第33話 秘策でござる

 こんな状況にある限り、俺の徹夜はほぼ確定だった。一晩でこの堺の運命を左右する決定をしなくてはならないのだ。

 堺を守るにはどうしたら良いのか。織田信長と刀を交えなくて良い方法はないのか。考えることは無限にある。時間がいくらあっても足りないというのが本音だった。


 夕食は売れ残った食パンだけ、店舗の2階の部屋で1人で食べた。味のするものを食べたら集中力が切れる。その時間すらももったいない気がした。

 だが、そんな努力も虚しく、俺の頭には何も浮かばない。何1つ思いつかない。どんな想定をしても、最終的には織田に食い尽くされる気がした。


 太陽はすっかり沈み、三日月の微かな光が書斎を照らす。窓を開けると涼しい空気が入ってくる。何かを羽織っていなければ寒いぐらいだ。あれほど賑やかだった堺の街も、夜中になると一気に静かになる。開いた窓から聞こえるのはよくわからない虫の鳴き声だった。

「寝ないの?」

 突然後ろから呼び掛けられて、俺は驚いた。綾さんが障子を少し開けて顔を覗かせていた。全く気づかなかった。

「いつからいたの?」

「5分ぐらい前から。1人でよく頑張ってるなーって」

「そっか」

「で、まだ寝ないの?」

「うん。まだ」

「ふーん」

 彼女はいつの間にか俺の隣に座っていた。彼女の横顔に月明かりが当たる。

「ちょっと寝た方がいいよ。15分でも良い気分転換になるし」

「もう今日は寝れないや。別にそんなに眠くないし」

「じゃあちょっと休憩したら?」

 長時間、机の前で試行錯誤を繰り返したせいだろう。体力も限界を遥かに超えている。頭は硬直して集中力は殆ど残っていない。時間も惜しいところだが、このままでは一向に埒が開かない。

「じゃあ、5分だけ」

 そう言うなり、俺はその場に寝っ転がった。大きくため息をついた。畳に横になっている時だけは、考え事から逃れられる。現実に向き合うことも大事だが、目を逸らすのも案外大事なようだ。

 俺が束の間のリラックスを楽しんでいる間に、綾さんは何やらずっとゴソゴソしていた。

「何してるの?」

「絵を描いてるの。私も暇だしね」

「絵、描くんだ」

「私のお母さんがとても上手かったの。小さい頃はよく教わってたの。私が中学生の頃に、病気で亡くなるまではね」

 俺はゆっくりと起き上がって、彼女が絵を描いているのを眺めた。スラスラと筆を動かし、器用に絵を描いていく。

 俺は机の上の提灯に火をつけた。すると、彼女が描いている絵が紙の上に浮かび上がった

「お母さんと私。なかなか上手いでしょ?」

 墨だけでよくこんな綺麗な絵を描いたものだ。完成度はものすごく高い。プロではないかと疑うレベルだ。笑顔の2人が、ピースをしながらこちらを向いている絵だった。

 お母さんの手には、見覚えのあるブレスレットがある。

「あれ、このブレスレットは確か……」

 俺はあることを思い出した。俺は立ち上がって、タンスを開けた。そして中をあさった。

「この石のやつかな?」

 俺はお婆ちゃんから貰った自分のネックレスを引っ張り出してきた。これについてある石が、彼女の母親のブレスレットと同じものなのだ。そしてそれを綾さんが形見として持っていたのだ。

「そう!よく覚えてたね。もう2年も経つのに」

 しかし、春日部から逃げ出すときに火事に巻き込まれ、その綾さんのブレスレットは無くなってしまったのだ。

 彼女は俺のネックレスをそっと手に取って、ゆっくりと眺めた。

「色々、思い出すね」

 と彼女は呟いた。俺も同意した。

「そうだ!」

 彼女はまた筆を取った。そして今回もスラスラと何かを描き始めた。俺は目を丸くしてそれを見守る。

「大仙公園でピクニックに行った時の絵。小さい頃はよく連れて行ってくれたらしいの。あんまり覚えてないけどね」

 半紙を横長に使ったその絵もまた芸術的だった。数秒で描いたとは思えない。墨しか使っていないのも風情を生む。

「大仙古墳の近くでしょ?世界遺産でピクニックしてたの?」

「今となってはそうだけどね。当時はあんまり観光客もいなくて、静かだったのよ。広いし、自然も多いし」

 そういえば、俺は今せっかく堺に住んでいるのに、まだ大仙古墳を訪れていない。この事態が落ち着いたら、綾さんと行ってみようか。

「そろそろ5分だから、そろそろ休憩は終わろっかな」

 俺はもう一度机の前に座り直した。俺はもう完全にフル充電が完了した。明日の会議に間に合うよう、また良い案を考え始めよう。

「ありがとう、綾さん。おかげでリラックスできた」

「いいえ。どういたしまして」

 綾さんは自分の絵を手に取って、立ち上がった。その時、一枚の半紙がヒラヒラと部屋の奥に飛んでいってしまった。

「あ、ごめん」

 俺はそれを拾った。それには何か落書きがされていた。

「ん?なんだろうこれ」

 提灯の明かりに近づけると、何が描いてあるか少し分かった。小さい家紋がいくつも描かれている。だが絵のタッチは煩雑で、あまり丁寧ではない。

「これあれだよ。直江兼続くんがお父さんと一緒に来たときに、暇潰しに描いてたやつだよ」

「え?兼続くんこんなの描くの?」

「覚えなきゃいけないらしいよ。有名なやつは」

 家紋かー。俺は真田家の六文銭しか知らない。他のものは見たらなんとなくわかる程度で、ヒントなしに描けと言われたら全く手が動かないレベルだ。

 そういう意味では、この時代の子供は苦労も多いだろう。若いうちに色々しなくてはならないし、大変だ。

「私が見ても殆どわからないや」

「うん。俺も」

「秀吉さんに見せたら、わかるのかな。凄い家紋ばっかりして」

 それはそうかもしれない。俺らが見たらただの模様だが、戦国時代の人からしたら常識なのかもしれない。

 そして俺は考えてしまった。織田の家紋がついた旗が、堺の町に大量に流れ込んでくる情景を。それはなぜか想像にたやすかった。恐ろしいほど鮮明なその映像は、俺の頭の中で何度も繰り返され、俺の体中を引っかき回すようだった。

 だが俺は一瞬にして我に返った。織田に振り回されたくなんかない。逆に織田がこっちを恐れるくらいの気持ちで臨まないと、勢いに飲まれてしまいそうだ。

 織田を怖がらせる方法。これを探そう。

「綾さん、まだ寝ないんだったらもうちょっとここにいてくれない?」

「いいよ。じゃあまた何か描いてようかなー」

 綾さんは兼続くんの絵を片手に、それを模写し始めた。上手く描けている。とても上手だ。

 ん?ふと頭に光が降りてくる。

「あっ!」

 俺はその瞬間、ある秘策を思いついてしまった。俺が今まで考えたものの中で最善の策だ。

「えっ?何?」

突然大きな声を出した俺を、彼女は丸い目で見つめてくる。

「思いついた。この窮地を切り抜ける方法を」

「本当!?」

「うん。もしかしたらただの時間稼ぎにしかならないかもしれない。でもそれでもやる価値はあると思うんだ」

 俺がそう言った瞬間、綾さんは俺に勢いよく飛び込んできた。俺は彼女を両手で受け止めて、力強く抱きしめた。

「でも勝負はこっからだよ、綾さん」

「なんだかその言葉、毎回言ってる気がする」

 綾さんは冗談交じりにそう言った。

「今回は、本当だから。頑張らなくちゃ」

「うん」

 俺は彼女の温もりに包まれたまま、静かに目を閉じた。

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