第9話 幕間劇 創造神との邂逅

 僕は冒険者御用達の宿で夢を見ていた。この世界に転移させられる前の刹那とも那由多とも言える世界のはざまでの出来事。


 声が聞こえた。死んだと言われた。違う。言われたような気がした。僕の視界が広がり意識が戻った。


 目の前には豊かな桃花褐髪の少女が浮かんでいる。朱色の飾紐で組まれた髪飾り。紅花で淡く染めたような瞳。美少女の類なのだろう。痩せ気味で目つきが悪い。半眼で眠そうな表情を浮かべて、興味無さげに僕を見つめている。視線が交わるが何も起きない。


 暫し無言。


 僕は、声を出そうとしても声は出ないし、体を動かそうとも体は動かせない。明晰夢なのかと思うとそれは違うと言われた。声が聞こえたわけではないが、違うと言われたことは判る。


 ——何方様で?


『ア■■■ャ■ヤ■ー』


 目の前の少女は名乗った。刹那、雑音のような痛みのような光のような鋭い感覚が奔ると、少女の名前を掻き消した。何もない空間に沈黙が降り積もる。漆黒の闇の中に降り積る海の雪のようにしめやかに、僕と少女の間に沈黙が懸濁物となって漂い落ちる。何処かの誰かに都合の悪いことなのだろうと合点が行く。


 ——では女神様と呼ばせていただきますね。


 ファンタジーなろう好きな僕に隙はない。


 少女はひどく不機嫌そうな視線をあらぬ方向に投げかけると不敵な笑顔を浮かべ、再度、名乗ろうとする。


 ——いやいや。畏れ多い。女神様の真名を何度も拝聴するわけには参りません。何とぞご容赦ください。


 僕は、あの不快感を二度と味わいたくなかったので、慌てて少女を止めた。それに僕はこの少女を知っている。和洋折衷の衣装。胸元を華やぐ飾り紐。振袖の様なスリーブは二の腕あたりで太めの紐で止められていて、華奢な肩が露になっている。丈の短いスカートは太もも辺りでひらりと舞う様に淡い影を落とす。


『……』


 少女はむすっとする。感情が顔に出易いようだ。


 ——僕は死んだということですが、ここは?


 なるほど。世界の狭間ということだ。


『……』


 ——これからどうなるのですか?


 なるほどなるほど。少女が創造したで勇者となり、異世界の存立を脅かす輩と戦えと仰せか。なるほど——イヤイヤ、納得などできないでしょう。


『……』


 ——僕が勇者ですか?


 会話の度に違和感が積み上がる。不信感は拭えない。異世界に女神といえば、たわわがたわわでたわわしているぼん・きゅ・ぼんしている筈ではないのか——


 僕の視界が広がり意識が戻った。どうやら僕は間違いを犯したようだ。反省すべきは世界の理に文句を付けてしまったことであろう。目の前の女神様が至高であり、他の異世界の理テンプレなどに拘ってはならない。


 暫し無言。


 だがやはり納得できない。心のモヤモヤを晴らすことができない。語句たわわが禁忌なのは紫色の方タイラナムネゾクの方だっ——


 僕の視界が広がり意識が戻った。世界とは、否、世界の狭間とは、かくも厳しいものなのかと思い知る。デフォルメされて雑に書かれた戯画の様な表情を携えた女神様と視線が合う。


 暫し無言。


 魂がすりつぶされたような感覚が残っている。無表情な女神様と視線が合う。なるほど。この少女はやはり女神様なのだと改めて理解した。所詮ヒトのことなど象棋の駒程度なのだろう。身勝手な都合を一方的に押し付けてくるし、お気持ち次第ですり潰したりもする。


『……』


 ——あ、はい。他にも女神様が座すということですね。


 女神様は頷くと何とも言えない笑顔を浮かべた。嘲り笑うような、蔑み笑うような、揶揄い笑うような、呆れ笑うような、見た者の心が石化してしまいそうな意味ありげな笑みであった。

 異世界に行くことも勇者となることも確定事項だ。もはや何も言うまい思うまい。僕には拒否権などもなければ、お得感満載な景物チートなども与えられない。


 僕の周囲が淡い光に満ちて空間が揺らぎ始める。世界の狭間から旅立つ時が到来したのだ。であれば一言だけで良い。


 ——行ってきます。


『良き出会いがあらんことを』


 そこで目が覚めた。僕は女神様との最初の出会いを思い出した。世界の間で、耳にした女神様の声に聞き覚えがあった。だが何処で聞いたのか、誰だったのか、僕は思い出せなかった。

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