第48話 最高の2人でござる

 目的のパン屋は簡素な住宅街の一角にあった。遠くの空には都会の建物が見える。耳を澄ませば、すぐ横を走る電車の音が聞こえてくる。

 胸が躍るようで、それでもって妙な緊張感で体が硬かった。

「ここか……」

 店の名前は、あの時と全く同じだ。

 俺は外から店の中を覗いた。様々なパンがショーケースに綺麗に並べられている。お昼過ぎの時間帯とあってか、お客さんの姿はなかった。が、そこには一人の店員さんらしき女性があった。店の奥で後ろを向いて、黙々と作業をしている様子だった。

 後ろ姿を見て、それが彼女であることは一瞬でわかった。

「ヤス、行ってこい」

 マサは俺にそう言った。タケも笑顔で頷くだけだった。ここまで来ておいて戸惑いを隠せない俺に痺れを切らしたのだろう。

「あ、ああ。わかってるよ」

 俺はそう口にしながら、ドアノブに手をかけた。恐る恐るドアを押した。カランカランと、透き通るような音が鳴った。

「いらっしゃいませー!」

 奥にいた女性が、俺が入ってきたことに気づいて、焦った様子でこっちを振り返った。それは、長い間待ちに待った、俺たち二人の再会の瞬間だった。

「綾さん……」

「え?ヤスくん?」

 思わず笑顔が溢れた。綾さんは変わらず綺麗だった。

 彼女は俺の元へ駆け寄ってきた。そして勢いよく俺の胸に飛び込んできた。俺は彼女をしっかりと受け止めて、優しく抱きしめた。

「色々言いたいことがあって、何から喋ったらいいのかわかんないけど……。とりあえず、ありがとう」

 これは俺の正直な気持ちだ。今は彼女と再会できてとても嬉しい。だが俺の抱えている感情はきっとそれだけではなかった。もっと複雑で、入り組んでいて、きっとそう簡単に言葉では表せないはずだ。

「うん」

 彼女は俺の腕の中で小さく頷いた。俺は彼女の頭をそっと撫でた。

 まだ俺たちは数多くの言葉を交わしてはいない。だがきっともう分かり合えているはずだ。俺たちが戦国時代で死んでしまったあの後、お互いこの時代でどんな経験をしてどんな風に生きてきたのか。全てを語らなくても、こうして抱き合えば分かり合えた。

 いつしか時間を忘れてしまった俺らは、そうやって何もせずに無駄な時間を過ごした。もしかしたらそれはたったの2、3分だったのかもしれないが、俺にはもっと長く感じた。

「あ、そういえば!」

 彼女はエプロンの中から、突然ネックレスを取り出した。それには見覚えがあった。かなり驚いた。

「それ、まだ持ってくれてたんだ」

 そのネックレスは、俺が彼女に渡したものだった。あの時、俺が最後に彼女と話した時だった。俺はそれを見てまた少し笑顔になった。あの頃が懐かしかった。

「また会えるなんて、思ってもいなかった」

 彼女は少し涙目になっていた。それでも彼女に笑顔は絶えなかった。俺はうんうんと黙って頷いた。

「あの約束、覚えてる?」

「うん、もちろん」

 それはもう、遠い昔の話だ。彼女と会わなければ、一生掘り返さなかったであろう記憶だった。だけど、この二人にとっては絶対に忘れ難い約束だ。何年も、いや何十年、あの時代から数えれば何百年も待たせてしまった。そう思うと、今の俺たちが運命的であることがはっきりとわかった気がした。なんだか馬鹿馬鹿しいような、微笑ましいような感覚だった。

 俺はそのネックレスを受け取って、彼女の首元につけてあげた。

「なんかごめん。まさかこうなるとも思ってなかったから、何も用意できてなくて……」

 指輪と比べてしまうと、俺のお気に入りのネックレスなんて大した価値もない。それは俺も理解しているし、本当はもっと豪華なものをあげたかった。問題が彼女がそれで良いと言ってくれるかどうかであった。

「えー。一生に一度のプロポーズなんだから、もっと派手なのが良かったな〜」

 俺の心配をよそに、それが冗談なのはすぐに分かった。でもそう言われると意外と困ってしまう俺であった。

「ふふっ。困ってる」

 彼女は絶えきれず笑い出した。長い間会わないうちに随分とずる賢くなったものだ。だがそれもまた可愛らしくて仕方がない。

「ほら、早く」

 彼女は俺をせかした。目はいつも以上にキラキラしている。さっきのは冗談だと、はっきりと口にして欲しいものだ。だが乙女心はそうはいかない。

「ああ、わかったわかった」

 そう言って俺は喉の調子を確かめた。うん、悪くない。

 彼女は大きく胸を張って次の瞬間を待っている。俺の次の言葉を胸を躍らせて待っている、はずだ。いやきっとそうだろう。そうでなきゃそんな満面の笑みを浮かべて目の前に立っているはずがない。

「綾さん、俺と結婚してください」

 満を辞して放ったその言葉は、小さな店内に何度かこだました。緊張のあまり頭を白くしてしまった俺は、自分の状況があまり理解できなかった。それでもきっと大丈夫と信じて、俺は彼女の返事を待った。

 これこそ、俺が再び歴史を変える瞬間なのかもしれない。



 完

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