気が付くと僕はセミの死骸を仲間達と運んでいた。夏だというのに暑さは感じなかった。


急に辺りが暗くなったので上を見上げると、

群がる僕たちを見つめている少女がいたんだ。

白いスカートにボーダーのポロシャツ。野球帽をかぶっていた。

少女は多分僕に話しかけている様子だった。


ね?私がどうしてあんな事をしたのか皆には理解できないのよ。つまらない自尊心や肥大した虚栄心の類ではないことだけは何となく分かってたみたいだけど。

この世界ではいつだって人や物の価値を相対的な評価によって決める。それが私の好みじゃないのよ。


少女の話し方はまるで大人びていて僕は違和感を感じた。



昔大好きだったお菓子もおもちゃも歳をとって経験を積んで、より多くの物を知るたびに少しずつ自分にとっての価値が無くなっていく。

もっと美味しいもの、もっと楽しい事。

知れば知るほど初めて食べたフレンチトーストの甘さや毎晩一緒にベッドに潜り込んだぬいぐるみの温もりを忘れていってしまう。


先生や大人達は言うのよ。色んなものを見て本当の価値の分かる人間になりましょうって。

でもそれで判るのは結局他と比べてどうかって事だけだわ。


本質的な価値はそういう風には決まらないわ。

その物の本当の価値は誰にも決められないのよ。決めていいはずがない。だから私は皆に教えてあげるの。

貴方たちが勝手に私の価値を決めて、最後には全て忘れて無かったことにするなら、

私も貴方たちから価値を取り上げて全部無かったことにするわ。


自分も他人も過去も未来も、

全部。無価値よ。私も、貴方もね。


そう言うと少女は立ち上がって僕のことを踏み潰した。

何度も何度も、、夢はそこで終わり。


正は万年筆をクルクルと指で回しながら窓に目をやった。

地上の建造物は辛うじて見えるが生き物の様子は一切見えない。ただ地球の丸みを感じられる地平線を見るのが正は好きだった。


どう?服部さん。何か思うことはある?


服部は正が器用に回すペンを見ながら答える。


その少女は怒っていた。君に、いやこの世界そのものに。


服部の答えを聞いて正の表情が少し曇った。

回していたペンを自分の目の前でゆらゆらと振るとしまいに机をコツン!と叩いた。



うーん。僕から見た彼女は怒っているというより、むしろ絶望して悲しんでいるように見えたけど。


そう言って正は鼻歌を歌いながらまた机に向かってしまった。



彼女の身に着けているものでそれらしい手がかりはなかったかい?


特に何も。


服部は眉間に皴を寄せながら固まってしまった。


正は笑いながら言った。


うそうそ、ポロシャツにさ、for get'sって書いてあったんだ。


服部は少し考えてから「何かのメッセージか。」と呟いた。


『forget』


得る為にって書いて忘れると読ませるなんて洒落が効いてる単語だよね。


今回のカギは『忘却』だね。


忘却?

服部が聞き返す。


今の僕たちは情報を記録しておける脳のキャパシティをネットワーク上でほぼ無限に持っている。

だから自分たちの意思で削除しない限り視覚情報や聴覚情報をすべて保存しておける。

それが当たり前だよね?

ただ2075年の第二次量子革命以前は自分の脳に電気信号として保存しておく以外なかったから、自分の意志とは関係なく情報が消えてしまっていたんだ。


それは知っているよ。履歴の消去や改竄が当たり前の世の中で不確かな情報を共有し、

人が人を裁いていたと。誰もが小学生で習うことだ。


多分その履歴っていうのが今回の落とし物なんだ。不確かであやふやで、誰と共有しているのかも正直定かではない。人の感情に色濃く影響を受け、時が経つにつれ自分の都合のいいように書き換えられてしまう情報。


そんなものは人の本当の履歴とは呼べないな。


そうだよ。だからこれは履歴とは呼ばない。


じゃあなんと?


服部は訝しげに正の顔を見た。


『思い出』っていうんだ。

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