第28話 衝撃の事実でござる
「ほら、お主もご挨拶しなさい」
その5歳ぐらいの男の子は、恥ずかしがってお父さんの後ろに隠れてしまった。なんとも可愛らしい姿だ。その子のおかげで、場の雰囲気は随分と和んだ。
「あぁー。可愛らしゅうございますな」
俺たちの中で最もウットリとしていたのは、ねねさんと結婚したばかりの秀吉さんだった。子供が欲しいと、最近は口癖のように言っているのだ。
「どうぞ、お座りください。直江さん」
先日、上杉謙信が俺宛に文を送ってきた。その使者が俺らのパン屋にやってきたのだ。それが今目の前にいる、直江景綱さんとその息子さん、兼続くんだった。
「兼続くん、今何才なの?」
綾さんは優しく聞いた。お父さんの隣に座る兼続くんだったが、モジモジして口を開こうとはしなかった。その姿も愛らしかった。
「もうすぐ5つになります。ほら、自分で答えんか」
お父さんが代わりに答えてくれた。微笑ましい親子だ。
「申し訳ございません。少しお話の邪魔になるかもしれませぬが、お許しくだされ」
「いえいえ。某共も兼続くんに会えて嬉しゅうございます故、構いませぬ」
「それなら、安心じゃ」
ようやく、会議は本題に入った。兼続くんのおかげで、お互いの距離がかなり縮まった気がする。邪魔などころか、大きなプラスになっている。
「早速なのだが、ヤス殿。この男をご存知でいらっしゃいますか?」
直江さんは荷物の中から1つの似顔絵のようなものを出した。歴史の教科書に載っていそうな、あの独特の筆のタッチで描かれた絵だった。正直なところ、あの感じで描かれると、誰が誰だか全く判別がつかなくなる。俺はそれをじっくり見させてもらったが、案の定さっぱり心当たりがなかった。
「名を瀬松長政と言うのじゃが」
直江さんはそう付け足した。だがその名前も聞いたことがない。記憶を辿ろうとしても、この絵では何もヒントが得られない。
「すいません、わからないですね....」
俺は諦めて彼にそう伝えた。
「あの男じゃよ。何年か前にお主のことを斬った男じゃよ」
ん?あの通り魔事件の犯人のことか?捕まった後に一度会って話をしているので、顔は鮮明に覚えている。
俺はもう一度その絵をじっくり見た。確かに髭と髪の毛の感じは結構似ている。顔のパーツに関しては、言われたら初めてわかるレベルだ。なんとかこの男のことは思い出せたが、絵を描く人にもっと上手な人はいなかったのか、かなり疑問に思った。
「思い出せました。あの人がどうかしたんですか?」
「瀬松はその後流刑に処されて、佐渡島に流されたのじゃ」
佐渡島?確か新潟県の北の方にあった島だ。あんな遠いところに流されてしまっていたのか。彼は確かに犯罪を犯したが、決して悪い人ではなかった。もっと情状酌量の余地もあったと思う。
「瀬松は佐渡島で必死に働いていたそうじゃ。流刑を受けた者とは思えぬ程、真面目だったそうで」
「真面目?」
俺は少し驚いた。俺が彼に会った時、彼は人間不信にも近い精神状態だった。誰の言葉にも耳を傾けず、ずっと下を向いているような男だった。
「瀬松が師と称える人物をご存知ありますか?」
「いえ、そこまでは知りません」
直江さんは俺の目をじっと見た。
「ヤス殿、あなたです」
「え!?俺ですか?」
俺は驚きを隠せなかった。俺は師と称えられるほど大した人間ではないし、それに見合うことは何もしていない気がする。
「瀬松は佐渡島で、ヤス殿のことをずっと周りの人間に話していたのじゃ。自分を斬った罪人に対しても優しく接し、さらには庶民が有利になるよう、政治に改革を施そうとした、と」
俺はその話を聞きながら、思わず泣いてしまいそうになった。そのはっきりとした理由はわからなかった。だが何故か俺の胸にはその言葉が染み渡った。
「瀬松の噂や、瀬松が師と崇めるヤス殿の話は某の耳にも入った。そして殿も非常に興味を持ちなさったのでございます」
「あの謙信殿が?」
「左様」
「そこで殿は瀬松を呼び寄せ、事情を聞く場を設けなさったのです」
流刑に処されながらも、瀬松の真面目さが報われ、彼は上杉謙信と話すチャンスが得られた。彼にとってこれほど嬉しいことはないだろう。
「そこで、瀬松さんは何を話したんですか?」
俺は直江さんに尋ねた。俺はそこがとても気になった。
直江さんは後ろに立っていた部下のような人に合図を出した。部下の人は一旦部屋を出ると、大きなゴミ袋サイズの袋をいくつか抱えて再び入ってきた。それを直江さんが受け取ると、テーブルの上に置いた。
「これが、その時に瀬松が謙信殿に託した物でございます。ヤス殿に渡して欲しいと」
「え?開けてもいいですか?」
「もちろん」
俺は手前の袋を取って、結び目を解いた。綾さんや秀吉さんも他の袋を開けてくれた。中から出てきたのは、無数の紙切れだった。どの袋にも同じものが入っている。
一体何なんだ、この紙は。瀬松さんは本当にこれを俺に渡したかったのか?そう思ってしまうほど、ボロボロで小さな紙切れの集まりだった。
俺は半信半疑でその一枚を手に取った。表面が汚れていて、汚い。そして今にもちぎれてしまいそうな程、弱々しい紙質だ。何やら小さく文字が書かれている。俺はそれを読もうとした直後、一瞬でそれが何か気付いてしまったのだ。
「これは、まさか……」
俺はもう何枚かを手に取って、素早く目を通した。あまりの衝撃に、心臓が止まる思いだった。危うく呼吸をすることも忘れるぐらい、その紙切れは驚愕の事実を述べていた。
その無数の紙切れは、2年前の選挙で使われた投票用紙だったのだ。そしてそのほとんどが「安田健太」、「羽柴秀吉」、「千利休」のどれかであった。
これはある事実を導き出す。2年間もの間、「疑惑」として扱われてきた問題は、今この場で「確信」に変わった。2年前の選挙で、塩屋さんや有力商人は不正を働いていた。彼らは俺ら3人には1票も入っていないと散々笑ったが、結果は真逆だったようだ。1票も入っていない候補者さえいるようだ。
「お分かりいただけましたか?」
直江さんは驚く俺を見て、ニコッと笑った。
「これは凄いですぞ、ヤス殿!」
秀吉さんは今までにないぐらいの喜びようだった。両手を高く挙げ、椅子を飛び降りてはしゃぎ回っている。
「良かったね、ヤスくん」
綾さんもかなり驚いたようだったが、秀吉さんよりは落ち着いていた。彼女は冷静に、俺に言葉をかけた。
喜びの最中、俺は1つ重要な疑問が湧いて出た。何故それを流刑囚である瀬松さんは持っていたのだろうか。こんな大事な証拠は、すぐに処分されてもおかしくないだろう。
俺はそれを直江さんに尋ねた。
「簡単な話でございます。不正を働いた者が、開票を流刑囚や死刑囚に強制的にやらせたのでしょう。人件費も他より随分と安くつきますしな」
「な、なるほど」
「それを上手く利用した瀬松は、廃棄しろと命ぜられた票を全て回収し、仲間と分けて佐渡島まで運んできた、というわけですな」
あの2年前の選挙の裏側が段々と見えてきた。瀬松さんのおかげで、俺たちは確定的な証拠を手に入れることができた。これを塩屋さんにでも突きつければ、彼らの負けだ確実だ。
「瀬松さんにお伝えください。感謝しています、また会いましょう、と」
俺は直江さんにお願いした。
「申し訳ございません、ヤス殿。できませぬ」
想定外の回答だった。ただ伝言を頼んだだけだったのだが。
直江さんは続けた。
「瀬松は、何者かに殺害されたのでございます」
「え?」
俺は自分の耳を疑った。だが、聞いてしまったことを忘れることなど不可能だった。瀬松さんが、殺された……。
「一体誰にやられたのでござるか?」
ショックのあまり口が動かない俺に代わって、秀吉さんが聞いた。
「おそらく、織田の仕業かと」
「織田……」
俺と同じように、秀吉さんも言葉を失ってしまった。明るいムードだったのが、一気に悪い方向へ進んだ。それだけ誰もが瀬松さんの死を悔しがった。受け止めきれなかった。もちろん俺も例外ではなかった。
「織田信長はお主のことを相当憎んでいるそうじゃ。もしかしたら選挙の不正も、織田が働きかけたのかもやせん」
堺の政治に織田信長が介入している、ということか。最低だ。あいつはどこまで人を傷つければ気が済むんだ。
「ヤス殿、綾殿、秀吉殿。十分にお気をつけくだされ。お主たちも織田の標的かもしれぬ。某共、上杉家はヤス殿と意を共にする所存でござる。何卒、よろしく願い遣わす」
俺と直江さんは強く握手をした。ありがたい以外の何物でもない。俺は心から感謝した。
もしこのまま織田と対立するのなら、1つ懸念することがあった。
それはタケのことだ。あいつは俺らがタイムスリップしてきた後すぐに、信長の家来になった。最近は音信不通だが、聞くところによるとかなり出世したらしい。最悪の事態になれば、タケとも争わなければならない。こればかりは運命が決めるところだ。
俺は下唇を噛み締めた。
そろそろ動き出さなければならない。勝負をかけるだけの材料は手に入った。さらには上杉家という協力な後ろ盾もある。準備はできたであろう。
さあ、信長。俺はいつになく平和な世の中を作る。武力はいずれ負ける。それを俺が証明してみせる。
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