第18話 幕間劇 謀略とスタンピード

 エミール・バーデンは、スタンピードを利用して、城塞都市領の領主イムレ・バーデンを謀殺した。城塞都市バーデンとアンハルト王国を守護するためだ。


 エミールは止むを得ず異母弟を排除した。彼が直接手を下したわけではない。廃地の黒地竜の小群が領主館を襲うように手配しただけだ。黒地竜が領主館に殺到するように事前に仕掛けを施していたのは、アントンとフリーダ、それに王都の冒険者組合長のデルミーラであった。

 エミールの目論見通りに上手くいくとは限らなかった。思い通りに魔物が動いてくれる保証など何処にもない。ただ謀殺の企てが失敗に終わったとしても証拠は何も残らない。ただスタンピードは放置してはならないものだ、という戒めだけが残っただろう。

 もし今回生き延びることになったとしても、スタンピードの発生を放置したことは言い逃れできよう筈もなく、イムレにはハインリッヒ・アンハルト国王から何らかの処罰が下されていたのは間違いない。不名誉なことだ。被害の大きさによっては国王から直接死を賜っていた。その場合、彼の子供たちは貴族社会から追放されたであろうことも容易に想像がつく。どちらにせよイムレは詰んでいた。彼は何もしなかったことで終わりを迎えたのだが、イムレが死ぬことで分家を含めたバーデン家一門の没落は回避された。

 領民を守るために率先して戦い、勇敢に立ち向かうも力およばず魔物によって斃された、というカバーストーリーが創作され、エミールたちの手によって、城塞都市の住民たちや兵士たちの間に広められた。人々は領主の死を悼むようになった。エミールからの手向けだったのかもしれない。

 イムレの貴族としての名誉は守られたのは事実だ。何もしない領主と揶揄されていたが、最後は貴族らしく民を守った立派な領主として、城塞都市バーデンの歴史に名が刻まれた。それにより彼の子供は高待遇が保証される筈だった。だがイムレの側室の子供たちは生き残っていない。スタンピードの渦中で行方不明として処理された。唯一の生き残りは、王都で文官をしている本妻の子供、イムレの長女だけであった。


 貴族であればこの程度の謀略など日常茶飯事であろう。だがエミールの気持ちは晴れない。可哀想なことをしたと後悔している。本来、イムレは領主を継承する立場ではなかった。エミールが先代の王命で側使いという名称の冒険者として徴用されたため、生まれたばかりのイムレがバーデン本家の嫡子となった。子供の頃から嫡子として相応しくあろうと努力を積み重ねていたのだが、バーデン本家にとって不幸なことに、イムレは全てにおいて凡庸であった。

 イムレは、この国の貴族としては平均以上の能力を備えていた。だが、この城塞都市バーデンの領主としては失格であった。大陸のミスリル鉱山の利権を一手に担っているのが城塞都市バーデンの領主一族である。能力に見合わない地位は人を狂わせる。中年に差し掛かる頃になると、頑迷さが増し、奢侈に耽ることが多くなった。日々の業務は家令に任せきりとなり、不正が徐々に横行するようになる。娶った側室の中には他国の間者も含まれていた。寝物語に甘い毒を吹き込まれると、人は安逸であることに一切の疑問を持たなくなる。城塞都市バーデンの緩やかな崩壊が始まっていった。


 他国の侵食の酷さを懸念した国王ハインリッヒから、エミールは、老境であるにも関わらず、領主となることを求められていた。とは言え、今まで特に目立った失策もない領主のイムレを恣意的にすげ替えると貴族たちに足元を救われかねない。絶対王政というわけでもないゆえに、国王は慣習や慣例を墨守しなければならなかった。

 そんな国王にとっては、城塞都市近郊のミスリル鉱山跡のスタンピードの予兆は、千載一遇の機会となった。

 多少の被害は目を瞑る方針で、辺境の城塞都市バーデンには、王命による防衛を発することなく、成り行きに任せることにした。もちろん被害を最小限にとどめるために、国王自らは演習と称して、バーデンに向けて事前に出征して、領境に塹壕を構築させて防衛線を固めた。

 スタンピード発生時には、デュルラッハ辺境伯やリンデンハイム子爵と共に、膨大な魔物の大群をバーデン領とリンデンハイム子爵領の領境で完全に補足して、撃滅することに成功していた。



 エミールの暗い表情から後悔の念を察したのか、アントンはエミールの気持ちが切り替わるように話題を振った。

 

の力は凄まじいですね」


 アントンは甚く感心している。彼は、この大陸で名を知らない者はいないほどの有力商人であり、大陸中の使徒や勇者の実力も動向も全て把握している。ヨウスケが今世代の勇者の中でも飛び抜けた存在で王国にとって最大の脅威になりかねないことを懼れている。


「ああ、恐ろしい。黒地竜の小群を瞬殺とか、伝説のアダマンタイト級だ」


 エミールも同感だと頷く。


 エミールもまた若い頃は冒険者として、即位前は放浪癖のあった現国王ハインリッヒと共に、数々の冒険譚を残した人物であった。当然、過去にさまざまな冒険者、騎士や武人と出会い、列挙するのも億劫になるほどの多種多様な武技や祝福を目の当たりにしてきた。その中にあってヨウスケは異常とも言えるほどに飛び抜けた力を持っていた。


 先ほどから無言のままのフリーダに視線を向け、本心から感謝の気持ちを素直に伝えた。


「全てフリーダのおかげだ。イムレに見つかる前にヨウスケを確保できたことは大きい。礼を言うぞ」


 もし領主がヨウスケを先に確保していたら、エミールの謀略は破綻していただろう。


冒険者組合長ババァに言われた通りにしただけさ」


 フリーダは無表情だ。


「ガーゴイルによる誘引もそうだが、ヨウスケの活躍で床弩バリスタがほぼ無傷で残せたことも大きい」


 エミールはそこで一度言葉を切った。


「だがあのままヨウスケと守備兵たちに暴れられていたら、黒地竜はあの場で全滅していただろう。クラーラのお陰で、東門から黒地竜を引き入れることができた」


「偶然じゃなく冒険者組合長ババァの仕込みだろうね」


 防衛の兵士たちを片端から気絶させるような回復術士を前線に配置する筈はない。冒険者組合支部としては本部近くの教会で待機するようにクラーラに命じていたのだ。支部の職員でもあるクラーラが自らの判断で持ち場を離れるようなことはない。


「やはりデルミーラ様は老獪にして怜悧。このアントンごときでは敵いませんぞ」


「亀の甲より年の劫としきりに感心していたと伝えておくよ」


 フリーダは目を細めて嬉しそうな笑みを浮かべた。アントンのことは、彼が生まれた頃から知っている。彼女にしてみれば、随分と生意気なことを言うようになった、と感じたのだろう。短命種である只人に強さと儚さを感じずにはいられない。


「おっと、失言でしたかな」


 アントンは可可と笑う。釣られるようにエミールも笑うが、空虚さは隠しきれない。乾いた荒野を転がり巡るタンブルウィードのようだ。フリーダには分かる。今は喪失感を埋める何かを求めているのだろう。彼女にとって、エミールもまた甘えん坊の小さな子供なのだから。


 フリーダに見つめられていることに気づいたエミールは、会話の流れに沿って不自然にならないよう、フリーダが求めているであろう言葉を口にするのだが、この場では蛇足だったかもしれない。


「クラーラにも報奨金を与えよう。とは言え、ヨウスケの強さを領都の兵達にもアピールできた。そう万事うまくいった」

 

 エミールは少しだけ領主の顔に戻った。


「ヨウスケは囲い込めない。ありゃ本物の本物だからな」


 エミールの気持ちに水を差すのは悪いと思いつつも、フリーダは万が一のことも考えて助言した。


「わかっている。だがあの義理堅い性格を大いに利用させてもらうぞ」


 エミールは当たり前のことを言われて、心外だと言わんばかりの表情で応えた。


「ほどほどにしておけ」


 フリーダはそこで言葉を切った。彼女は、王都で日々神々に祈りを捧げ、国家安寧に尽力している聖女様から直に告げられた事実——ヨウスケは調停者である——を伝えるべきか迷っていたのだが、結局、自分の中に留めることにした。その方が面白いことになるだろうと考えたのかもしれない。彼女も白金級(ガチ)冒険者で、長命種であることを考慮しても、人としての箍が外れてしまっていた。

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