101回には届かない


 俺と谷口さんは仮初の恋人であった。

 そこに愛情が入り込む余地はない。

 本人にも何度も念を押した。


 情に絆されないでほしい、と。


 毎週一回、谷口さんと一緒に登校して一緒に帰る。月に一回は二人でお出かけをする。

 教室ではあまり喋らない。メッセージアプリは必要最低限の事しか打ち込まない。

 新学年にあがったら全て忘れて、メッセージ履歴も消去する。


 これが俺達の約束だった。


 谷口さんに本当に好きな人が出来たら、俺が告白除けの仮初の恋人であった事を相手に伝える。


 契約の更新はしない。俺にメリットが無いからだ。

 谷口さんはこの一年間、告白が激減して、ストレスフリーな学園生活を送れたはずだ。



 俺は学園の屋上テラスで一人缶コーヒーを飲んでいた。

 放課後のこの時間は屋上テラスは生徒が少ない。

 数組のグループが楽しそうに会話をしている。

 俺とは縁がない事だ。


 今回の件の悪かったところを思い返している。が、どこが悪かったかわからない。


 俺は完璧な彼氏を演じていたはずだ。谷口さんの好みを把握し、谷口さんが喜ぶであろう行動をしていた。

 それは二人の関係(偽物の恋人)が円滑に進むようにしていただけだ。


 円満に終わると思っていた。

 こんな陰キャな俺に執着しないと思っていた。

 俺の行動に恋愛感情はない、と説明もしていた。


 それなのに、俺は何かを間違えたらしい。


 それが何か全くわからない。

 なぜ俺と偽物の恋人を続けたいと思うんだろう? 約束を破る人はあまり好きになれない。


 俺は大きなため息を吐いた。


「はぁ……、気にしないでいいか。レッスン遅れないようにしないと」


 意識を趣味に切り替えて、俺は屋上から去ろうとした。

 その時、屋上の入り口に幼馴染であった関口カンナが立っていた。

 関口の足は少しだけ震えている。確か彼女は高いところが苦手なんだっけ?


 俺の子供の頃の初恋の関口。

 我儘で口が悪いけど、時折見せる笑顔がとても好きだった。

 彼女を見てももう何も感じない。


 ……いまの俺は陰キャなんだ。だから俯いて見なかったふりをすればいい。それだけでうまく行くんだ。


 下を向いて、入り口にいる関口の横を通る。


「ま、まって、よ」


 無音のイヤホンをしているから聞こえないふりをする。


「待ってよ、源!」


 後ろから関口に手を掴まれた――

 俺はその瞬間、中学の時の記憶を思い出してしまった。





 *********




 歌とダンスが好きなだけの普通の中学生。

 そんな俺は幼馴染である関口の事に淡い恋心を抱いていた。


 関口はつんつんしているけど、表情からにじみ出る感情からは愛情を感じていた。

 一緒に過ごした子供時代、その関係性のまま同じ中学へ入学する。


 関口は可愛かった。入学すると同時に色んな生徒から告白をされた。

 関口は全部断っていたけど、俺はヤキモキしていた覚えがある。


「あ、あんたみたいに冴えない男と一緒に居てあげてるのよ! アイスでもおごりなさいよ!」


 俺は関口の言う通り、冴えない普通の生徒であった。

 面白い話をできるわけでもなく、勉強が特別できるわけでもなく、歌とダンスだけが取り柄であった。

 クラスで俺の名前を知らない生徒がいるくらい、俺は目立たないモブ生徒。


 中学になり、見える世界が広がり、冴えない俺に強く当たるようになった関口。

 それでも俺は関口の事が好きだった。


「はっ? わ、わたしと付き合いたい? ……も、もちろ――、えっとちょっとまってね……」


 ある日、俺は勇気を振り絞って関口に告白をした。

 心臓がバクバクしていた覚えがある。

 関口は頬を染めて口をモゴモゴさせていた。あれは関口が上機嫌の証だ。

 きっと告白が成功すると思った。


「……やっぱ無理。冴えないあんたとは付き合えないわよ。ど、どうしても付き合いたいなら、あと百回告白しなさいよ!」


 俺は人の言うことを聞いてしまう流されやすい男だ。

 振られたショックもあるけど、百回告白したら付き合える、そんな希望にすがり付いた。




 その後、俺は関口に告白を続けた。


「はっ? 無理でしょ」

「ごめん、付き合えないわ」

「心が籠もってないわよ!」

「ていうか、あんたと私が釣り合うと思ってるの? もっとかっこよくなりなさいよ!」

「私よりも成績悪いでしょ? 今度のテストで私に負けたらもう告白しないで」

「運動会で一位とったら告白していいわよ」

「アイドルオーディション? あんたには無理でしょ?」

「……あ、つ、つ、付き合って……あげないわよ、バカ!」


「今日で百回だね……、う、う……、ま、まだ告白が足りないわよ!」


 関口が言った通りに俺は勉強もおしゃれも努力した。

 告白も一回一回真剣に想いを伝えた。

 なんだろう、告白をするたびに徐々に関口への愛情が擦り切れていくような気がした。


 ……百回告白しても断られた。


 俺はこの時、心が急速に萎んだ覚えがある。

 全て徒労に終わった瞬間だ。

 百回という言葉を信じて告白を続けて、まだ足りないと言われる。


 薄れていく関口への愛情がこの時、無になった。

 俺の関口の間に恋愛感情はない。


 俺の中で何かにヒビが入った音が聞こえた。

 もろくなったそれは、今にも崩れ落ちそうだ。



「あ、あんたなんで告白しないのよ……」

「もったいぶってるの?」

「ちょっと、あんた最近暗いわよ。……はっ? 喋らないでほしい……?」


 告白をしなくなって数日後、俺は何故かクラスメイトから責められていた。


「おい、源、なんで関口さんを泣かすんだよ」

「お前らカップルみたいなもんだろ? マジで喧嘩するなよ」

「てか、何度も告白するってどんなイチャラブだってのよ」

「源君、ちょっと心が狭くない? 女子は夢見たいんだよ」

「うんうん、付き合ってるなら、関口さんに謝ってきな」


 俺はこの時理解出来なかった。

 なぜ俺が責められるんだろう? なぜ俺が悪者になっているんだろう? なぜ俺と関口が付き合ってる事になっているんだろう?


 みんなに無理やり背中を押されながら俺は関口の前に立つ。


「あ、こ、ここだと恥ずかしいから屋上に行こ?」





 そして向かった屋上。

 いつまで経っても告白をしない俺を罵る関口。


「意味分かんないよ! なんで一緒に帰ってくれないの? なんでお出かけしてくれないの? なんで電話に出てくれないの? オーディション通ったんでしょ? なんで教えてくれないの? ……なんで……告白してくれないの……。あんたなんか嫌いよ!! 屋上から落ちて死んじゃえばいいのに!!」


 関口からの「嫌い」という言葉が、俺の中にある、愛情じゃない何かを完全に破壊した音が鳴った。



 それでも、俺は人の言うことを聞く男だ。

 この時の自分の精神状態は今でもわからない。


 俺は関口の言うとおりに、散歩をするような気軽さで、屋上の柵を飛び越え、躊躇なく屋上から飛び降りた――


「み、みなもとっ!!!!!!?」


 無意識に身体が動き、パイプや壁のくぼみを利用して地面に落ちた覚えがある。

 その時足を捻った。


 最終選考まで残ったアイドルオーディション番組のダンスバトルがあったんだ。この足ではもう無理だった。

 俺は足を引きずりながら帰った。


 家に帰ると、最終オーディションを楽しみにしていた妹に怒られたけど、俺は別にどうでも良かった。


 布団にくるまってひたすら寝たかった。全部夢の事だと思いたかった。




 ********




「あんた大丈夫? ま、また屋上から飛んだりしないよね? や、やめてよね……」


 我に返った俺は首をかしげる。


「あれは関口が飛べって言ったから」


「……ご、ごめん。じょ、冗談でもひどい言い方よね……」


 色々言いたい事はある。冗談でも死ねと言ってはいけない。

 俺は人の言葉を信じてしまう男だ。

 愛情がなくなったとしても、言葉を真に受けてしまう。


 それに、屋上から飛び降りたあと、俺はクラスメイトから責められた。

 関口を困らせるために俺が屋上から飛び降りた、と云われてしまった。

 ……当事者じゃない、誰かが俺の気持ちを代弁して話す。

 すごく不思議な現象だ。


「用がないなら俺は帰りたいんだが」


「あ、あのね、源に話したい事があるの……」


 いつしか屋上にいた生徒たちはいなくなっていた。

 ここには俺と関口しかいない。


 関口は髪を抑えて俯いている。

 緊張を抑えているみたいであった。


「谷口さんとは付き合ってないの?」


「その件に関しては谷口さんに聞いてくれ。俺は一人だ。今までもこれからも」


「……ん。そう。……あのね、わたしね……、ずっと考えたの。源の事を傷つけて、謝りたいし、私の気持ちを伝えたいの」


「どうぞ」


 関口が俺を見つめる。それは昔と同じような瞳の色をしていた。俺が好きだった関口。幼馴染で初恋の相手。

 だが、いまは恋愛感情は一切ない。


「私もずっと源の事……好きなの。……中学の頃は恥ずかしくてちゃんと返事できなくて、もう付き合ってるものだと思って……」


 関口は言葉を続ける。

 俺はその言葉を真剣に受け止める。それが礼儀だ。


「だから、私と付き合って下さい……。源、いままでごめんなさい」


 俺は周りを見渡した。

 関口の件ではなく、原島の嘘告白の件で、似たような状況に陥った事がある。

 あの時は、嘘告白だとわかっていたけど、空気というものを読んで流れに身を任せた。


 周りに人が居ない事を確認してから俺は答える。




「俺と関口との間には恋愛感情は存在しない――。ごめん、俺は好きでもない人と付き合えないよ」




 関口は俺の言葉を予想していたのか、口元をぐっと噛みしめる。

 自分の身体を抱きしめている。人の防衛本能だろう。


 俺はもう一度関口の横を通り過ぎようとした。



 関口の震える声が背中から浴びせられる。

 泣いていない。嗚咽を必死にこらえている。


「わ、わたし……、百回でも千回でも告白するから!! だからっ……だからっ……」


 俺はその言葉に答えず、屋上を出るのであった。

 関口との思い出はあの屋上で全部落っこちて消えてしまった。


 残ったのは足の怪我とオーディションの最終選考落ちという結果だけだ。


 俺は返事もせずその場を去るだけであった――

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