第39話 最悪の再会でござる
「ヤス殿、ご覧くだされ」
山下さんに双眼鏡を手渡された。俺は何も考えず覗き込む。しかし焦る俺を裏腹に、そこで俺が見た光景は予想していたものとは違った。織田が動き出したと聞いて、最初はてっきり織田が攻めてくる準備を進めているのかと思っていた。だが実際は、その逆だった。
彼らは今いる場所に陣を築こうとしているらしかった。周りには柵が置かれ、陣の中が見えないように布で囲まれている。最低限の防御態勢を整えている。きっと長居するつもりなのだろう。
「あそこにずっといられたら困りますね」
俺は言う。みんな黙ってうなずいた。だが今の段階では俺たちの作戦はバレていない。あとは時間との勝負だ。その時、
「失礼致します!」
と言って、見張りをしていた男が俺たちの前に姿を現した。
「何事じゃ!?」
山下さんは慌てた様子でそう聞く。
「皆さま、織田信長から使いの者が来ておりまする!」
「それは誠か?」
「はっ!」
夜も段々と暮れてきたこの時間帯に、信長は俺たちに使者を送ってきた。一体どんな意図を持っているのだろうか。
「通せ!」
山下さんはすぐにそう言った。すると数分後、俺たちの陣の中に1人の華奢な男が入ってきた。体は小柄だったが、目がキリッとしていて纏ったオーラが凄かった。まさに織田の部下のイメージそのものだった。
彼は気持ち程度に会釈をした後、俺たちが言葉を発する前に勝手に喋り始めた。無愛想だ。
「殿からこのような文を預かり申しておりまする」
そう言うと、一通の手紙を山下さんの前に置いた。山下さんはそれを拾い、軽く目を通した。
「用件はそれだけでござるか?」
「左様。それで、お返事はいかが致しましょう」
「心得た、と信長に伝えてくだされ」
手紙の内容はわからない。だが雰囲気から推測するに、織田信長が何かを伝えにきて、それを山下さんが許可したみたいな感じだろうか。いい方向に進めたらいいのだが。
「はっ。では」
男は不機嫌そうな顔のまま、その場を足早に去った。そして織田軍にいる方へ帰っていった。男が終始横柄な態度を取り続けたためか、俺は少しイラッとした。
「山下さん、手紙の内容は?」
俺は気になっていた内容を山下さんに尋ねた。彼は軽く頷くと、その手紙を全員が見える位置に置いてくれた。流れるような書体で書かれた文字が記されている。もう2年もこの時代で生活しているので、多少は読み書きもできるようになった。
「交渉の申し入れ?」
俺が秀吉さんに小声で聞くと、彼は優しく微笑んでくれた。
「交渉?一体何を?」
だがそう俺が聞くと、彼は頭を捻らせた。信長は何を考えているのだろうか。
「山下さん、これは一体どういうことです?」
彼は曖昧な表情をしていた。彼もまた交渉という言葉に隠された織田の意図を汲み取ろうとしていたようだった。
「某にも詳しくはわからぬ。だが、和解の可能性も有り得る。ここは交渉しているべきではござらんか?」
彼の判断にミスはない。おそろく現状ではベストの判断だろう。交渉が一体どうなるかは、ここにいる誰もが知る由もない。だが、織田が簡単に和解を申し入れるとも思い辛かった。いくら俺たちの作戦が上手くいっていたとしても、それにビビる奴ではない。そう考えると、織田が申し込んできた交渉には何かしらのトラップがあるのかもしれない。
「秀吉さんはどう思います?織田が早々に交渉を申し入れるなんておかしくありません?」
「そうじゃな。某も同じ考えでござる。一筋縄ではいかぬと考えておくべきですな」
手紙通りならば、その交渉は夜中に行われることになっている。織田の家臣とその部隊が直接ここに来るのだ。また何か起きそうな気配だ。
「交渉の予定時刻はもうすぐじゃ。皆のもの、気を引き締めなされ!決して織田の勢いに飲まれるでないぞ!」
織田の家臣が到着する時間が近づいた頃、山下さんは一同にそう言って気合を入れた。俺も一段と気持ちを集中させた。相手には隙を絶対に見せない。作戦をバラさない。それだけを胸に置いた。
「到着なさいました!」
しばらくして、入り口の方でそう叫ぶ見張りの声がした。来たのだ、織田の家臣が。
俺は秀吉さんを見た。彼は不安そうな俺と目が合うと、少し笑いかけてくれた。頼もしい限りだ。
ザッザッザッ……。土を蹴る音が段々と俺たちの方へ近づいてくる。1人の足音ではない。数百人もの兵が近づいてきているかもしれない。
ザッザッザ……。
その音は俺たちの陣の前で止まった。布一枚奥にその人が立っている。
「失礼します」
織田の家臣の男はそう言うと、俺たちのいる本陣の中へ入ってきた。
だが俺はその男の顔を見た瞬間、仰天のあまり座っていた椅子から転げ落ちてしまった。俺は自分の目を疑った。何度目をこすっても見覚えのある男が目の前に佇んでいるのだ。
「信長殿の家臣でございます、山縣武です」
「タケ.……!?」
俺は声を絞り出した。俺のかすれた声は彼の耳にも届いたらしく、彼は俺に手を振った。
「久しぶりだな、ヤス。そんで藤吉郎さんも。おっと間違えた。もう秀吉さんか」
前と変わらないガッシリとした体型。武士と比べても遜色ない、いやそれ以上に筋肉質だ。そしてそのフワフワした雰囲気と適当な性格。あの頃と一切変わらなかった。
あいつがこの時代に来てすぐ、織田信長に仕えてからは俺たちは会ってなかった。久しぶりの再会だった。だがそれがこんなタイミングだなんて……。
「お知り合いでございますか、ヤス殿、秀吉殿?」
山下さんは眉間にシワを寄せたまま、俺らにそう尋ねた。
「む、昔の知り合いです」
「おいおい。俺たちは一生親友だろ?昔の知り合いだなんてやめろよ」
「今は敵同士じゃないか、タケ」
「ま、そういえばそうか」
彼は兜を被ったまま豪快に笑った。
「ヤスと秀吉さんいるなら、話が早いや。交渉は3人でやろうぜ」
タケは椅子に座りながら、突然そんなことを言い出した。
「いやでも、会合衆の皆さんだっているんだし、それはダメだよ」
俺がそう言うと、タケは一瞬顔を歪ませた。
「俺の言うこと聞かなきゃ、やばーい目に合うぞ。わかってんだろ?」
タケは大きな声でそう言い張った。逆らったら織田が攻めてくると言わんばかりの言い方だった。そんな強い言い方も、昔から変わらない。もう慣れっこだ。
しかし、普段ならおふざけで済むのだが、今回はそうはいかない。織田に抵抗する手段がない以上、俺たちは言うことを聞かざるを得ない。
「では、某らは一旦退室いたそう。終わったら報告をしてくだされ、ヤス殿、秀吉殿」
山下さんはそう言って、他の皆を引き連れて本陣から出ていってしまった。タケも自分の引き連れてきた部隊を外に待機させた。
「おい、もっと言い方ってもんがあるだろ。オブラートに包んだ言い方できないのかよ」
「なんせ俺は不器用なもんでね。お前も承知の通りね」
本来は敵同士であるはずなのだが、雰囲気は同窓会のようなものだった。タケやマサとの思い出が頭の中でチラつく。
「で、俺と秀吉さんだけにした理由は何?」
俺は脱線しかけていた脳内を元に戻す。今は感慨にふける時ではない。
「喋りやすいから、ただそれだけ。どうせ誰と喋っても同じだもん」
かなり強気だ。やはり織田軍は何かあるのか。俺と秀吉さんはそう悟った。
「では早速、交渉と参ろう」
秀吉さんが始まりを告げる。
「交渉を言い出したのは織田側なんだから、先にタケからどうぞ」
俺は警戒しながらも彼に先を譲る。
「織田家としては、和解に応じたい考え」
「和解?」
「ええ。堺が2万石の金銭をうちに納めてくれたらね」
「2万石!?」
そんな大金、堺にあるはずがない。市民の税金を大幅に引き上げても厳しいレベルだ。
「払えなきゃ、堺を滅ぼす。それが信長様のお考えだ」
タケは淡々と恐ろしいことを述べた。
「そんな大金、払えませぬ。もう少し下げてはくれませぬか」
秀吉さんは食い下がる。
「俺からもお願いする。どうか、もっと安くしてくれ!」
俺はタケに頭を下げた。ここで織田と和解できたら俺たちは助かる。今攻められたら、一環の終わりなのだ。まさに生と死の瀬戸際だ。
「はぁ……」
タケは大きく溜息をついた。俺は恐る恐る頭を上げ、タケを見上げた。
「お前ら、やっぱりそうだったのか」
タケは全てを理解したようなセリフを吐いた。俺と秀吉さんは顔を見合わせた。一体どういうことなんだ?
「どうせ援軍なんていないんだろ?旗も狼煙も全部見せ物なんだろ?」
「い、いや、何言ってんだよタケ。上杉も武田も俺たちに援軍を送ってくれたんだよ」
俺は焦ってそう言う。
「バレバレなんだよ、ヤス。お前の思いつく作戦なんかわかりやすいんだよ」
「そ、そんな……」
俺は膝から崩れ落ちた。そして下唇を強く噛んだ。もう駄目だ。敵にこのことがバレているのなら、俺たちに勝ち目は一切ない。秀吉さんも同じことを考えて、焦っているのだろう。彼の溜息が聞こえた。
「だからヤス、もう1回言うぞ。2万石払え。そうすれば堺もお前も助かる」
「どうせ払っても払わなくても攻めてくるんだろ?俺たちに軍がいないのがわかってるんだから」
俺はヤケクソになってそう言った。どうせ滅びるのなら、一銭も払いたくはない。それが俺のプライドだ。
「お前はホント物わかりが悪いな、ヤス」
タケは俺の肩に手を置いた。俺は彼の顔を見た。目があった瞬間、彼の表情に違和を感じた。先程とは打って変わって、妙に優しい顔つきになっている。
「どういうことだ。何が言いたい?」
俺はタケに言い寄った。
「俺しか知らねえんだ。このことは」
タケは渋々そう答えた。
「俺はお前らの作戦に早々に気づいていたが、信長には言ってない。だから俺の言う通り2万石払って穏便に済ませろって言ってるんだ。それがお前の望みなんだろ?」
タケは彼らしくなく親切で、それが気に食わない。ウザかった。俺たちを下に見て、偉そうにするその態度に俺は腹が立った。なぜだろうか、親友にはそんなことをしてほしくなかったのだろうか。
「てめえ、ふざけんじゃねぇえぞ!!」
俺はタケの胸ぐらを掴んだ。だが彼にすぐ振り放された。この条件を飲めば、堺を救うことができる。だが、親友に馬鹿にされているこの状況を俺は受け入れられなかった。俺だからという理由で、助けられるのは俺の中にある腐ったプライドが、俺をそんな行動に移させたのだ。
「落ち着いてくだされ、ヤス殿!」
俺は秀吉さんに後ろから引っ張られて、強引に座らされた。
「てめえ、俺だからって手抜いてんじゃねえだろうな」
俺はそうタケに言う。秀吉さんはまあまあ、と手で合図を出してくる。
「んなわけねーだろ!俺はただ、ただ……」
「ただ、なんだ?なんで俺と堺を庇うような真似をしたんだ」
俺は聞く。タケは下を向いた。
「俺はただ信長よりもヤスの方が正しいって思えただけだ。お前といた方が、天下統一は早い」
タケの口から出た言葉は、予期していたものとは180度逆のものだった。彼の攻撃的な性格からはかけ離れた言葉は、彼には似合わない。
「でもタケは織田信長の元で全国統一したいって言ってたじゃないか。だから織田と一緒に戦ってきたんじゃないのか」
「織田信長は駄目だ。最低な野郎だ。本能寺の変が起こらなかったとしても、結局誰かに殺される。所詮その程度のやつだ」
彼はそう吐き捨てた。織田信長とずっと一緒にいたからこそ分かったのだろう。信長の脆さに気づけたのだろうか。タケも相当辛かっただろう。きっと散々振り回されてきた筈だ。
「すまんタケ。手を出しちまった」
はっと我に帰った俺は、彼に素直に謝った。彼は本心で、この街と俺を助けようとしてくれている。
「おいヤス。一緒に天下統一しねえか?天下統一こそが俺の夢なんだ」
「奇遇だな。俺もだよタケ」
俺たちは照れ臭く笑いあった。こんなことはもう何年ぶりだろうか。俺たちは熱く握手を交わした。
「よし!じゃあヤス、まず最初にすべきことはわかってるよな?」
タケは突然そう聞いてきた。
「2万石を織田に払うってか?」
俺はそう答えた。
「ちげーよバカ。それは俺が織田の家臣だったらの話だ。今はもうお前の味方だ」
「え?」
「ヤス、お前、誰も血を流さない平和な社会を作りたいんだろ?」
「ああ」
「なら、織田信長を殺せ」
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