第36話 堺への愛でござる

 北庄経堂には既に数人の会合衆の役員が集まっていた。だが全員はまだいない。山下さんは部屋の中で呆然と立ち尽くしていた。

 俺が着いて数分後、秀吉さんも遅れて到着した。激しく息を切らしていた。

「まだ全員はおらぬが、もう始めまする」

 山下さんは今いる5人の会合衆に向かってそう言った。焦っている様子だが、声はまだ彼の平静さを保っている。

「皆様ご周知の通り、織田の動きが判明した。お主、説明したまえ」

「はっ。織田は今、近江を出て伊賀に入ったとの情報がございまする。詳しくは、京の南およそ5里でございまする」

 影武者のような人がそう言った。一里はおよそ4キロだったはずだから、20キロといったところか。フルマラソンの半分くらいか?とは言いつつも、マラソンをやったことがないのでイメージが湧かない。

「あと何日で堺に着くのじゃ?」

「遅くとも5日後、早ければ3日後には」

 その言葉を聞いた瞬間、その場にいる全員が唖然とした。中には頭を抱える者もいた。俺たちは織田のスピード感についていけていない。その結果がこれだ。

「ヤス殿、準備はいつ仕上がる予定じゃ?」

「本日、直接大工の方に聞いたところ、1週間ほどかかると仰ってました」

「ふむ……」

 山下さんは相槌をつくと、しばらく黙り込んでしまった。会場の全員が、その訳を知っている。そして全員が同じ様に頭を捻らせている。もちろん、俺もそのうちの一人だった。

「急いでもらうことは可能でござるか?」

 山下さんの出した答えは、急ぐ、ということだった。残り数日で方向転換するよりは、そうした方がマシだろうという判断だ。

「わかりません。直接聞いてみないと、なんとも言えません」

「では、拙者がただ今確認してきまする」

 影武者の様な男はそう言った。床に手をつき、山下さんに頭を下げている。

「おう。頼み申した」

「はっ」

 その男は立ち上がると、素早い足音を残しながら部屋を出て走り去った。部屋は一瞬、静寂に包まれた。皆顔を上げようとはせず、重い空気が漂った。

「もし不可能であれば、どうなさいます?」

 ある一人は静寂を破って俺にそう聞いた。

「今ある物で、作戦を実行するまでです。4種類の旗は全て完成してますし、櫓も予定より少ないですが、用意できると思います。それで援軍がいる風にするしかありません」

「微妙なところじゃな……」

 正にその通りだ。実現可能か不可能かのギリギリのラインだ。だがもう引こうにも引けない。それを全員がわかっていた。今あるカードで対処せざるを得ないのだ。


 俺たちはあの影武者が帰ってくるまで、黙って待っていた。急に降り出した雨が天井を叩く音が部屋に響いた。

 5分後にその男は帰ってきた。雨に打たれて全身はずぶ濡れだった。

「大工さんに聞いて参りました。人手が足りない、とのことでございます。そうすれば何とかなるかもしれぬ、と仰っておられました」

「ま、誠か!?」

 山下さんは興奮した様子で、その男に聞いた。

「左様」

 男は深々と礼をすると、部屋から出ていった。会議の場は一瞬、可能性の光で照らされた気がした。だが、織田という現実が迫っていることを考えたら、喜ぶ暇もなかった。

「ならば人手を集める。町中の男をかき集めてまいれ!」

 山下さんの一声を合図に、会合衆の面々は勢いよく部屋を飛び出し、街中に散った。声を荒げながら大声で応援を呼んでいる。

「ヤス殿と秀吉殿はここに残ってくだされ。応援の人手の分配をして頂きたい。発案者でございますので、自身のやり方がございますでしょうから、お任せしまする」

「はい、任せてください」

「某は先に現場に向かいまする。あとはよろしく頼んだ」

 山下さんは早足でその場を後にした。残された俺たちは、最終計画を練り直すことになった。

「優先事項はまず先に櫓です。その次に堀でしょうか」

「旗も並べなければなりませぬ。いくつか陣も必要でございます。そちらに人員を送りましょうぞ」

 工事期間が果たしてどれぐらい取れるのか。何人ほど集まるのか。それによって優先事項も計画も変わる。何もかもが不透明な状況では、ハッキリとした決断ができないものだ。

「ああ、どうしよう……」

 俺は次々に浮上する問題に頭を痛めた。そもそもこんな子供騙しのような作戦が上手くいく訳がないと、そんな気もしてきた。

「信じてくだされ、ご自分の力を。そして堺の力を。我々は織田に喰われるような存在ではありませぬ」

 秀吉さんの言葉はいつも俺の背中を押してくれる。今回も例外ではない。だがそれがプレッシャーになっているのもまた事実である。両肩にのしかかった重圧で俺は息が詰まる思いだった。

「失礼します」

 そんな俺たちの元に、若い男がやってきた。彼は丁寧に戸を開けると、俺と秀吉さんに向かって頭を下げた。

「先ほど、会合衆の方が、時間のある奴はここに来い、と大声で仰っていました。何事でございましょうか」

 工事の増員の最初の1人だ。秀吉さんは堺の置かれた状況について要点を彼に伝えた。彼は静かに秀吉さんの話に耳を傾けていた。

「某にできることならば、何でも致します。堺のためならこの命も差し出す覚悟でございます」

 彼は強い口調でそう言った。

「某は生まれてから堺を出たことがありませぬ。誰よりもこの街を愛しております」

 彼の言葉を聞いて、俺は自分の覚悟の弱さに気付かされた。俺は日本史史上最恐の男、織田信長を前にして自信を失いかけていた。

 しかし彼は違う。相手が誰であろうと関係ない。ただ堺のことが大好きで、それを守りたいと考えている。その原動力は何よりもパワフルなのだ。相手ばかりを見ていてはいけない。それでは相手に振り回されるだけだ。それが今の俺たちだ。

「では、ここの道を真っ直ぐ東に行ってください。そして突き当たりを北の方に行けば、櫓が立っているのが見えると思います。その横に陣を張る予定なのでその工事に参加してください」

「お任せくだされ」

 若い男は一言そう言うと、俺に余裕の表情で笑って見せた。頼もしい男だ。これほど度胸のある奴は見たことがなかった。

 その後も次々と男たちがやって来た。1時間後には100人以上が現場に向かってくれた。予想を遥かに上回る人数だ。これだけいれば、もしかしたら間に合うかもしれない。

「俺たちもそろそろ行きましょうか」

「え?どちらへ」

「工事現場です。俺たちも参加しましょう」

 俺の言葉に秀吉さんは少し驚きの表情を浮かべた。

「ヤス殿らしいお考えでございますな。そうしましょう」

 迷いが見えた秀吉さんも一瞬にして納得した。俺たちは激しい雨の中、北庄経堂を離れて東の方角へと足を進めた。

 10分後には現場に着いた。月明かりと微かな提灯の明かりを頼りに作業を行う人々の後ろ姿が見えた。

「俺たちもやります!」

 俺はその集団に混じった。秀吉さんも遅れて中に入ってきた。微々たる力ながら、この堺の力になれる。俺はそれが嬉しかった。これが俺なりの堺への愛なのだ。

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