第29話 心機一転でござる
直江さんと兼続くんはその日のうちに越後へと帰っていった。困ったらいつでも連絡をください、と言った下さった。その言葉は俺たちの心をかなり軽くした。
だが、そうは言ってもこれからは試練が続くだろう。それは誰の目から見ても明らかなことだった。なんと言っても、俺らの敵は織田信長なのだ。一瞬たりとも気は引けない。
直江さんを見送った俺たちは、お互い顔を見合わせた。緊張感を持っているのはとても伝わってくる。だが誰1人として、絶望感にひれ伏す人はいなかった。これほど頼もしい仲間と一緒なのだ。俺たちはどんなことも成し遂げられる気がする。血を流さずにこの日本を統一することも、世界に平和をもたらすことも。
そう考えると、居ても立ってもいられないのが俺だった。何か行動を起こさないと気が済まないのだ。人々から自由を奪った織田信長が許せない。沢山の命を奪った織田信長が許せない。俺の頭はそれだけで一杯だった。
俺は急いで利休さんをパン屋に呼んできた。まずはとにかく彼にも知っておいてもらう必要があった。俺たちは彼に急いで事情を説明した。先ほど、直江さんが俺に伝えたことを全て利休さんに話した。もちろんテーブルの上に広がったままの大量の票も見せた。
「おお、これは凄すぎますな....」
彼が見せたリアクションは俺たちと全く同じだった。
だが彼は話の飲み込みの早さが異常だった。俺たちの目つきを見て、事の状況を素早く把握したのであろう。彼は瀬松さんの話を聞いた段階でも、冷静を保ったまま俺の話に耳を傾けていた。
「で、これからどうするんや」
「いや、それはもう、信長をギャフンと言わせる……?」
彼は俺に聞いた。だが俺はここで回答に困ってしまった。これからどうするかなんて、いきなり聞かれても答えられることではない。
「織田に相当怒っとるんやろ?それは俺も一緒や。でも怒りに任せて焦って動き出したらあかん。これから何をするかを考えなあかんやろ」
まさに彼の指摘通りだった。直江さんが教えてくれた事実を知って、俺はただ興奮していただけだった。変なやる気ばかりが空回りして、目の前のことが見えていなかった。
民主主義の力で持って、武力ではなく政治で織田を倒し、日本を統一する。それが俺の今の目標だ。だがそれを成し遂げるための道筋を、俺は何も考えていなかった。俺はそんな自分を反省した。昔はあまりそういうことがなかった気がする。以前ほど自分を客観的に見られていない。
「冷静になれ、ヤス殿。お主は頭に血が上りすぎや」
利休さんは俺を諭すような言い方をした。俺はそれを素直に受け止めた。
「ごめんなさい……」
「急いでもええことはなんもない。今度こそ足元をすくわれへんよう、慎重にいかなあかんで」
「はい」
彼の言っていることは正しい。それは間違いない。
「ヤス殿、そもそも織田信長が黒と確定したわけではございませぬ」
秀吉さんは俺にそう言った。そう言われてしまうと、原点に戻らざるを得ない。これでは2年前と同じだ。
この場にいる誰もが、瀬松を殺すよう仕向けたのも選挙を壊したのも織田信長の仕業だと考えている。だがそれはあくまで状況証拠に基づいた考えだ。そして俺たちが都合の良い情報だけを線で結び、信長の犯行と決め付けているだけかもしれない。
しかし、疑いはあくまで疑いだ。どれほど疑われてもそれが確信になることはあり得ない。グレーなものは段々黒に見えてきてしまう。それが人間の心理だ。ここは一度冷静になって、織田と選挙の不正をつなげる証拠を見つけるのが先決だ。
「俺たちがやることはただ一つ。織田信長を黒だという確定的な証拠を見つける。それがなければ俺たちは動けない」
証拠もないまま動き出したら、最悪の場合無実の人を苦しめることになる。それは例え信長でも、納得がいかない。
「選挙の不正の証拠の次は、信長が黒だという証拠か……」
綾さんは下を向いた。
「うん。しかも今度は直江さんのような救世主は多分現れない。自分たちで探さなきゃいけない」
「今日はもう遅い。明日の朝からとしようぞ。寝ることも大切でござる」
秀吉さんはそう提案した。俺たちは同意した。寝ることで、気持ちが高ぶっているのを少し抑えられるかもしれない。
そんなことでその日は解散になった。解散になったとはいえ、俺と秀吉さんと綾さんは住まいも同じだ。結局利休さんを見送るだけだった。
俺たちはいつも通り、パン屋でご飯を食べる。ただ、1週間前から秀吉さんの奥さんもパン屋のメンバーに加わった。女性が増えたことで、綾さんも相当嬉しかっただろう。以前にもまして食卓は賑やかになった。
「どうやら今日はいいことがあったようですな」
助丸さんは、夜ご飯の最中にそんな問いかけをした。
「皆さんのお顔を見れば、一目瞭然でございますよ」
権兵衛さんも笑いながら言った。
「いいこと、というよりは新たな舞台に立った、という感じでございます」
秀吉さんが答えた。
「そうでございましたか?何とかっこいいお方……」
ねねさんは、隣に座る秀吉さんの肩を撫でた。
新婚の空気には俺はまだついていけない。もう1週間も経つが、一向に慣れる気がしない。そして将来的にも、このラブラブな2人を見慣れる自分が想像できない。俺はバレないようにそーっと目を逸らした。
「何をおっしゃりますか、ねね殿。かっこいいのはヤス殿でございますぞ」
俺の様子に気づいたのだろう。秀吉さんは優しく俺をフォローしてくれた。褒められることに慣れない俺は、少し照れてしまった。
そうなると見逃さないのが、綾さんだ。彼女は俺にちょっかいをかけるように、肘で俺を何度か突いた。俺が顔を覗くと、下唇を噛んで笑いを堪えている様子だった。それだけ俺の照れている姿が可笑しかったのか。
何だか少し腹が立った。だが賑やかで和気あいあいとした食事時間は、堅苦しい政治の話をした後では天国そのものだ。だからこういうのも、多少なら悪い気持ちは全くしない。
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