第4話 行商人
僕はアントンさんから交渉を持ちかけられた。彼は僕が倒した大猪を言い値で買うと提案してきた。猪の相場価格など知らないので、只でもいいと返すと、アントンさんに説教された。辺境の流儀と言うか、商人との接し方の基本について、一通り諭された後、金貨250枚入りの袋を渡された。
アントンさんの気遣いも載った重さを感じる。実に重いぞ。念の為、多過ぎなのではと疑問を呈すると、一瞬、蹙め面を浮かべてから、彼は手付だと言った。そして、この何ともいえない臭気を放つ大猪について解説してくれた。
「黒紫の瘴気を纏う大猪からは必ず魔石が採れます。かなり大きい筈です。競売にかければ、金貨3000枚以上にはなるでしょう。今回はその3倍は期待してください」
——お人好しはどちらなんだろう?
「いいですか、ヨウスケ殿。あの大きさの大猪の毛皮だけでも金貨500枚で卸せます」
「好事家が敷物にでもするのか?」
「まさかッ。大猪の毛皮はどんな方法で加工しても臭います。その臭いの所為でダニが寄ってきます。敷物や皮衣にも不向きなのです」
「では誰が?」
「錬金術組合です。面白いことに虫除けや魔物避けの香に化けます」
なるほどなるほど。さすが異世界。期待に違わず錬金術が発達しているようだ。
僕とアントンさんは、大猪が解体される様子を眺めながら、大猪から採れる素材について話し合った。僕がこの異世界の常識を教わっているという方が正しいかもしれない。
アントンさんの使用人たちは、熟練の技で大猪から貴重な素材を手早く切り出しているが、大量の肉は廃棄するようだ。黒紫の瘴気を纏う猪の肉は、酷く不味いらしく、飢饉でも食べないとのことだ。
「ところで、アントンさんの商隊が急に目の前に現れたのはどんな仕掛けなんですか?」
僕は、瞬間移動や結界防御のような魔法的な何かではと予想しているが、光学迷彩——原理的には同じものかも知れないけど——というのでは味気がない。ここは、セクシーでもプリティでも、どちらでも良いのだが、魅力的な女術者の登場が期待されるところだ。荒涼とした風景にはそぐわ無いとは思うけど、異世界冒険譚に色気無しでは味気ない。美人魔法使いは
「隠蔽の魔術が封入された巻物を使って、あの大猪から商隊を隠していました。半日程の効果はありますので、やり過ごすつもりでした」
確かに魔術的な何かではあった。使い切りの巻物と言われて、それはそれで合理的ではあるなと感心した。だがテンションは降下気味だ。
「値は張りますが、万が一の手立てとして携えてます。魔物相手であれば有効です」
魔物には効果絶大で、野盗の類にはそれ程でも無いということなのだろうか?であれば、術者の方が良い選択肢となる場合もあるのだろう。結局のところ、コストとの相談になる。一長一短。その辺りは、長年の勘所で、商人の優劣は処変われどリスクを上手に限定できるか、否かできまるのだろう。
少し離れた複数の場所で、周囲を警戒する数名の武装した人たちがいる。護衛なのだろう。アントンさんの専属なのか尋ねたところ、目的地毎に適切な人員を冒険者組合から有期で雇い入れるそうだ。
今回アントンさんが雇った冒険者たちは、対人戦闘が主な役割であり、魔物は専門外であった。商隊遠征は長期間ということもあり、馴染みの冒険者たちで魔物狩も得意とする凄腕たちを雇い入れる予定だったのだが、その冒険者たちには先約があって、今回同行できなかったそうだ。
僕の視線を感じたのか、護衛の一人が足早に近づいてきた。隙を感じさせない。殺気などは漂わせていないが、素人目に見ても腕が立つことがわかる。
「アントンの旦那。ちょっといいか?」
フードを被り、顔の下をマスクのようなもので隠していたので、遠目にはわからなかったが、ご妙齢の女性のようである。日本人女性の平均と比較するとかなり背が高い方だろう。
「フリーダ。悪い癖ですよ。この方は私の大事なお客さま」
アントンさんも身長差のため少し上目遣いになりながら顰め面をフリーダに向ける。
「悪いな旦那。これも仕事なんだ」
フリーダと呼ばれた冒険者は、肩を竦め、目で笑いながら答える。
「今は、私の商隊の護衛のお仕事中では?」
アントンさんの語尾に僅かながら怒気が混じる。
「
アントンさんは渋面でどうぞといった仕草で許可を出した。
フリーダと呼ばれた冒険者はフードとマスクを外した。人好きのする笑顔を浮かべつつ話しかけてきた。とびきりの美人だ。しかも風よけの丈の長い濃い灰色の外套の下は、露出度の高い、真珠色のビキニアーマーに双剣を携えていた。異世界万歳。
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