時だけは妹が気合を入れて化粧をしたり、スタイリストばりに洋服を選んでくれた。


 いま、この教室にいる翼と、STRオーディションを受けているツバサはまったくの別もの。

 バレたことは一度もない。


 多分、俺には生粋の陰キャのオーラを発しているんだろう。


 一人ぼっちの教室は世界が狭く感じられる。

 オーディションを受けてる時は、大人の世界を垣間見れて自分がいかに小さい存在だったのか思い知らされる。


「なんかさ、ツバサって似てない?」

「えー、無理あるっしょ!?」

「いやいや、案外キレイな顔してるし」

「でもダンスできなさそー」

「ていうか、あいつよく普通に学園来れるわよね。谷口さんの事傷つけたくせに」

「谷口さんもお高く止まってるからざまぁって感じよね」


 なんでこんな風に知らない人の悪口を言うんだろう?

 俺が仮初で付き合っていた谷口さんは本当に良い子であった。


 初めは冷たい女性だと思っていたけど、案外温かみがあって家庭的で弟思いで、少し天然の普通の女の子だ。顔が他人よりも少し良かっただけで差別される。


 そんな思い出もメッセージと一緒に全部消したけどさ。


 教室にいる谷口さんは比較的落ち着いていた。女友達たちと穏やかな表情で話している。

 好きな人とうまくいってほしい。




 そういえば関口の姿が見えない。

 昨日の対応は間違ってなかったはずだ。

 珍しく流されずに自分の意見をはっきりと言えた。


 流石に何も想っていない女の子と付き合う事なんて出来ない。

 彼女は俺に何度も告白すると言ってきたが、心に何も響かない。


 だって、人は嘘を付くって知っている。

 辛い事から逃げるって知ってる。



 教室の扉が開く音が聞こえた。

 足音が俺の方へ向かってくる。


 この教室で俺と関わる人はいないはずだ。


 顔を上げるとそこには関口がいた。

 その髪型に驚いた。いつも自慢していた長い髪がバッサリと切られていた。

 驚いただけでそれがどんな意味があるのか俺にはわからない。


「え?」「なんだ?」「関口さん?」「はっ? 俺の推しだぞ!?」


 関口は俺をまっすぐ見つめている。教室のざわめきを気にしていない。

 やめてほしい。ここは教室だからまた俺が悪者にされてしまう。


 昨日の件があったから、もう俺と関わらないと思っていた。嫌な汗が背中から流れる……。


「……べ、別にあんたと話しちゃいけないって法律はないわよ。ね、ねえ、ダンス続けてるんでしょ? これ見てよ」


 関口が俺に見せてきたのは、ダンス動画であった。

 そこには関口が家で踊っている姿が映し出されている。ロックダンスをもっと簡易的な振り付けにしている。あの先生に似てるな。


「ジミン先生の教室?」


「え、あ、うん……。ちゅ、中学の頃から通ってて……」


 別に関口が嫌いという感情を持っているわけじゃない。

 ただ、俺と関口の間に一切恋愛感情がないだけだ。

 関わる必要性がないと思っているだけ。

 話しかけられたら応える。それだけだ。


「うまく踊れているけど、身体の基礎が出来てないかな? もっと力強く制止できるとキレイに見えるよ」


 俺の言葉に驚いた表情をする関口。


「そ、そう? 難しいよね。じゃ、じゃあさ、こっちの動画はどう?」


「その動きは――」


 不思議な出来事だ。教室で俺に喋りかけてくる生徒はほとんどいなかった。

 付き合っているフリをしていた谷口さんでさえ、教室では俺と喋らなかった。


 関口だって中学の頃は、教室で俺と喋らなかった。

 冴えない男と喋りたくないと言われたものだ。


 ふと、胸の奥でしこりのようなものが生まれたような気がした。

 鉄の殻で覆われているように固く、割れるすべが見当たらない。

 そこにあるだけで違和感を覚える。


 俺は言葉が発せなくなった。

 関口の探るように喋る言葉に頷くだけ。


「……そ、そろそろ戻るね。……喋ってくれてありがとう」


「ん」


 関口は「一から、少しづつ……」と呟きながら俺から離れると、胸のしこりが消えてなくなったような気がした。……気の所為だろう。


 しかし、教室で話しかけられるのは面倒な事を引き起こす。あとで、連絡してやめてもらおう。話があるなら違う場所で聞くって。

 ……あっ、連絡先消したからわからない。


 俺は軽くため息を吐く。

 それで感情の波が全てリセットされる。うん、ただの関口の気まぐれだろう。昨日の事があったから話しかけただけだ。もう俺に話しかけてこないだろう。


 俺はその日は終日、机に突っ伏して過ごした。こうすれば誰も話しかけてこない。


 関口や谷口さんの気配がしたけど、俺は起きることはなかった。

 こうすれば胸のしこりは湧き上がってこない。

 そう思っていたけど、何故かじくじくと胸が痛いような気がする。


 だから、俺はダンスの振り付けをひたすら考えて、頭の中で踊っていた。





 **********





「お兄ちゃんはダサいの! 私にお任せなの!」


 今日の放課後は妹の岬とおでかけだ。

 最終オーディション用の洋服を買いに行く予定だ。


 新入生が緊張から開放された面持ちで校門を出ていく。

 俺と岬も校門を目指して歩く。




 岬は俺と同じ学園の一年生だ。

 頭が良い岬がこの学園に入るとは思わなかった。


『べ、別にお兄ちゃんと一緒の学園がいいから選んだわけじゃなからね! い、家が近いからなの!』


 照れながらそんな事を言っていた覚えがある。俺と岬はたった二人っきりの兄妹だ。


 岬は人目を気にせず俺と手を繋ぐ。俺もひと目なんて気にしない。大事な妹とのひと時なんだから。


「次の試験は今までみたいにグループじゃなくて、個人戦になるから気合いれるの! お兄ちゃん、みんなに合わせて本気出してないでしょ? オーディションは戦いなんだから手を抜かないの!」


 中学の時、俺がINTオーディション最終試験に出れなくて、岬はわんわん泣き叫んだ。

 悲しくて悔しくて感情がどうしようもなかったらしい。


 岬は俺を責めるのではなく、何故か自分を責めた。


『わ、わたしがちゃんとお兄ちゃんの人間関係を把握してなかったから……。わたしのせいだ……』


 岬は子供の頃からずっと俺と一緒に居てくれた。

 多分、俺も岬も少し変わっているんだろう。

 興味の無い事が覚えられなかったり、好きな事は何時間でも集中してできる。


 他人の言葉をオウム返ししたり、変な回答をして怒らせたり。

 自分ではわからないんだ。


 岬は俺に駄目な事は駄目を言ってくれる。

 俺も岬の悪いところは注意する。

 俺は岬がいなかったらどんな人間になっていただろうか?

 とんでもない間違えを犯して、心を閉ざしていたのかも知れない。


 岬がいたから今の俺がある。


「洋服買ったらアイスクリーム食べよう。岬、あそこのアイス好きだもんね」


「べ、別に……大好きなの! えへへ、お兄ちゃんも一緒に食べるのね」


 岬は俺の手をブンブンと振り回す。

 他人の目なんて気にしない。


「あの子でしょ? 首席入学の子って」

「試験満点だったらしいぞ」

「超カワイイよな」

「なんでもIQが馬鹿高いらしいぞ」

「でも性格悪いんでしょ」

「隣の上級生って超モブっぽくね」

「マジうけるわ」「手繋いでる」


 よく知らない生徒の言葉はただの騒音だ。

 俺も岬もそれを知っている。



「お兄ちゃん、アイスはダブルにするのね!」

「……その代わり洋服選びは程々にしような」

「それは難しいかなー」

「疲れるんだよ……」

「じゃあ今日は最速で決めてあげるのね! あっ、アリスちゃん?」


 岬の声と同時に、俺の腕に柔らかい感触が広がる。

 小さな女の子、龍宮寺アリスが俺に抱きついてきた。


「あれれ〜、あーしが入学したのに挨拶にこないんだ〜。相変わらず気が利かないっすね、せんぱーい」


「龍宮寺……、そっかお前も入学してたんだな」


 興味無いことを調べる必要はない。


「むぅ、まさか知らなかったっすか? これは罰ゲームっすよ、せんぱい……」


「アリスちゃんも一緒に買物行きたいの? 今日は駄目だよ。明日だったら大丈夫なの」


 アリスは俺の胸に顔を擦り付ける。まるで猫みたいだ。

 アリスは岬の唯一の友達。もしも知らない他人が俺にこんな事をしたら俺が全力で岬を止める必要がある……。


「ん、了解っす。今日は『駄目な日』なんだね。じゃあ、あーしは帰るっす! せんぱい、今度いちゃいちゃしましょうね!!」


「アリスちゃんっ! はしたない事したらだめなのね! またメスガキって言われちゃうの!」


「メ、メスガキって言わないでよ! もう」


 アリスは俺にあっかんべーをして、嵐のように去っていった。


 俺達兄妹にとって日常の光景。

 アリスはああ見えて感情というものが薄い。

 岬とは仲良く喋るけど、他の生徒と喋っている姿を見たことがない。


 アリスの俺へのスキンシップは、ただのコミュニケーションだ。お互い、そこに感情は一切排除している。


 その距離感が俺達兄妹にとって心地よかった……。



「お兄ちゃん、顔がデレてるよ」

「そんなことはない」

「お兄ちゃんはアリスちゃんには甘いんだから」

「お前にも甘いぞ」

「そんなのわかってるの!」


 俺には妹だけいればいい。

 そこに不埒な感情が挟み込む余地はない――

 




 アリスの背中を見送っていたら、視線が誰かとぶつかった。

 校門の前で原島美紀が俺を見つめていた。

 

 原島は顔面が蒼白になり、慌てて視線を逸らす。

 体調が悪いのか、今にも倒れそうな感じだ。


 だけど俺には関係ない。原島はリア充だ。友達も多い。

 だから俺は気にせず横を通り過ぎようとした。


 「み、みな、もと……」


 伸ばした原島の手は俺に届かない。

 なぜなら岬が前に出て、その手を強く振り払ったからだ。岬の表情には色がない。


 そういえば、声を聞いたのは一年半ぶりだ。こんなに弱々しい声だったっけ?

 俺が振り向くと、原島は顔を更に青くして……、吐き気をこらえるような仕草で逃げていった。




 その姿を見て、俺は、一切の感情を抱かなかった――


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