早退
今日はオーディション番組の撮影がある日だ。
テレビ局は平日なんて気にしない。
前もって先生には連絡しておいたから大丈夫だ。
幸い、この学園から特別スタジオまではそんなに距離が離れていない。
俺はリハーサルがあるから二時間目を終えたら早退する予定だ。
今夜は生放送だ。緊張なんて……、全くしない。
むしろ早く踊りたかった。
教室はいつもと変わらない。
俺もいつもどおり陰キャとしてこの教室に存在している。
谷口さんに「おはよう」と言われた。
俺は頷いて挨拶を返した。
関口には手を振られた。
俺は頷いて挨拶を返した。
原島と目があった。相変わらず痩せっぽちだけど、昨日よりは元気に見えた。
小さく会釈をし合った。
俺は昨日の自分の行動がよく分からない。
三人を視界に入れないようにする。
そうすれば胸のしこりが熱くならない。
妙に身体がそわそわして落ち着かない。
ふと、関口が踊っていた動画の事を思い出した。
俺は頭の中で、あの動きをトレースして踊る。
ダンスの事を考えると心が落ち着く。
このダンスを関口に見せてあげたいと思っていた。
俺は頭を振って、そんな風に思った事を忘れようとした。
「せんぱーい、あーしが迎えに来たっすよ。外に車停めてるから行くっす」
「お兄ちゃん!! 早く行こ!!」
もう二時間目が終わったのか。全然授業を聞いてなかった……。
教室は突然現れた下級生の存在にざわついている。
「おいおい、あれって源の妹? マジで可愛くね? ちょ、友達になって来いよ」
「はっ? あんな陰キャと話したくねえよ」
「というか、あいつ早退すんの? なんで?」
「ずるくね? 仮病だろ?」
「ヤバ……、超好みだわ。あいつら早退して何すんだ? マジずるくね?」
時折思うことがある。自分には甘く、他人に対して強固な正義感を抱く人間とは一体なんだろう?
俺は彼らたちを理解出来ない。
そもそも、俺の早退とクラスメイトは関係ない。
「岬、いつもの事だよ」
「……うん、お兄ちゃん行こ」
壁を蹴りつけようとする岬をやんわりと止める。
岬は案外暴力的だから抑えるのが大変だ。
岬は教室を冷たく見渡す。
「……アリスちゃんも行こ」
「あーしも賛成っす! 遅れちゃうから早く行くっす!」
俺はすでに意識を切り替える。
教室を出ようとしたその時――
「お、おい、源!! 陰キャが、谷口の事傷つけやがってなんなんだよお前は!? 俺の方がダンスうめえんだよ!! テレビ出て調子乗ってんじゃねえよ!」
小田原の声に俺は振り返った。
クラスメイトも小田原の突然の怒号に驚いていた。
あいつはなぜ激昂しているんだ? 俺と小田原に接点なんてないはずだ。なぜ俺がダンスをしている事を知っているんだ? クラスのみんなは俺がオーディションに出ているって知らないはずだ。
その椅子はなんだ? なぜ振りかぶっている? 虚勢はやめてくれ。変なプライドはやめてくれ。
小田原は椅子を抱えて、それを俺に向かって投げつけようとしていた――
「みなもとっ!!!! いやぁぁぁっ!!」
関口が小田原に体当たりをしている姿がスローモーションで見えた。
小田原は椅子を投げるフリをするだけで実際投げつけてこなかった――
体幹の良い関口の体当たりによって、吹き飛んでしまった小田原。
椅子は小田原の顔に落ちる。
関口に怪我がないか不安になった。
必死に足を動かして俺をかばおうとしている原島が俺の目の前で転倒した。
何故か嫌な気持ちになった。
原島よりも俺の近くにいた谷口さんが俺を抱きしめるみたいに手を大きく広げていた。間近にある顔は恐怖で引きつっていた。
そんな顔をしてほしくなかった。
全部が一瞬だった。
この一瞬を更に上回る刹那の時間で、俺は何故かみんなと過ごした思い出が蘇ってしまった。
なぜいまここで蘇ったかわからない。
時間が動き出す。
俺は谷口さんの肩をぽんと叩き、転倒した原島に近寄り、身体を支えて起こす。
倒れてしまった小田原を呆然と見つめる関口。
みんな怪我は無かった。ほっとしている自分に驚いた。
岬が冷たい声で俺に言う。
「お兄ちゃんは先に行って。私は事後処理をしておくの」
岬は懐からスタンガンを取り出したが、俺が首を振る。岬はため息を吐きながらスタンガンを再びしまった。
あとは岬に任せて教室を出ようとした。
ふと、入り口で立ち止まって振り返る。
誰言うともなく俺はつぶやく。
「……頑張るから……、観てほしい」
**********
車の中でアリスは頭を抱えていた。
「はぁ、頭痛いっすよ。椅子なんて投げようとするなんて意味分かんないっす。岬ちゃん、大丈夫っすかね……。殺してないか心配っす」
多分、今日の岬は大丈夫だ。
ちゃんとスタンガンをしまってくれた。
谷口さんも関口も原島も怪我をしていない。それだけで十分だ。
「せんぱいはもっと自分を大切にして下さいっす。変に拗れる原因になるなら、誰とも話さない方がマシっすよ。特に女子どもは面倒っす」
「そうだな、俺もそう思う。……だけどさ、俺……、アリスとは普通に話せるだろ? 友達だろ」
「ちょ!? デ、デレたっす! あーし超嬉しいっす!!」
「……なんで他の子たちとはうまく話せないんだ?」
「……マジモードっすね。……あー、せんぱい、そっちも悪くないっすね。本当にどうしたんすか? そんなに感情的なせんぱいは初めて見たっす」
感情的になっている? そんな事初めて言われた。
「わからない。ただ、色々思い出しただけだ」
アリスが訝しむような瞳で俺を見つめる。
「まあいいっす。せんぱいが魅力的になるなら全然オッケーっす。あの子らのおかげっすかね」
魅力的? こいつは何を言ってるんだ?
「俺はいつもどおりだ」
「ちっがーう!! 全然違うっす! そ、その勢いでアリスちゃん大好きって言ってみるっす!」
「嫌だ」
俺達を乗せたリムジンは程なくして特別スタジオに着くのであった。
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