第35話 緊急事態でござる

 刻一刻と、その時は近づいてくる。俺はそれを毎日実感する。堺の東に大きなやぐらが建ったのを見た時、今はまさに戦国の世であることを改めて実感した。

「おお、何とも良い出来栄えでございますな」

 秀吉さんは感心してそう声を上げた。それもそのはずで、堺にこのような本格的な防衛施設が建つのは初めてなのだ。計画通りに行くならば、同じものをあと何十個も用意する。織田が来た段階では、無人ではあまりに不自然なので、何人か武士の格好をした人がここで見張りをする予定だ。もちろん、使用はしないがそれなりの弓矢も準備する必要がある。

「後どのくらいかかりますか?」

「旗はもう全て完成しております。あとは偽物の大砲を並べ、東側に堀を掘って、残りの櫓を建設するだけでございます。あと1週間程度でしょうか」

「今のところは順調ですね」

「ええ、なんとか」

 大工の人はそう答えた。俺たちの方針が決まってから数日でここまで完成に近づけるとは思いもしなかった。数日前にはなかった余裕が少し生まれた。

「この櫓を見たら、織田も少しは怯むでございましょう」

「そうだと良いんですけど……」

「ははは。あとはお任せくだされ。援軍が沢山いる様な、威圧的な施設を作りますので」

「ありがとうございます」

 高くそびえ立ったその姿はかなり攻撃的な雰囲気だった。可能性が少しずつ見えてきた気がした。

 これも全て堺の人たちの努力のおかげだ。自分の仕事を後回しにして、こちらの手伝いをしてくれている職人さんが大勢いる。彼らには感謝をしてもしきれない。頭が上がらない。

「ヤス殿、堺をしっかり守ってくだされ。堺は某の生まれ育った故郷であり、日本一の商業都市という誇りであります」

「ええ。わかりました」

 俺はその大工さんと熱い抱擁を交わした。彼の汗の匂いと熱気が、俺に責任感を募らせる。大丈夫、きっと大丈夫。俺の作戦はきっと上手くいく。俺はそう言って自分を励ました。

「そろそろ店に戻りましょうか。暗くなってきましたし」

 俺は横にいる秀吉さんにそう声をかけた。

「ええ、そうしましょう」

 大工さんに挨拶を済ませてから、俺たちは街の中へ入っていった。

 日が暮れてきたと言っても、まだ十分に明るい時間だ。客引きをする商人の姿がちらほら見える。だが、街の風景はどこか元気がない様子だった。人の数も一時期と比べて減った気もする。正確に数えてわけではないが、徐々に人が出ていっているのかもしれない。

 やがて太陽が空全体を赤く染めた。綺麗でありながら、どこか残酷な風景だ。俺は深いため息と共に空を見上げていた。

「ヤス殿、某は疑問に思うのでございますが」

 秀吉さんはふと口を開いた。

「はい、何でしょうか」

 秀吉さんは俺の方を向いた。

「某はヤス殿から、人の命の大切さ、政治の重要性を学び申した。それは争いを避け、平和を導くことだということも」

「はい」

「では、ヤス殿にとって武士は悪なのでございましょうか」

 秀吉さんから出たその言葉は、俺に真っ直ぐ突き刺さった。一言では言い表せない、難しい問題だ。

 確かに俺は戦をするべきではないと何度も言っている。だからこうやって特殊な方法で堺を守ろうとしている。でもだからと言って俺は武士を罰したことはない。刀を取り上げたこともない。街中を彼らが歩いていても、何も思わなかった。時代が時代だから、と言えば済む話なのだが、話はそれほど単純ではない気がする。

 とにかく、俺は武士であること自体が間違っているとは思えないのだ。

「そんなことはないと思います。理由は上手く言葉では言えませんが」

「ははあ、なるほど」

 口ではなるほど、と言いながらも、彼の表情は優れたものではなかった。俺の説明がまだ十分ではないのだ。俺もそれをわかっていたが、今の俺には説明できない気がした。

 

 そんなことをしている間に、見慣れたパン屋に帰ってきた。ねねさんが店を閉めているところだった。

「ただいま戻りましたぞ」

 秀吉さんは作業中の自分の奥さんに後ろから声をかけた。

「わっ!秀吉殿!」

 ねねさんは飛び上がる様に驚いた。秀吉さんはそれを見て笑みを浮かべた。

「ただいま、ねねさん」

「あら、ヤス殿もお帰りなさいませ」

 ねねさんは一言で俺への挨拶を済ませると、秀吉さんと二人で話を始めた。やれやれと思いながら、俺は先に店に入って、奥の戸を開けた。畳の上で権兵衛さんと祐太郎さんが将棋を指していた。

「帰りましたー」

「お帰りなさいませ」

「将棋ですか?」

「はい、ただ今対局中でございます」

 権兵衛さんの駒が祐太郎さんの王将を取り囲んでいる。将棋にあまり詳しくはない俺でも、すぐに権兵衛さんが勝っていることがわかった。

「頑張って、祐太郎さん」

 俺が横から声援を送ると、

「言われなくても頑張っております」

 と少し食い気味に言われた。俺と権兵衛さんは焦っている彼の発言を聞いて笑った。とりあえず、2人とも楽しそうでなりよりだ。


 その後、いつも通り夕食を取る。今夜はも綾さんと助丸さんが作ってくれた。

 食卓は堺の現状が霞んでしまうほど、暖かい空間だった。忙しい毎日で日に日に彼らと過ごす時間は減っているのだが、少しの時間でも彼らは俺をリラックスさせてくれた。

 今頃になって、帰る場所があることの大切さに気付かされた。大変な時だからこそ、身近な幸せが素敵だと思えるのだ。

 

 食後、秀吉さんがのんびりしていた俺に声をかけた。他の人には聞こえないよう、そっと耳打ちした。

「今、お時間よろしいでございましょうか」

「ええ。どうしたんです?」

「外で話しましょう」

「あぁ、はい」

 俺は言われるがまま、彼に続いて店の外に出た。困った顔をしているのだけはわかった。俺と秀吉さんは店の前の通りに出た。人数はそれほど多くはない。

「どうしたんです、秀吉さん」

「少し、知らせなければならないことがありまして」

「え?」

「綾殿のことでございます」

「綾さん?」

 俺は急に寒い気配がした。

「ええ。実は最近、綾殿にあまり元気がない様子でして」

 俺は先ほどの食卓を思い出した。思い返してみても、あまり気になることはなかった。いつも通りだった気がする。

 それにこの前も、夜中まで旗を描くのを手伝ってもらったりと、色々話したりはしているのだが、どうも暗いという印象はなかった。俺は首を傾げた。

「そんな気はしないんですけど……」

「もしかしたら、ヤス殿の前ではそう演じているのかもしれませぬな」

「え?」

 正直、彼が何を言いたいのかがさっぱりわからなかった。

「綾さんに何かあったんですか?」

「ヤス殿の身の上をご心配なさっているのです。ヤス殿が織田と争うと聞いた時、相当気を揉んでいる様子でございましたし」

「そんな……」

「先日伺ったのですが、やはり少し悩んでらっしゃるようです」

 体調が悪くないわけではないらしく、それに関しては少し胸を撫で下ろした。だが俺のせいで彼女を不安にさせてしまっているようなら、彼女には申し訳ない。

「今から彼女と話してみます。ありがとうございます」

「綾殿とヤス殿、お似合いだと思いますぞ」

 秀吉さんは急にそんなことを言い出した。

「よしてください、秀吉さん」

 俺は不器用に笑いながら、店の扉に手をかけた。綾さんと話してみようかと思った。

 ザッザッザッザ……。

 だがその時、すごい勢いでこちらに走ってくる音がした。段々と大きくなるその音が気になって、俺と秀吉さんは後ろを振り返った。

「ヤス殿、秀吉殿〜!」

 勢いよく走ってきた男は、俺たちの前で止まった。膝に両手をつき呼吸を整えている。長い距離を走ってきたのか、かなり息が切れている。

「何事じゃ」

「織田信長は既に秘密裏に動いていたらしく、堺に数日で到着するようでございます!」

「!?」

 あまりの衝撃に、俺は一言も発することが出来なかった。俺は無意識のうちにその場に膝から崩れ落ちてしまった。意識が遠のいていく感覚もあった。

 情報が入って来ないので、てっきり織田はまだ動いていないと踏んでいた。その考えは甘かったようだ。歯を食いしばってもどうにもならない。だがそうするしかない。俺は頭を抱えて、落ち着こうと深呼吸を始めた。

「会合衆の緊急会合が開かれまする。今すぐ北庄経堂にお集まりくだされ!」

 俺は必死にうなずいた。まだ混乱から覚めきっていない俺は、それが限界だった。冷静になんかなれやしない。

「ヤス殿、お主はお先に言ってくだされ。某はパン屋の皆に説明してから向かいまする」

「は、はい」

 俺は声を振り絞って返事をした。秀吉さんはすごい勢いで戸を開けて、パン屋の中に入っていった。彼は瞬時に的確に動いた。気持ちの整理をする暇が一瞬もなかった。だが秀吉さんの姿を見た俺は、急いで立ち上がって北庄経堂に向けて走り出した。

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