第42話 全面戦争でござる

 秀吉さんは黙々と刀を研いでいた。

「堺はすごい街だな」

 と突然タケが呟く。

「どういうこと?」

「いい武器や鎧が多い。さすが職人の街ってだけあるな」

 彼はそう言いながら俺に刀を見せてくる。それの良し悪しは俺が見たところでさっぱりわからないのだが。

「ヤスはこれを使え。刀の使い方は分かってるよな?」

 俺はタケから刀を手渡された。想像よりもずっしりと重い。とても振り回すものとは思えない。

 俺はゆっくりと、慎重に鞘から刀を抜いた。姿を現した刀の刃の部分はキラキラと輝いている。思わず目を奪われた。残酷なほど美しい。

「剣道は学校の授業でやった。あんな感じでいいのか?」

「刀は意外と脆い。だから突きは絶対駄目だ。相手の体をなぞるように斬るんだ」

 タケは実際に刀を振って見せてくれた。ブン、と空気を引き裂く音が聞こえた。

 一瞬、めまいがした。今までこんなことからは目を遠ざけてきたから当然だ。

「さ、ヤスもやってみろ」

 俺は刀を両手で握った。運動不足の俺にはこの状態で持っているだけも相当キツい。刀の先っぽに重りが付いているようだ。もしくは人を殺す罪の重さなのかもしれない。

「えいっ!」

 俺は情けない声上げながら、刀を振った。

「おお。なかなかいいんじゃねーか?」

 ヤスは満足そうに腕を組んだ。正直、あまり褒められても嬉しいことではない。交錯した複雑な気分を持て余す。

「その調子で頑張れ。やられる前にやるんだぞ?」

 タケは笑う。不気味な笑顔だ。だが死にたくなければそうするしかないのだろう。俺はタケの言葉を飲み込まなくてはいけない。

「じゃあ次は鎧と兜だ。早くつけろ」

 俺がモタモタしている間に、2人は既に用意を済ませて準備運動を始めていた。俺は初めての鎧と兜を身につけるのにかなり苦労した。

「うっわ、重すぎ……」

 鎧を着ていたら歩くのも辛い。兜をつけるのは直前になってからにしよう。グキっと首が折れては話にならない。

「じゃあ改めて作戦を説明する」

 タケは椅子に腰を下ろした。椅子がメキッと音を立てる。

「標的は織田信長。ただ1人だ」

「ああ」

「俺が織田を裏切ったことは向こうに伝わっていない。だから本陣に自然に潜り込めるはずだ」

 これが作戦なのか、よくわからない。だがタケの顔が有れば信長の目の前までは戦わずにいけそうだ。あとは油断した信長を斬るだけだ。古典的な方法だが、悪くはない。

「秀吉さんとヤスは織田軍じゃないと顔バレしそうだから、顔は隠しといてくれ」

 彼の言う通りになれば、きっと上手くいくだろう。いやきっと上手くいく。今の話を聞いて失敗する未来が見えない。

「織田信長を殺せたら、逃げる。全力で逃げる。いいな?」

 この作戦の目的は達成できるだろう。だが生きて帰るのが最難関だ。本陣に潜り込んでいるのだから、1万以上の敵が周りにウジャウジャいると言うことだ。信長を倒した瞬間、そいつらが血相を変えて襲いかかってくる。少し考えただけで身震いがする。

 無駄に人を殺すことはない。だが俺は生きて帰らなければならない。そう思わせる理由がある。

「じゃあ、そろそろ行きますか」

「おう」

 もうこれ以上、時間をかけても仕方がない。あとは行動に移すだけだ。

「集合!」

 タケが大きな声で兵を呼んで、目の前に整列させた。その時間わずか数秒足らずだった。

「織田信長を討つ!」

 タケがそう宣言した瞬間、兵たちは一瞬騒ついた。

「織田信長を狙え!わかったな?」

「はっ!!」

 統率の取れた彼の部隊には、詳しい説明など必要なかった。タケのことを心の底から信頼していることが一目でわかった。彼の人情深さは本物だったようだ。大胆で適当、さらには不器用。だが彼の人の良さは多くの人を惹きつける。

「あとは某らにお任せくだされ」

 山下さんは俺にそう言ってくれた。その後ろにはお世話になった会合衆の方々らが並んでいた。彼らも見送りに来てくれたのだ。

「必ず堺の未来を守りまする」

 山下さんの言葉は強く、頼もしいものだった。もし俺が死んでしまっても、彼がこの街をより良くしてくれるだろう、塩屋さんと俺の意思を引き継いで。永遠に続く平和をどうか、作り上げる。それが俺たちの共通の夢であり、目標である。

「それでは、行ってきます」

 俺と山下さんは握手をした。

「じゃあ行くぞお前ら!来い!」

 タケはそう言うと、1人で先陣を切って歩き出した。俺と秀吉さんはタケの部隊と共に、彼の後ろをついていく。何もない草原をただひたすら前に進んで行く。織田信長を目指して、真っ直ぐ。

 歩いている途中、ふとこの一日を思い出した。今日は本当に慌ただしかった。織田が攻めてきて、タケと再開する。織田の襲撃を決めて、大事な人に別れを告げる。そして今から日本を変えにいく。今日は本当に慌ただしい。だがきっとこの日は、歴史に名を残すことになるだろう。

 こんな時間になってもカァカァとカラスは鳴いている。優雅に風に乗って西に飛んでいく。間近で見たら黒くて汚いイメージのカラスだが、自然の中で群れをなして飛んでいる姿は案外綺麗だった。

 いつもの癖で左腕を見る。だがもちろん、そこには腕時計はない。タケといると現代に戻った気になってしまう部分がある。

「おいタケ。生きて帰ってこれたら、みんなでパーティーしようぜ」

「パーティー?いいじゃねーか。秀吉さんも一緒にね」

 秀吉さんは首を傾げる。

「ぱーてい?申し訳ございますぬが、そんなものは存じませぬ」

 俺とタケは顔を見合わせて笑った。それに釣られて、秀吉さんも頬を緩ませた。

「えーっと、宴会みたいな感じです」

 俺は補足を入れる。秀吉さんが現代の方ではないことをすっかり忘れてしまっていた。

「ああ、それをあなた方の時代ではぱーていと言うのでございますか」

 秀吉さんはあまり納得のいかない表情でうなずいた。そんな彼のリアクションを見て俺たちはまた笑い出してしまった。

 緊張感がないわけではない。だが残り少ないかもしれない時間を楽しめるほどに、俺たちは男らしくなれたみたいだ。もしかしたらこれは、失うものがない強さ、というべきかもしれない。

 

 数十分近く足を進めた。タケ曰く、そろそろ織田の本陣が見えてくるようだ。薄暗い自然の中を、松明の光だけを頼りにして進んでいく。

「あっ!見えたぞ!」

 視界の奥の方に、提灯の明かりが漏れ出している場所を発見した。わずかな明るさだったが、周りが真っ暗なのでとても目立つ。

「よし、一旦止まれ!」

 タケは率いる軍に大きく手を挙げて指示を出す。

「まだ俺たちが織田を裏切ったことは知られていない。あくまで帰陣した雰囲気を醸し出せ。戦闘に入るのは俺が指示を出すまでは控えろ。いいな?」

 タケは最終確認を済ませると、右手を振り下ろした。軍はその合図とともに進軍を再開した。

 織田の本陣が段々と近づいてくる。中で焚き火を焚いているのか、煙が黙々と天に伸びている。俺はそれを見上げながら、刀の柄の部分を握りしめた。

いよいよ始まる。始まったしまう。しかし俺にはもう怖れの感情はない。俺とは思えないほどポジティブだ。織田を倒して日本を救う計画の片棒を担げるのだから、不安に感じる暇もないのだ。

 ワクワクする。だが少し緊張する。一抹の罪悪感も未だに残っているが、それはどうにかなるだろう。正義という名のもとで正当化は可能だ。

 緊張感を保ったまま、俺たちは織田の陣に到着した。

 いくつかの提灯は地面に落ちている。柵も倒れたままのものが多く散見された。織田軍にしては無防備な様子で、隅々まで手入れが行き届いていない。こんな手荒なものかと、少し疑問に思ったが、細かいことを気にする必要はない。俺たちはこの陣の中で戦うのだから。

「タケ殿、織田には守衛はおらぬのですか?」

 織田の陣が、秀吉さんが小声で聞いた。確かに、陣の正面に人影はなかった。

「いや、いつもいるはずなんですけどね」

 タケはそう答えたが、構わずに進み続ける。タケにとってそれはあまり重要なことではないのだろう。いや、むしろ俺たちにとってそれは好都合だ。

「人影も全くありませぬし、中の声も一切聞こえてきませぬ」

 秀吉さんは慌てた口調でタケに報告した。依然気にも留めないタケの腕を、秀吉さんは強く引っ張った。

「どうしたんですか、秀吉さん。もう相手に聞こえちゃいますから静かにしてください」

「本当にここに織田軍はいるのでございますか?随分と静かなのでございます」

 タケは秀吉さんの言葉を聞いて、初めて立ち止まった。織田の陣に足を踏み入れる一歩手前のことだった。

 秀吉さんの顔は完全に引きつっていた。先程までの余裕は一切感じられない。俺もその瞬間、初めて秀吉さんが言わんとしていることに気づいた。そして愕然とした。開いた口が塞がらなかった。

「織田はもうここにいない……?」

 タケは全てを悟ったように、ひっそりと呟いた。だがそう考えれば、この陣に守衛がいないことも柵が倒れたままの放置されているのも納得がいく。しかも、1万を超える部隊がいるなら、もっとザワザワしているはずだ。真夜中とはいえ、これだけ静まり返っているのは明らかにおかしい。

 タケは慌てた様子で織田の陣に1人で入っていった。そしてすぐ10秒後には俺たちのところへ戻ってきた。彼は顔面蒼白の状態だった。

「駄目だ。やられた。もう誰もいない」

 タケは頭を抱え込んでその場に蹲み込んだ。速すぎる展開に俺の頭はついてこれず、ただオドオドしていた。

 今この時点で、3人とも何が起きているのかさっぱり理解できなかった。攻めるべき相手が急にいなくなったのだ。

「どういうこと?」

「それは俺が聞きたい。信長は俺が帰ってくるまでここで待つと言っていたんだがな」

 そのはずだ。タケは織田軍の交渉人として堺に来ていたのだから。タケの帰りを待たず大将である信長がどこかに行くなんてあり得ない。

 考えれば考えるほど、悪い予感が漂ってくる。頭が痛くなってくる。意味がわからない。これほどまでに予想も想像もつかないことは生まれて初めてだった。織田は一体どこに消えたのだ?

「もしかすれば……」

 秀吉さんは俺ら2人を鋭い眼付きで見た。

「全て織田の策略なのかもしれませぬ。タケ殿が堺に寝返るのも想定済みなのかもしれぬ」

「え?」

「そしてタケ殿とヤス殿が信長を殺しに行くことも想定済みなのでございます」

 秀吉さんの口調は一段と強くなる。俺たちの中の緊迫感が一気に跳ね上がる。

「じゃあ、織田信長は本当は何がしたかったんだ?」

 タケはそう聞いた。だがその質問は聞くまでもなかった。聞く前にもう気付いていた。ただ認めたくなかった。おそらくそんな思考回路がタケにそう言わせたのだろう。

「おそらく、堺を壊滅させるのが目的でございます。某らがこちらに来ている間に、織田軍は迂回しながら堺に行って……」

 秀吉さんは淡々とそう述べた。俺は恐る恐る、後ろを振り向いた。西方面、堺がある方角だ。

 俺はその光景を目に入れた瞬間、生きた心地がしなくなった。血の気が引いて、視界がボヤけて体がフラついた。


 俺の目に入ったのは、真っ赤な炎の包まれた堺だった。積乱雲の何倍もの大きさの煙が西の空を覆っているのだ。堺の街は、凄い光を放ちながら炎上していた。

「おい、嘘だろ……。嘘だと言ってくれよ……」

 つい先程までは、こんなことにはなってなかったまさに今この瞬間、織田の攻撃が始まったのだ。その事実がまた俺を苦しませる。

 俺はその場に尻餅をついて倒れ込んだ。体のどこにも力が入らない。俺の心臓は、太鼓のように大きな音を立てながら鼓動を刻む。

 俺はただ目を見開きながら、堺が燃えていく様を見ているだけだった。守るべきものが惨めに燃えていく光景は、恐ろしく苦痛だった。

 それを見て真っ先に思い浮かんだは、綾さんだった。綾さんは無事なのだろうか。パン屋の方々は大丈夫だろうか。

 胸が締め付けられる。綾さんは絶対に死なせない。絶対に守る。守らなければならない。何があっても、絶対に。

「クソが」

俺はそう口にした。

「あいつ、マジで許さねえ」

 切なさに溺れていた俺も、そんな感情は数秒で捨てた。織田の顔を思い浮かべた瞬間、悲しみは全て怒りへとシフトした。しかし、導火線に火がついたのは俺だけではなかった。秀吉さんとタケは既に刀を鞘から抜き、目を充血させながら怒りに震えていた。

「お前ら、堺へ向かえ!!織田軍を追い払え!全員ぶっ殺せ!全面戦争だ!!」

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