第47話 残した功績でござる

「堺の崩壊前後の歴史を紐解く上で大事な人物がいます」

 職員さんは堺の歴史のついて、ゆっくりと話し始めた。俺は唾を飲み込んだ。

「安田健太です。ご存知ですか?」

「は、はい」

 思わず肯定してしまった。驚いた。その職員さんは俺の名前を知っていた。その時、俺は初めて自分が歴史に名を残していることを知った。

 俺はマサとタケを見た。彼らはその事実をすでに知っていたかのように、小さく頷いた。

「ただ、安田健太についての資料はほとんど残っておりません。恐らく火事のせいでしょう」

「あぁ、そうなんですか」

 実は俺が安田健太なんです、と言い出すわけにはいけない。そう打ち明けてしまえば楽になれるかもしれないのだが、面倒なことになるのは目に見えていた。

「あったかなぁ……?」

 職員さんは俺たちを置いて、資料室に入っていった。そして5分後、小走りで帰ってきた。手にはたくさんの資料を抱えていた。

「これかな?」

 机の上に並べた大量の資料を、一つずつ確認していく。安田健太について貴重な記録が残っていると職員さんは言った。俺は胸を弾ませつつも、嫌な緊張感に襲われた。

「あった。これです!」

 興奮しきった様子の職員さんは、俺の前に一つの書類を置いた。それは当時の会合衆の会議の議事録だった。内容はわからないがこれが議事録だと言うことは、俺も覚えている。

「なんて書いてあるんですか?」

 俺は尋ねた。

「織田信長の堺侵攻の対応策を練っている場面だと推測されます」

「あ、はあ、なるほど」

 ちょうどあの時のことだ。ぼんやりと記憶を探る。

「この会議で安田健太は出来るだけ戦闘を避けるようにと発言しています。だから絶対に援軍を呼ぶな、と」

 大体のことは間違っていない気がする。当時の会話を一言一句思い出せるわけではないが、そんなことを言った気もしなくはない。

「結果的にはそれが裏目に出て、堺は織田信長に攻め滅ぼされることになったのです。安田は堺の繁栄を支えた一方で、崩壊の一因ともなりました」

「そうですか……」

 職員さんのその言葉は、俺の心の傷を深くえぐった。淡々と述べられたその事実に俺は苦しめられた。今だけは封印していた、あの罪の意識に再度火をつけた。

 やっぱりか。やっぱり俺のせいだったんだ。自分を責め立てる気持ちが渦を巻く。治っていた傷穴をさらに広げていく。

 今日ここに来た目的を見失いそうだった。過去に囚われる自分を変えたかったはずだった。しかし今の俺にそんな余裕はないように感じた。また罪の意識を被って過ごす毎日なのか、そう思うと憂鬱だった。

「安田のことを悪く言う専門家もいます」

俺は下を向いた。ただただ苦しかった。名もなき痛みにひたすら胸をえぐられた。

「しかし、私は思うのです。安田の残した功績は非常に大きく、後世に語り継がれるべきものなのです」

 職員さんはそう口にした。俺は一瞬、彼の顔を見上げた。

「民主主義の精神を世界で初めて唱えたのは安田です。かの有名なニーチェでもカントでも、ソクラテスでもありません。世界の誰よりも平和を願い、それに尽力してきた。その功績は輝かしいと言わずになんと言えばいいのでしょうか」

「……」

「選挙制度を初めて導入したのも安田です。武士や商人が力を持っていた時代にも関わらず、堺の住人全ての人の意見を聞くために公平な選挙を行ったと言われています。安田の選挙方式は今も世界中で行われる選挙の基礎を成しています」

「……」

 気づかぬ内に、俺は彼の言葉に聞き入ってしまっていた。彼の力強い言葉に胸を打たれた。いつの間にか胸の痛みを忘れていた。俺はただ呆然と彼を見つめていた。頭の中はひたすらに真っ白だった。

「安田のおかげで世界は変わりました。安田がいなければ、きっと今のような平和は訪れることはなかったでしょう。争うことに終止符を打った安田は、堺だけでなく世界の功労者なのです」

 俺の頬を一粒の涙が伝っていく。俺は下唇を噛み締めた。そして味のない何かを必死に飲み込んだ。

「堺は信長の攻撃を受け、残念ながらそこで安田は亡くなりました。しかし、彼の精神や志は途切れませんでした」

 職員さんは、一枚の写真を俺に手渡した。それは何かの場面を写した水墨画のようだが、見覚えはない。

「堺の市民の大半は、織田信長の攻撃で安田と共に命を落としました。しかし、安田の意志を引き継ぐ者が、残った堺の人々を、戦火を免れていた大仙古墳に避難させたのです」

「安田の意志を継ぐ者?」

「ええ。のちに大阪城を完成させる、羽柴秀吉です」

「!?」

 秀吉さん……。俺はその名を聞いて、驚きを抑えることは出来なかった。彼は織田信長の侵攻を生き延び、大衆を安全な場所へと避難させていたというのか。

 込み上げてくる思いを抑えるのに必死だった。それを職員さんに悟られないように、俺は再度呼吸を整える。

「秀吉は、僅かに生き延びた堺の民とともに、堺を復興させました。安田の意志を引き継いだ彼は、民主主義を理念に町を巨大化させ、地道に勢力伸ばし、最終的には全国統一を果たしました」

 まずは感謝の意を秀吉さんに伝えたい。彼は生き延びただけではなく、俺の死後も俺の夢を叶えようとしてくれていたのだ。なんと偉大な人物であろうか。

 彼の優しくて逞しい顔が脳裏に浮かんだ。彼は俺の頭の中でも、優しく俺に微笑んでくれた。

「しかし秀吉の死後、民主主義政治は終わりを告げます。徳川家康が大坂冬の陣・夏の陣にて民主主義勢力を破り、政治拠点となっていた大阪城は破壊されました」

 秀吉さんが亡くなって、民主主義はその強大な指導者を失い、武力に敗れた。結局、俺が変えることができた歴史はほんの数十年の間だけだった。江戸時代の到来は、史実通りだった。

「これが、堺の歴史です。堺はほんの一瞬ながら、世界で最も近代的な政治を行う都市だったのです」

 職員さんは俺を見た。俺は思わず目を背けてしまった。

「だから、あなたはあなたを責めなくてもいいのです」

 職員さんは俺にハンカチを渡してくれた。俺はありがたくそれを受け取って、溢れ出る涙を拭き取った。自分の手が小刻みに震えているのがわかった。静寂に包まれる室内で、俺は一人涙をすすった。

「あなたですよね?かの安田健太は」

 職員さんは俺にそう尋ねた。タケやマサは声を出して驚いたが、俺は決してそんなこともなく、正直にうなずいた。バレているのならもう今更否定する理由もなかった。

「……」

 俺の口からは言葉が出なかった。感謝の意を伝えようとしたが、上手く口に出せなかった。

 そんなどうしようもない俺を見て、職員さんは優しい笑みを見せた。

「あなたのおかげです。あなたがいたおかげで救われた民衆は数知れません。あなたのおかげで、今私たちは平和に暮らすことができているのです。全てあなたのおかげなのです」

 職員さんの言葉に嘘はない。その笑顔に一切の陰りもない。俺は嬉しくて嬉しくて、ただ嗚咽を繰り返すことしかできなかった。自分を責める必要性など、もうどこにもないのだ

 俺は歴史を変えた。たしかに、堺の民をたくさん犠牲にしてしまった。だが、きっと俺の思いや行動は無駄ではなかった。歴史の中では僅かな時間だったかもしれないが、それでも俺と秀吉さんは平和な日本を作り上げたのだ。

「あ、ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」

 俺は感謝の言葉を並べた。職員さんは満更でもない顔でお辞儀をした。静かだった研究室内に、僅かに笑いが起きる。俺たちの話を周りの職員さんも聞いていたのだろう。

「なぜ彼が安田健太だとわかったんですか?普通、タイムスリップなんてあり得ないことですよ」

 タケは驚きながら職員さんにそう聞いた。

「先日、ある女性がこちらにいらっしゃいまして」

「は、はい」

「安田健太が堺市博物館にいずれ来ると思います。だからその時は、ぜひ優しく迎え入れてあげてほしいと、お願いをしにいらっしゃったのです」

 俺の頭の中に、一人の候補の女性がよぎった。絶対にあの人しかいない。

「安田健太は責任感が強い人だから、今も堺の侵攻は自分のせいだと、罪悪感に揉まれて生きている筈だ。だから元気にしてあげてください、と言っておられました」

 信じられない、とでも言うのか。いや違う。俺のことを心配してくれる人なんて、きっとあの人なんだろう。

「最初は私も疑わずにはいられませんでした。タイムスリップなんてあり得ないと思っていました。でも実際あなたと会って気付きました。安田健太はあなたで間違いないと」

 職員の方はそんな話をすると、ただ笑顔でうなずいた。この人に出会えて良かったと思うと同時に、タケやマサが俺をここに連れてきたのもまた奇跡だ。そしてそれだけではない。全ては彼女から始まった。彼女の優しい気遣いがなければ、俺は俺ではいられなかった。

「安田さん、行かなきゃいけない場所があるのでは?」

 職員さんはポケットから紙切れを取り出した。そこにはあるパン屋の名前と、その住所が記されていた。俺にはそれが輝いて見えた。それがただの錯覚だとは思えなかった。

 俺はその紙切れを受け取った。

「タケ!今すぐ調べろ!」

「任せろヤス」

 携帯に住所を打ち込んで、そのパン屋の場所を調べる。地図上に赤いピンが刺した場所は、この博物館から少し離れたところだった。歩いてすぐ近くだ。

「今日は本当にありがとうございました。この博物館に来てホントに良かったです」

俺 は深々と頭を下げた。地面に頭がつくほどに下げた。

「こちらこそ、偉大な人に出会えて光栄です。またお越しください。今度はあなたのお話をお聞かせください」

「もちろんです!」

 俺は柄にもなく大きな声を出した。それほどテンションが上がっていたのかもしれない。これほどハイになるのはいつ以来だろうか。少なくともこの時代に戻ってこれからは初めてだ。

「さ、行くか。彼女のところへ」

 タケは落ち着いたトーンで俺にそう言うが、中に潜むワクワク感が隠しきれていなかった。

「おう!」

 俺たちは大急ぎで堺市博物館を後にした。急がなきゃいけない理由はない。ただ急がなければ駄目な気がした。誰かに置いていかれるような気がした。もう2度とあの気持ちを味わいたくはなかった。

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