神谷
神谷誠は恋人をつくらない。
頻繁に連絡を取り合う様な友人もいない。
それは彼自身がこの仕事を続ける以上、他人との距離は必要だと無意識に努めているからである。
その為か神谷誠は自分の笑った顔を忘れてしまっている。愛する誰かと笑顔で写真を撮ることも、友人との馬鹿話に笑い転げることも無いからである。
少し気の利いた能面を貼り付けた様な顔で何不自由なく日常を送っている。
冷めたホットドッグを片手に神谷は今朝のニュースを見ていた。どの放送局も昨日の事件の事で持ち切りだった。
東京湾を新たに埋め立て建設された
電波気象台で起きたウェザージャック事件。
東京都市部に突如巨大な積乱雲が発生し、
大陸からの寒冷前線にゆっくりと押し流される形で山手線内側の直径12キロに約16時間雪を降らせ続けた。
都市部が雪の絨毯というには分厚過ぎる積雪に見舞われた翌朝、範囲内だった鉄道や高速道路だけが機能停止を余儀なくされ、
道路渋滞や鉄道ダイヤには甚大な被害が出た。
しかし滑って転んだなどの軽傷者はいたものの、気象台の職員含めこの事件による死者は無く。犯人も未だ特定されていない事から、動機や目的も不明な環境型テロの犯行はネットワーク上で行われた愉快犯との見方が有力であった。
街のインタビューでは、犯人よりもむしろ
気候制御システムの脆弱性についての非難が強まっていた。
『これじゃ今日も国交省は大忙しだな。』
神谷は対岸の火事でも見る様に渋滞の映像を見ながらホットドッグをかじった。
コーヒーに口をつけようとした瞬間、
けたたましい音を立てて腕時計のアラームが鳴る。
神谷は残りを無理やり口へと押し込みながら
端末を操作し、ごくんと飲み込むのと同時に
服部の帰還座標の入力を済ませエンターキーを押した。
金属音と共に先程のドアが開き真っ白なモヤがかかった様な部屋の中からひょこっと服部が顔を出した。
ただいま神谷君。やっぱり君は優秀だなぁ。
毎回寸分の狂いもなく同じドア。恐れ入るよ。
僕には到底マネできないね。
だからですよ。自分が行きたくないのは。
服部さんに任せると、
このフロアの何処かに帰れればくらいの気持ちで
いい加減に打ち込みをするでしょう。
もし外にズレでもしたら、
帰ってきた瞬間に地上千メートルから自由落下ですよ?ここ何階か分かってます?
ははっ、良く分かってるよ。
君は僕のこと。
さすが誰よりも優秀な僕の相棒だ。
神谷誠は幼いころから優秀だった。
今までの人生で優秀でなかったことが無い。
頭脳明晰で運動神経も周りの子供達から頭一つ抜けていた。そのため、地元では神童と呼ばれ続け、陸上競技大会では全国大会2位になった事もある。士官学校を主席で卒業した彼は国公験でも当たり前のようにトップの成績だった。
『彼は本来なら官僚になるべき人材だった。』
彼を知る者は皆、口をそろえて言う。
家族は勿論、神谷自身もそう思っていたに違いない。
しかし神谷誠が22歳の冬、彼の元に届いたのは公安局への入局証だった。
冗談はいいですから、次のオトシモノの話は聞けたんですか?
ああ、バッチリだよ。
思い出というものらしい。
オモイデ?
我々で言うところの履歴のことだそうだ。
ただもっと感情的で良くも悪くも書き換えられる記録。
なんですかそれ?
神谷は眉をひそめた。
大体の座標点の予測は?
ついてるさ。
それより君は彼に会うつもりも無いのに、
いつも覆装帯をつけるね。
誰だって怖いものくらいありますよ。
神谷は鼻から上を覆っていた物を巻き取りながら言った。
もしも座標を打ち間違えれば目の前に彼が現れるかもしれない。彼の力は予知夢の域を超えてますから。
自分の力を過信しない所も恐れ入るよ。
彼の夢は形を変えて常に現実で起こりうる可能性がある。彼は未来を夢に見るんじゃない。彼の夢が未来になる。だから彼が特定の人物を夢で見ると、こうなっちゃったりするんだけどね。
そう言って服部は自分のワイシャツを捲り脇腹の傷を神谷に見せた。
ねじ切れた様な傷は渦上になっており、おびただしい縫合の跡が幾重にも折り重なっている。
そうなったんじゃなくて服部さんがそうしたんでしょう。彼の力を立証するためとはいえ、イカれてますよやっぱり。
そうでもしなければ上の決定を変えられなかったんだ。彼らは制御できない物はすぐに処分しようとするからね。名誉の負傷だよ。
服部はシャツをズボンに押し込みながら笑った。
でもそのせいで今では大の大人が毎日40人体制で彼の夢を監視する羽目になり、それ専門の部署まで出来た。
神谷くん、監視とは嫌な言い方をするね。
だってその通りでしょう。どれだけの税金があの部署に使われているか知ってますか?
そういう意見も分かる。
でもね、お金じゃないんだよ。
どんな世の中になったとしても、
子どもの夢を見守る事こそ僕ら大人の役目じゃないか。そうだろ?
服部さん、その冗談笑えませんよ。
神谷誠は少し笑いながらそう言った。
慟哭 宮内多聞 @genkaibooboo
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