第2話 出会い
文字通り惨敗したOB訪問から数日後、星加先輩に散々言われた自己分析を進めるためカフェに来ていた。
家から自転車で数十分も離れた、森に面した小さめなカフェだ。気分転換に少し遠くが良かったのと、知り合いに見られたくなかったので遠めの場所を選んだ。誰かと一緒にできたらいいのだけど、ほとんどが大学院に進学するので同志は見つからなかった。
今日来たのは「リスのおうち」というファンシーな名前の洋風なカフェで、建物がロールケーキのような形をしている。見た目と名前がかわいい店舗で、もう少し立地が良ければ人気店になってそう。地元では割と有名。
カランと音を立てた鈴の音で俺を認め、筋肉質な店員さんが近づいて来る。
よく見ると胸元にはオシャレな木のプレートが付いていて、丸文字で「マスター」と書かれている。筋肉質な体となんだかちぐはぐだ。
店内は露天上の木造の平屋で、ほのかに木の香りがした。作業がしたかったらファミレス席が良かったけど、カウンターとソファ席しか無かったのでカウンターの1番奥に座った。
飲み物は甘くなければなんでもいい。カフェだしコーヒーあるよねと思い、「マスター」と書かれた名札を付けた人にコーヒーお願いしますとだけ伝えてパソコンを開いた。
とりあえず部活の先輩やネットで調べた自己分析のやり方や、項目を少しずつ埋めていく。
『あなたの得意な事はなんですか』
『強みはなんですか』
『誰かと協力した経験とその時のあなたについて』
など、考えても書けない項目ばっかりだ。
というか周りの人達はこれを埋められるくらい考えて生きていたんだろうか。少なくとも身近にいた友人達は違うと思っていた。何も考えずなんとなく生きてきた事を恨めしくすら思える。
劣等感を感じつつもちょっとずつ自己分析シートが埋まっていく。コーヒーの香りが心地よくて、いつもより集中できてる気がした。
コツコツと音を立ててコーヒーが運ばれてくる音で、初めて1時間程経ってた事を知った。
足音が真横で止まる。マスターかと思って足音のした方を見上げると、銀の髪が色白の肌に美しく映えた女性が立っていた。吸い込まれるような瞳に思わず見とれてしまう。
「コーヒーになります。」
店員さんは見つめられているのも気にせず、コーヒーカップをパソコンの横に置いた。
朝日を反射して輝く髪がサラサラと流れる。
「あ?あ、ありがと……ございます。」
上擦った声に驚いたのか、きょとんとした目で見つめられてしまった。見つめて貰えるなら緊張するのも悪くない。
「はい。ごゆっくりどうぞ。」
少し和らいだ目もとが可愛かった。コーヒーを置く時に垂れた髪を耳に掛ける仕草も、歩く姿も、どうしても目を離せなかった。慣れない就活で疲れたのか、うまく思考が纏まらない。
「あ、はい……」
店員さんがキッチンに入り、見えなくなってようやく、微かに返事が口から零れた。
その後はコーヒーの味も分からなければ、自己分析も進まなかった。その店員さんが出てくれば、目の端で追っていた。コーヒーを淹れるのに1時間もかかったのか、あるいは集中してたから邪魔せずにいてくれたのか。どちらにせよ、良いお店だ。
もう就職活動や自己分析どころではなかった。
サイフォンを操る指先に見とれ、食器を磨く表情に見惚れた。
店長と会話する表情に引き込まれ、時折髪を耳にかける動作に劣情を抱いた。
こうして僕は、たった一日で名前も知らない店員さんに恋をした。
人生で初めて誰かを好きになった日だった。
12時を過ぎた頃、他の客が増えてきて騒がしくなり、店員さんがキッチンきこもってしまったので帰ることにした。
コーヒー1杯で680円。あの店員さんを見るためなら安いと思えた。
「美味しかったです、また来ます。」
とレシートを受け取る時に伝えると、マスターは嬉しそうだった。お腹は減ってるけど、心はいっぱいで何だか不思議な感じがした。
その日、自身のバイト中もその子の事が頭から離れなかった。小学生に算数を教えていても、高校生の英検面接の対策をしていても、四六時中きれいな店員さんの事が頭から離れなかった。上の空というやつだ。夜、寝付くのに少し時間がかかった。
翌日は朝からオンラインで講義だったが、顔を出す必要も無く、発言も必要ない授業だったので、また「リスのおうち」に足を運んだ。開店直後なので、まだ店内にはマスターだけだった。
「いらっしゃいませ、昨日と同じ席で?」
「あ、はい。お願いします。」
もう顔覚えられてたのか、と驚きながら昨日と同じカウンターの一番奥に案内される。
「お兄さんは大学生?」
席に着いてパソコンを付けると、マスターに話しかけられた。
「そうです、すぐそこの大学です。」
「なるほど、どうりで頭良さそうな雰囲気なんですね。」
「いや、そんな良くないと思いますけど……」
大学の名前を出すとこういう風に言われる事が多い。就活で難関私立や国立にはコケにされ、旧帝大にも押し負ける、普通の地方国立だ。
「今日もブラックコーヒーかい?」
「お願いします。あと、ここで授業聞いててもいいですか?」
チラッとワイヤレスイヤホンを見せる。
「全然構わないよ、そこの電源使って大丈夫だから、ゆっくりしていってね。」
「ありがとうございます」
お言葉に甘えてバッグから電源コードを引っ張り出して繋ぐ。前回は気づかなかったが、店内には耳をすませば聞こえるくらいの控えめな音量でジャズが流れていた。なんだかこれを塞ぐのは勿体ない気がして、イヤホンは壁際の右耳にだけ付けた。
カウンターの目の前でマスターがコーヒーを入れ始めると、心地いい香りが店に広がる。
ふと時計を見ると、授業開始時刻をちょうどまわった所だった。
慌てて授業に繋ぐと、まだ先生が来て無いようだった。真っ黒な画面に可もなく不可も無いような顔が映っている。
特にすることもないので店内を見渡すと、木の梁の上にリスのぬいぐるみが置かれていたり、食器棚の装飾が森になっていたり、細かいところに「リスのおうち」のコンセプトが顔を出していた。よく見るとマスターのエプロンにもリスを型どった金色のピンが着いていた。控えめでかわいい。
『それでは、講義を初めます。今回は人形工学応用の第3回ということで、思考伝達速度の向上について……』
もう少し店を観察していたかったが講義が始まってしまったので、仕方なく画面に目を向ける。他の学類にも人気なイケメン教授が画面いっぱいに映っていた。
『ヒトと機械の違いを出来るだけ無くす為に、目の前の現象を正確に理解し、感情を持たせ、身体もしくは思考に影響を与える速度を早める必要がありますね。つまり情報伝達の処理を出来る限り早くする必要があるという事です。そこで今回はその具体的な手法の理解と、実際使われているプロセスについて解説していきます。では……』
慌ててタブレットに講義ノートを取る。この先生は頭が良すぎて話すのが速い。録画も出来ないからメモを取らないと全く覚えられない。二週間前の画像・映像認識の回なんて配布資料も無かったので腱鞘炎になりそうだった。おかげで集中せざるを得ないが、テストと実験が怖すぎる。
必死にノートを取っているとカウンターの向こうからマスターが無言でコーヒーを出してくれた。ありがとうございます、と言おうとしたら講義のほうを頑張って、とジェスチャーで言われた。後でちゃんとお礼を言わなければ。
80分間の流れるような講義がら終わり、ようやく休憩時間に入った。脳と手がパンク寸前だ。これでまだ半分なのだから嫌すぎる。
そもそも『人形』と呼ばれるアンドロイドと深く接した事も無いから〈ヒトとの違い〉を実感した経験も無い。入学してから受けてきた機械人形に関する講義の内容も、ただの知識で生活に活かせた経験も無い。
身近にいたら良いな、なんて思っていた時期もあったが、定期的に記憶を整理してしまう、人間の代わりなんてさみしすぎると思う。少なくとも小学生の時からぬいぐるみやらかわいいものを大事にしてきた自分には合わないだろう。普通に泣く自信がある。
猫舌な自分にとって、飲み頃になったコーヒーをすすると、柔らかい味が体いっぱいに染み渡った。美味しい。昨日は飲み物ならなんでも良かったが、なぜかこのコーヒーも好きになってしまった。
「お兄さんは機械人形について勉強してるのかい?」
目を閉じてコーヒーを味わっていると、カップを拭きながらマスターが話しかけてくれた。
「そうです、機械人形工学と法学を少し。もしかしてペンの音、うるさかったですか?」
「いやいや、ノートがチラッと見えてね。あまりに真剣に授業受けてるもんだから気になっちゃったよ。」
どんな顔して講義受けてるとか気にしたことないせいで、見られていたと思うと小っ恥ずかしい。
「身近に機械人形が居た事無いので、全然想像出来ないんですけどね。」
どこにいても見かけるようになった今、こんな人は珍しいだろう。しかも機械人形について学んでいる人間で、なんてもっと珍しい。大体みんな機械人形と多少なりかかわりがあるもんだ。推薦入学してきた同級生なんて親はずっと家にいなくて、機械人形に育てられました、なんて人までいる。
「うちでも1人、働いてるよ。よかったら今度話してみるかい?」
「え、そうなんですか?良ければお願いしたいです!」
食い気味に返事をしてしまい、マスターに少し苦笑いされてしまった。
「大丈夫だと思うよ、優しい子だから。今日は来ないから今度来た時伝えとくよ。」
まさかこんな所で機械人形と話す機会を貰えるとは。昨日の可愛い人に感謝しないと。
マスターが棚にカップを戻している間にちょうど授業が再開してしまった。昨日の店員さんの事を聞きたかったが仕方ない。後半戦の始まりだ。
今日は昼前に混み始めて帰ってしまったので、昨日の店員さんと会うことが出来なかった。
マスターにはまた来ます、と言って店を出る。ほぼ半日貸し切り状態なのが居心地良くて気に入ってしまった。この時間に来るのが良いかもしれない。
もちろん、あの店員さんに会えれば激混みカフェでもなんの問題も無いと思ってしまうのだが。今度来た時にはまた会いたいと思う。
外は少し暖かくて、もう外着は要らないような気がした。
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